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(15) 聖暦一五四二年六月 神々の代理戦争

 ハイグラシアには六つの大陸がある。

 一つはミロシュが降りたパーヴィリア王国があるバルナシュト大陸。

 そのバルナシュト大陸と海を挟んで対面にあるのが、ヴルドヌス大陸だ。


 ヴルドヌス大陸には、テラヴォーリ王国という国がある。

 テラヴォーリ王国の王家は獣人だが、獣人は王国人口の約三割しかいない。

 人口の半分は人間であり、約一割は竜人、残りがその他の種族だ。


 アウグナシオンはそのテラヴォーリ王国に目をつけた。

 もし、革命を成功させて、民主主義を導入する事ができれば、テラヴォーリの支配権は人間が握ることになるであろう。

 そうなれば、アウグナシオンの勢力が伸張するという企みである。

 王家が特に悪政を布いているわけではないので、民主主義導入という大義名分を掲げた。


 彼女に味方する神は何柱もいる。

 ヴルドヌス大陸に教団を持たない神々が仲間となった。

 この革命が成功したら、テラヴォーリ王国に彼らの教団設立を約束した。

 神々もまた、人間と同じように利害で結ばれるのだ。


 かくして、アウグナシオンと彼女に味方する神々に仕える天使達が裏側で細工して、テラヴォーリ王国に共和革命が勃発する。


 テラヴォーリ共和政府が樹立されたのは、聖暦一五四二年四月十日であった。

 高坂川高校の生徒達が召喚されて、一月もたっていない。


 アウグナシオンという後ろ盾がいるので、共和政府に参加する者は実に多かった。

 この革命が成功すれば、彼らに富と栄誉がもたらされるだろう。


 逆に、テラヴォーリ王国にしか教団を持たない神が何柱もいる。

 彼らはこの革命が成功すれば、己を信仰する教団が壊滅することになる。

 必死の思いで、彼らは王家に肩入れした。


 当初は、上級神であるアウグナシオンが全面支援した共和政府軍が優勢であった。

 しかし、獣人の神に続き、竜人の神も王家側にたった。

 アウグナシオンの勢力伸張を嫌うがゆえに。

 それで形勢は、互角となる。


 だが、アウグナシオンは、


「有象無象が私に勝てると思っているの?」

 と、意気軒昂であった。


 しかし、彼女の余裕も別の大陸で、魔族の国が彼女の信者が大勢いる国に戦争を仕掛けて、失われることになる。


 アウグナシオンは上級神だけあって、全大陸に信者を持ち、大なり小なり教団を保持している。

 それが、彼女の神力の源であり、強みなのだ。

 しかし、それだけに彼女には守るべきものが多々あった。


 アウグナシオンは、テラヴォーリ王国に投入している天使達の主力を撤退させることになる。

 天秤にかければ、テラヴォーリ王国よりも攻撃を受けた国の方が重要なのだ。

 だが、全天使を引き上げさせるわけにはいかない。

 仲間に引き込んだ他の神への面子がある。

 彼女は内心でテラヴォーリ王国を諦めていたが、戦いを続けさせていた。


 ハイグラシアにおける戦争は、軍の質、兵数と天使の支援理力量によって勝敗がほぼ決まる。

 世界名ミドガロールこと地球における戦争でも、兵士の質は極めて重要だ。

 しかし、他者を倒すことで人間離れした強さが得られるハイグラシアでは、地球よりも兵士一人あたりの強さが激しく異なってくるのだ。


 獣人が約三割の人口しかいないテラヴォーリ王国で、獣人の王家が国を保つには正規軍の精強さが求められる。

 共和政府軍には数多くの農民兵などが混じっており、王国軍と直接対決しようものなら、木っ端微塵にされるだろう。


 そこで、天使の理力による支援が重要となるのだ。

 『黄昏条約』によって、天使は人間、獣人、竜人などを傷つけることは出来ない。

 しかし、人間を傷つけようとする獣人、獣人を傷つけようとする人間などを理力で強化することは可能だった。


 王国軍が当初、苦戦を強いられていたのは、共和政府軍がアウグナシオンに仕える上級天使達の理力で大幅に強化されていたからだ。


 浦辺佐織の盟約者である上級天使レギーハも、当初は支援に回っていた。


「せいぜい、がんばるんだね。生き残るためには、勝つしかないんだから」


 彼女の強大な理力は、幾度もの戦いで共和政府軍の攻撃力、防御力を大幅に高めていた。


 だが、彼女らはアウグナシオンの命により、戦線を離脱する。

 そうなれば、戦力で遥かに勝る王国軍が共和政府軍を蹂躙していくだけだ。




 聖暦一五四二年六月二日。


 もうすでに、大勢は決していた。

 共和政府軍は各地で敗走し、暫定的に共和国首都となったスキヴィア以外の主要拠点は王国軍が占領している。


 影浦徹平の盟約者である下級天使マティオは、天使達の主力が撤退した後も、共和政府軍支援のために残留させられていた。


 彼はテラヴォーリ王国西部にあるエタミエス地峡にて、東から西へと撤退する共和政府軍部隊を支援していた。

 マティオはその部隊の上空約二十メートルほどの高さにいる。


 もはや、その部隊は軍の態をなしていない。

 約二百人ほどで構成されているその部隊の半数以上は、何らかの傷を負っている。

 傷まみれの身体を鞭打ちながら、スキヴィア目指して撤退していた。


 いや、逃げていた。

 死にたくないがゆえに。

 生きるために。


 彼らを追っているのは、王国正規軍約五百。

 上空には、王国軍を支援する天使がいた。

 王国軍の足取りのが速いが、共和政府軍との間にまだ距離がある。


 マティオは十代半ばほどの秀麗な顔立ちだった。

 陽気さ、快活さを人に感じさせる雰囲気を持つ。

 彼は、敗走していく味方部隊と敵である王国軍部隊を見比べてみて、重い表情になる。


(これって、勝てないよな……)


 どうすべきか思案していたが、彼の視界に長い黒髪を振り乱し、懸命に逃げている一人の少女が入った。

 理力で強化した視力で、マティオは少女を詳細に観察する。

 顔立ちからして、高坂川高校の生徒ではないか、と彼は思う。


 高坂川高校の生徒達は、アウグナシオンにとって重要な手駒だ。

 彼ら彼女らに便宜を計らうよう、天使達に通達を出していた。


 マティオは少女が無事に離脱できるかどうか、様子を見るため近づいていく。


 少女もその周りにいる兵士達も、マティオの接近に驚き、足を止めた。

 マティオは少女に近寄り、話しかける。


「このまま、逃げられそうか?」

「……はい。私はまだ怪我をしてませんので」

 少女は、マティオの服装でアウグナシオンに仕える天使とわかり、緊張を解く。


「そうか、ならいいんだ。だけど、疲労だけでもとっておくか」

 マティオの右手から光が発せられた。

 少女がその光を浴びると共に疲れが癒えていく。


 身体が軽くなった少女は、


「ありがとうございます」

 と言って、頭を下げた。


「これくらいどうってことないさ。ひいきはいけないよな」

 マティオは、光を周囲にも放ち、兵士達の疲労を回復していく。


「おお!」

「ありがとうございます、天使様!」


 口々に兵士達は感謝の言葉を述べていく。


「俺は役目を果たしてるだけだから、気にしなくていいよ。それよりも、王国軍が近づいている。撤退を続けるんだ」

 マティオがそう述べると、緩んでいた兵士達の顔つきが一変し、逃走を再開した。


 彼は少女に向き直って、


「高坂川高校の生徒だよな?」

 と、質問する。


「はい」

「案内役の天使はどこにいるか、わかるか?」

「……彼はこの戦いで死にました」

 少女の瞳に生気はなかった。


「……それは悪いことを聞いたな。俺はマティオっていう」

「私は七野明里ナナノアカリといいます」

 その名前を聞いたマティオは記憶を探って、思い出した。


「もしかして、影浦徹平を知っているか?」

「テッペイ君を知っているんですか!?」

 アカリは驚くと共に、何かにすがるような表情になる。


 七野明里はこんな戦いに参加したくなかった。

 だが、彼女の盟約者である天使が功を焦り、彼女を無理やり戦わせた。

 その挙句に天使は戦死し、彼女はこんな場所で敗走する羽目になる。


 彼女の他にも、テラヴォーリ王国に降りた高坂川高校の生徒は三人いた。

 彼らはこの戦いで積極的に戦い、その内二人は、三人目と五人目の死者となっている。


 彼女は、「家に帰りたい!」「人殺しになりたくない!」と、心の中で悲鳴をあげながら、家に帰れず、人殺しになった。

 敵を殺さなければ、彼女が殺されていたのだから。


 彼女の心はもはや、砕けかけていた。

 そんな中、彼女は恋人の影浦徹平という希望を、マティオに見せられたのだ。

 彼女は無性に恋人と再会したくなる。


 彼に慰めて欲しかった――

 自分の孤独を救って欲しかった――


「俺が盟約を結んでいるのが影浦徹平だよ」

「テッペイ君はどこにいるんですか!?」

「エヴェニーナの海の向こうにあるバルナシュト大陸のパーヴィリア王国にいるはずだ」

「……別の大陸ですか。ようやく会えると思ったのに」

 アカリはうなだれる。


「いや、このままスキヴィアに行って、さらに南から国境を抜けて港町にいけば、バルナシュト大陸に行く船便があるはずだ」

「本当ですか!?」

「ああ、間違いない。本当なら、連れて行ってやりたいくらいだが、あいにく俺はやるべきことがある」

「いえ、テッペイ君の居場所を教えてくれただけでも、十分です」

 アカリの眼光に輝きが戻った。


「なら、気をつけていけよ。王国軍が接近される前に逃げるんだ」

「はいっ!」


 七野明里は、恋人である影浦徹平という希望で心を支えて、走っていく。

 もう、ただの敗残者ではない。

 彼女には希望が残っていた――




 マティオは、また上空にのぼって、王国軍を監視する。

 先ほどよりも、当然、距離は近づいていた。

 彼は共和政府軍の逃走を、支援しなければならない。


 ある決断を下す。

 王国軍を支援する天使を倒す、と。


 『黄昏条約』では、天使が天使を攻撃するのに制約はない。

 条約制定時に議論がなされたが、見送られたのだ。

 神々の間で行われた様々な政治的駆け引きによって。


 マティオは剣を抜き、両手で構えて、突進する。

 相手の天使は、いかつい顔つきをしていた。

 緑基調の鎧をまとっている。


 その鎧には見覚えがあった。

 敵に回った神々の中で、主戦力となっている戦の神グ=トヌガンに仕える天使だろう。


 グ=トヌガンは中級神であり、テラヴォーリ王国で盛んに崇敬されている。

 だが、彼が信仰されているのはヴルドヌス大陸だけだ。

 つまり、この革命を全力で食い止めなければならなかった。


 アウグナシオンに従う下級神には、戦の神が多かった。

 革命がなれば、グ=トヌガンの神殿は破壊され、彼らの神殿が建立されることになる。

 そんな恥辱を受けるのを防ぐため、彼は仕える天使のほとんどを派遣していた。


 突進するマティオとグ=トヌガンに仕える下級天使が、ついに剣を交えた。


 仕える神のために。

 使命を果たすために。


 彼らの剣身が激突するたびに、マティオの剣からは白色の、相手の剣からは碧色の光がほとばしる。

 天使の理力がもたらす光だ。


 数十合打ち合うも、決着はつかない。

 だが、マティオは勝利を確信する。


(これなら、いける!)


 相手よりも、マティオの方に余裕があった。

 同じ下級天使でも理力はマティオの方が高い。

 相手もそれが理解できたのだろう。

 額に汗がほとばしり、表情は険しい。


 もう二十合も打ち合い、ついにグ=トヌガンに仕える天使は態勢を崩す。


「もらったっ!」


 マティオがついに勝利を確信したその時だった。


 盟約者である影浦徹平はマレヴィガ大森林で死んだ。

 それに伴い、マティオに衝撃が走り、彼が持つ理力が激減する。


「これって……!?」

「何をしているっ!」

 態勢を立て直した相手の天使は、逆に動揺したマティオに剣を振るう。

 一撃、二撃と防げたが、三撃目は防げなかった。


 マティオは相手の剣勢を防げず、身体が流れた後、右腕を斬りおとされた。

 彼はうめき声をあげ、切断面からは理力の煌きと共に赤い液体が流れる。

 人間の血液と異なり、身体に理力を流すために循環している液体だ。

 天使が人間を模した構造をしているのか、人間が天使を模した構造をしているのか。

 それは、大いなる創造神にしかわからない。


 相手の天使に笑みが広がる。

 彼は勝利を確信した。

 もう、逃がすこともない。


「……これまでか」

 マティオが弱音を吐いた。


「俺は敵をいたぶるような真似はしない。一撃で楽にしてやろう」

 相手の天使は笑みをおさめて、厳粛な表情となる。


「……そうだな、せめて」

 と、マティオは言って、剣を捨てた。


「なんだ?」

 相手の天使は構えをとかず、マティオに問いただす。


「犬死できるか。せめて、最後に置き土産をくれてやるよっ!」


 マティオは左手を王国軍と共和政府軍の中間点あたりに向ける。

 彼は左手に残り全理力を集め、それを放った。


 強烈な閃光が地面に激突し、轟音と共に地峡を大きく抉った。

 大きな穴がうがたれる。

 軍の通過を大きく妨げるほどの穴が。


 この一撃で敵を倒すのは恐らく無理だ。

 回避される可能性も高い。

 だから、王国軍の侵攻を妨げるべく、穴を穿つ。

 それがマティオの選択だった。


「貴様っ!」

 相手の天使はマティオを袈裟懸けに斬る。

 もはや抵抗できなかったマティオは無造作に斬られ、地面に落ちていく。


 彼はもう絶命していた。

 落ちていく彼の顔が、相手の天使の目に入る。


「……なんだと、笑ったまま死んだのか」


 マティオの生涯は一年にも満たない。

 彼は、彼を創造したアウグナシオンに全身全霊を込めて仕えた。

 盟約者だった影浦徹平をはじめ、誰に対しても裏心なく、彼は接し続けていた。

 だから、彼は短命であったのかもしれない。


 しかし、彼が最後に残した笑みは、彼を斬り殺した天使の目から見ても、後悔、恨みなどを全く感じさせないものだった。


 マティオは地面に落ちるまでに光の粒子と化し、世界から消失する

 その一部が、勝者である相手の天使に吸い込まれ、彼を強化する。


「む、中級天使に昇格できたか!」

 彼の顔が歓喜の色に染まる。

 ハイグラシアのシステムが、マティオを倒した彼に褒美を与えたのだ。


 彼はマティオが残した巨大な穴を見やった。

 残りの理力を費やせば、穴を防げるかもしれない。

 だが、その後に戦いとなれば、死ぬ可能性がある。

 せっかく、中級天使に昇格したのだ。

 彼は深追いを避け、撤退を決断する。


 敵手であったマティオに対する感情が、彼の判断を少し左右したかもしれない。


 マティオは自分の命と引き換えに、七野明里を含む共和政府軍の逃走を成功させた。


 ◇  ◇


 蒼晶殿において、アウグナシオンは首席上級天使のエマーファから報告を受けていた。

 何も知らない人が、アウグナシオンとエマーファを見れば、姉妹だと思うだろう。

 この主従は、それくらい容姿も雰囲気も酷似していた。


「テラヴォーリ王国の共和政府は、敗北を免れません。しかし、魔族による侵攻はほぼ食い止めました。また、先ほど、マティオが戦死いたしました」

 エマーファが無表情なまま、事務的な口調で述べていく。


「知っているわ。それで、魔族は叩けたの?」

 対するアウグナシオンはご機嫌斜めだった。


「はい。こちらでは、エルフ、ドワーフと共同戦線をはり、かなりの打撃を与えることに成功しました。逆侵攻というプランも考えられます」

「それは面白そう。計画をたてておいてね」

「かしこまりました。それと、テラヴォーリ王国ですが、マティオの補充を出す必要があるかと思います」

「……最後の尻拭いね。もう、無理をさせる必要はないわ。戦力を無駄に減らすのは御免よ」

「そのためにも、万事そつがないサララを派遣するのがよろしいかと。サララなら、戦死することなく無事に務めて、帰還するでしょう」

「……サララね。最近は軽い仕事しか出してなかったし、わかったわ」

「かしこまりました」


 それから、いくつか報告をすませて、エマーファは退出した。


 エマーファは首席上級天使として、アウグナシオンの絶大な信頼を受けていた。

 アウグナシオンの勢力は大戦終結時よりも、漸増している。

 神々の代理戦争において、百戦百勝はありえない。

 誰かの勢力が伸びそうになれば、誰かが足を引っ張ってくるのだ。

 テラヴォーリ王国における戦いのように。


 そんな情勢下において、彼女は首席上級天使として差配し続け、百戦して五十五勝あたりを常に維持し続ける。

 その積み重ねで、アウグナシオンの勢力は伸びているのだ。

 ゆえに信頼が厚い。


 だが、彼女には別の一面があった。

 彼女は執務室にサララを呼び出す。


「失礼いたします。サララです」

 サララはアウグナシオンよりもエマーファが苦手であった。

 どうにも、嫌なのだ。

 対面するのが。

 特に冷淡な扱いを受けたわけでもないのに。


「よくきてくれました。アウグナシオン様からのご命令を伝達します」

「うけたまわります」

「ヴルドヌス大陸にあるテラヴォーリ共和政府軍を支援しなさい」

「……かしこまりました」

 サララの顔色が優れなくなる。

 テラヴォーリの敗勢をすでに知っていたからだ。


「無理はしないように、とアウグナシオン様は言われましたが、アウグナシオン様の名を辱めぬ働きをするのですよ」

「……全力でご命令を果たします」

「よろしい。早速、出発しなさい」

「失礼いたしました」

 サララが退出するのをエマーファは見届ける。

 エマーファの瞳は氷のごとく冷たい。


 高坂川高校の生徒達を召喚する際に、アウグナシオンは下級天使を創造した。

 創造された中でもっとも理力を持つ天使は、サララであった。

 マティオの理力は三番目だった。


 自分が望むものを完全に創造できるのは、大いなる創造神だけだ。

 他の神々は、天使すら思うがままに創造できない。

 どうしても、ある程度のランダム性が出てくる。

 天使を創造すれば、高い理力を持つ天使と、そうでない天使が創造されることになる。


 首席上級天使であるエマーファには、下級天使に対する任免権がある。

 彼女はそれを用いて、優秀な素質がある下級天使を過酷な戦場においやり、始末していた。

 主人であるアウグナシオンに疑われないよう。

 彼女は、ごく自然に未来のライバルを始末する名手だった。


 彼女は誰にも首席上級天使の座を譲るつもりはない。

 自分の座をおびやかす可能性がある因子は排除するだけだ。


 マティオは盟約者である影浦徹平のレベルアップが早く、理力が大きく伸びていた。

 サララを追い越し、同期の天使では最強だった。


 だから、エマーファにテラヴォーリへ派遣された。

 帰還も許されなかった。

 その結果、マティオは死んだ。


 次は、サララの番であった。

 一番能力が低かった人間をあてがったのもあり、彼女の理力はいまいち伸びていない。

 しかし、資質はもっとも高いのだ。

 始末しておくべきだろう。


(無理はさせないよう、とアウグナシオン様に言われたのが残念ね。アウグナシオン様のお言葉を伝えないわけにはいかないし。生死は五分五分かしら。死んでくれるといいんだけど)


 エマーファは書類を処理しながら、そんなことを考えていた。


 ◇  ◇


 サララは本来であれば、すぐにヴルドヌス大陸へ向かわなければならなかった。

 しかし、もしかして死ぬかもしれないと自覚し、彼女の心は揺れ動く。


 高坂川高校の生徒達が召喚された頃は、ある意味、傲慢不遜でいられた。

 まだ、何も知らなかったから。

 だが、情報を手に入れ、知識を広く深くしていけばいくほど、自身のはかなさが見えてくる。


 サララは、ミロシュに言われた「僕に相談して」という言葉を思い出す。

 非力なミロシュに相談したところで、現状を変えることはできない。

 それ以前に、この命令をミロシュに伝えるわけにはいかなかった。


 サララはミロシュの顔を思い浮かべる。

 先ほどのエマーファと違い、彼の顔は優しかった。


 盟約者に対して配慮するようにという命令がある。

 だから、ミロシュに長く不在することを伝えるのは問題ない。

 彼女はそう考えて、行動に移す。


 サララはミロシュがいる長屋目指して、空を疾風のごとく駆け抜けた。




 ミロシュは六月五日の夜、サララに訪問される。

 彼の目から見て、サララはかなり頼りなげだった。


「どうしたんだい?」

「私はアウグナシオン様のご命令で、別の大陸に行かなければなりません。長期に渡って私が不在ということになります。だから、前のように無理をしても治癒することはできません。絶対に無理をしないようにして下さい!」

 頼りなげだったサララの表情がいつしかきついものとなる。

 彼女は不安定だった。


「……サララも大変なんだね。わかってるよ。無理はしないから」

「前もそう言ったのに……」

「今度こそ、守るよ。僕はこの世界の過酷さをわかっていたつもりだったけど、完全にはわかっていなかった。色々あったから、実感できるようになったんだ」

 ミロシュは、テッペイ=カゲウラという冒険者が死んだことをギルドで聞き、知っていた。

 名前からして、高坂川高校の生徒だろう、と彼は考えた。

 ミロシュはテッペイの死で、この世界の厳しさを改めて思い知らされたのだ。


「……それなら、いいんですけども」

 サララの表情は晴れない。


「……もしかして、危険な仕事なのかい?」

「……え?」

「様子が変だからね」

「……任務の内容を伝えるわけにはいきません」

 サララはミロシュから視線をはずす。

 ミロシュの表情も重いものとなった。


「……悔しいな。サララは僕を助けてくれたのに、僕はサララを助けることができないんだ。力が欲しくなるよ」

「だからって、無理をしたらダメですよ!」

「それも理解してるつもりだよ。おいしい話なんてないだろうから」

「…………」

 部屋の中が静寂で包まれる。


「……もう、行かないといけません」

「わかった。サララこそ無理しないで戻って来るんだよ」

「はい」

 サララは、アウグナシオンからも無理しないよう言われているのを思い出す。

 同じ、無理しないように、という言葉でも何か違うようにサララは思った。


 サララはいつもなら、背を向けて部屋を去るところだが、まだ去りたくなかった。

 彼女はミロシュに向かって、右手を伸ばす。

 ぬくもりを求めるがごとく。


 ミロシュは差し出された右手を見て、少し顔を赤くして、


(間違えてても、怒らないで)


 と思いながら、サララの右手を両手で包んだ。


「あっ……」

「ダメだったかい?」

「……いいえ」

「サララが受けた仕事はよほど厳しいんだと思う。今日のサララを見たらわかるよ。僕はそれに対して何もできない。せめて、サララが無事に帰れるよう、毎日祈ってる」

「……ありがとうございます」


 サララは涙を流した。

 生まれて初めて。

 彼女は新たな感情を今初めて知った。


 ミロシュはそれを見て、あわててハンカチを差し出す。

 サララはハンカチで目のあたりをぬぐった。


「私は必ず帰ってきます」

 サララは今日初めて、微笑んだ。

 いつも見ている微笑みのはずなのに、なぜかミロシュには眩しかった。


「ああ、きっとだよ」


 今度こそ、サララは去る。


 彼女は見上げて、空を舞う。

 サララが向かう先は、敗北確実な戦場であった。

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