(14) 聖暦一五四二年六月 六人目の彼
ミロシュとカミルは時間を作って、喫茶店で話をすることにした。
奇しくも、そこは影浦徹平と瀬能和哉が話をしたのと同じ席だ。
ミロシュはココアを、カミルはカフェオレを頼む。
現代日本よりも、飲み物の値段は高価に感じられる。
ミロシュの感覚では、現代日本の八倍から十五倍くらいの値段だ。
何より、砂糖は無料ではなく有料だった。
パーティを組むようになって、収入が上がったからこそ、入ることができるのだ。
ミロシュはココアを飲みながら、どう切り出そうか迷っていたが、カミルから切り出した。
「心配しなくても、誰にも言わない。お前が何であろうと、ミロシュはミロシュだ」
安心させようとしてくれているのか、カミルの眼差しは暖かいものだった。
「ありがとう」
ミロシュは少しはにかんだ。
カミルはカフェオレを飲んでいたが、カップを置いて、
「それで、シモナにも黙っているのか?」
と、問いかけた。
「……それは悩んでるんだ」
「わからないでもないな。でも、誰かに話される形で知ったら、シモナは傷つくぞ。そうなりそうになったら、自分の口で話した方がいい」
「その時はそうするよ」
ミロシュは、シモナなら自分の出自を知ろうが、態度が変わることはない。
そう強く信じている。
だが、信じていた両親に裏切られたトラウマが彼を臆病にしていた。
「それがいい」
カミルはカフェオレを飲み始めた。
ミロシュもまた、ココアを口に含む。
二人の間にしばし沈黙が流れた。
カミルがカップを置いて、その沈黙を破った。
「……俺について、何も聞かないのか?」
カミルの眼光が強くなる。
「…………」
ミロシュも気になっていた。
シモナはあの部屋に入れなかったが、カミルは入ることができた。
しかし、ミロシュだけがルーヴェストンに力を受け入れるよう提案され、カミルは無視されている。
何かがあるのは間違いない。
だが、ミロシュは、
「カミルが話したくなったら、話してくれたらいい。僕は無理強いしないから」
と、カップを両手で抱えて、ココアの茶色い液面を見ながら、そう述べただけだ。
「……そういってもらえると助かるよ。俺も全てを話すのは勇気がいるんだ」
「僕もそれは同じだから……」
「ミロシュ、今はまだ二人とも全てを話せないが、それでも俺達は仲間だ。俺はそう思っている」
「ああ、僕はカミル達と出会えて、幸運だったと思っているよ」
「俺もだ」
二人は軽く笑みを浮かべる。
「それで、あいつのことだがな。ミロシュは『黄昏条約』を知っているか?」
「大戦が終わった時に結ばれた条約とだけ。詳しくは知らないんだ」
「条約の全文を知っているのは、直接条約を結んだ者だけらしい」
「そうだったんだ」
ミロシュは軽く驚く。
事実そのものよりも、その事実を知っていたカミルについて。
「だから、俺も詳しくは知らない。しかし、条文の一つで、異世界からの召喚に関する制約が定められているらしい」
「それって……!?」
「ああ、あいつのような存在が大戦で暴れまわったとしたら、だ。当然、平和を守るためには再来を防ぐ必要があるよな」
「だったら、あの話は……?」
二人の間に緊迫感が漂い、声は重くなっていく。
「真実という可能性がある。だが、可能性があるというだけで正しいと決まったわけじゃない。ミロシュはあの話を受けるつもりがあるのか?」
「……いや、全くないよ。あまりにも危険すぎるから」
「なら、安心だ。リスクが大きすぎる」
二人は飲み物に口をつける。
その後は、何気ない話をかわしただけだ。
最後に、
「ここのココア、甘くておいしかった。今度は三人で来よう」
ミロシュがそう言うと、カミルは少し笑う。
「そうだな。だけど、あれだけ砂糖を入れたら、そりゃ甘くもなるさ。ミロシュがこんなに甘党だとは思わなかったな」
「……好きなんだから、仕方ないだろう。甘いものを飲みたかったんだよ」
ミロシュは少しふくれる。カミルは目を細めたままだった。
二人はなごやかな雰囲気で店を出て、別れた。
◇ ◇
ミロシュは夕方から夜にかけて、サララと話がしたい、と長屋で強く念じていた。
サララが忙しければ来られないだろう。
夜も更け、今夜は無理か、とミロシュがあきらめかけた頃、サララはやってきた。
「ミロシュ、どうしましたか?」
サララの表情はいつもと変わりなく、ミロシュはほっとする。
「サララに質問したいことがあるんだ」
「質問? 何ですか?」
軽くクビを傾げるサララはミロシュから見ると、かわいらしいものだ。
「スキルのことなんだけど、派生スキルって知ってる?」
これも気になっていたことだ。
本題だけだと警戒されるかもしれないので、ミロシュはついでに質問した。
「……いえ、知りません」
サララは難しい顔になる。
ミロシュはカミルから聞いた派生スキルについて説明した。
「……そんなシステムがあったんですか。不勉強ですみません、ミロシュ」
サララは両手を前に組んで頭を下げた。
「いや、いいんだよ。サララはよくやってくれてるよ」
「でも……」
「本当にいいんだ」
サララを責めても仕方がない。
危なかった自分を助けてくれたし、ミロシュは感謝していた。
「なら、もう一つの質問だけど、大戦の時、僕みたいに異世界から召喚された存在について知ってるかな?」
「それは知ってますが……」
今日のサララは、ほのかな笑みを作れないようだった。
「……どうして、そんな質問を?」
当然、そう質問されるだろう。
ミロシュは前もって、質問する理由を考えていた。
「この前、高坂川高校の生徒っぽい人を初めて見たんだ。で、よくよく考えたら、僕達をばらばらに降ろしたのは、大戦で行われた異世界召喚と関係あるのかなって」
「……そうですか」
サララは少し俯く。
ミロシュが考えておいた質問する理由は、はっきりいって理由として弱かった。
サララが平常心なら、おかしいと思ったかもしれない。
しかし、サララは派生スキルの存在を教えてもらっていないのがショックだった。
上級天使や中級天使は当然、知っている情報だろう。
他の下級天使はどうなのだろうか?
もしかして、自分だけ知らされてないのでは……?
サララの心に疑心暗鬼が襲い掛かる。
世界に関する情報などを、小ざかしく蓄積していたくせに、足元が見えてなかったのだ。
前はミロシュを責めたというのに、自分も責められるべき存在だった。
だけど、ミロシュは自分を怒らない。
サララは自分の中の感情が整理しきれなくなる。
「どうかしたのかい、サララ?」
ミロシュが黙りこくったサララを心配する。
その声でサララは顔をあげた。
サララは思考の泥沼にはまりこんでいた自分に気づく。
自身の葛藤をとりあえずおき、ミロシュの質問にこたえるとサララは決めた。
この情報は、漏らすなとは言われていないのだから。
「すみません。思い出してました」
サララは笑みを貼り付ける。
「私はある指示を受けています。私だけでなく、全天使が受けている指示ですけども」
「どんな指示なんだい?」
「かつての大戦で神々を討ち滅ぼした異世界の神々に関する情報を見つけ次第、報告するようにいわれています」
「異世界の神々……」
「はい。アナクレティオ、イノテンシオ、ルーヴェストン、スピリディオス、グァルティアロ、この五柱です。イメージも私の中にありますが、プロテクトがかかっていて、投影はできません」
「そうなんだ……」
ルーヴェストンの名前を聞いた瞬間、ミロシュの心臓は鼓動を早めた。
「なので、異世界からの召喚は条約で制約をかけて、ミロシュ達をばらばらに降下させたのでしょう。私の推測ですけども」
「ありがとう。これでばらばらに降ろされた理由がわかったよ。気になってたんだ」
ミロシュは柔和な表情になる。
あの黒い炎がルーヴェストンかどうかはまだわからない。
だが、これでルーヴェストンという神が実在しているのが明らかになった。
「……いえ、少しでも役立ててよかったです」
サララの笑みは不自然すぎて、取り繕っているのがミロシュにも丸わかりだ。
だから、ミロシュは、
「サララ、僕は何も知らないし、非力だ。でも、逆に僕に相談してもいいんだよ。ほとんど何もこたえられないかもしれない。だけど、聞き役くらいにはなれるから」
と、精一杯心を込めて、言った。
「えっ……」
サララには誰かに相談するという考えはなかった。
そんなことができる相手は誰もいない。
(私がミロシュに相談……?)
そう考えるだけで、またサララの中によくわからない感情が入り込む。
いつのまにか視線が下がっていたが、ふと視線を上げると、サララの前には優しげな表情のミロシュがいた。
「やっぱり、僕じゃ頼りないかな?」
「……いえ、違います!」
サララは自分でも驚くほど、大きな声になってしまっていた。
「そ、そう」
ミロシュもサララの声に驚く。
「……ありがとうございます。私も話したいことができるかもしれません」
「いいよ、何でも話して」
「……はい。では、行きますね」
「わかった。次に会えるのを楽しみにしてるよ」
「私も」といいそうになるが、サララは何もいえなかった。
サララはミロシュの部屋を去る。
部屋を訪れる前よりも、元気になっていた。
しかし、彼女自身は気づいていない。
下級天使というのは、彼女自身が思っているよりも、過酷な環境におかれている。
そして、哀れな存在だった。
◇ ◇
聖暦一五四二年六月二日。
影浦徹平は路銀を稼ぐためにも、マレヴィガ大森林で魔物を討伐している。
彼は運動神経に優れ、サッカー部でレギュラーだった。
近接戦闘系のステータスが高く、盟約者となった下級天使のマティオと相談して、彼は剣術系スキルを中心に習得した。
相談役として、下級天使をあてがわれていたように、彼の資質はそれほど高くない。
だが、彼にはステータスやポイントでは決してあらわれない勇気、決断力に恵まれていた。
それらは、冒険者として極めて重要なものだ。
彼は生徒達の中では資質は低いが、一般冒険者の中では決して弱くない。
めきめきと依頼をこなしていき、新人冒険者の中で頭角をあらわしていく。
召喚されて一ヶ月後には、盗賊退治の依頼を受けて成功していた。
つまり、彼は殺人という一線も乗り越えている。
魅力ある報酬が彼に一線を越えさせたのだ。
彼が次に目指したのはパーティ結成だった。
だが、アルノーシュ王国の冒険者ギルドで、エルフ以外はパーティを組みづらい。
ほとんどが奴隷を連れて戦っているのだ。
ミロシュ達と会ったダリボルのように。
彼は当然、現代日本人としてのメンタリティを持っている。
奴隷を持つことに多少、抵抗はあった。
しかし、「朱に交われば紅くなる」という。
奴隷という存在に少しずつ、彼は慣れていく。
ついに、彼も収入や貯金が増えると共に、奴隷購入に踏み切った。
必要だったからだ。
冒険者としてより多く稼ぐには、他者を倒して強くなるためには、パーティを結成しなければならない。
彼が持つ現代人としてのモラルの一部分が剥げ落ち、ハイグラシア人の常識がとってかわった。
生き残るためには、それが必要だった。
少なくとも、彼にはそう思えたのだ。
まず、犬人のミリアムを王都の奴隷市場で購入する。
理由はいうまでもない。
彼好みの容姿だったからだ。
彼には七野明里という同学年の恋人がいたが、もう再会できないと諦めていた。
家族とも会えないだろう。
高坂川高校の生徒と三回出会ったが、知人ですらなかったので、彼は深い接触を避けた。
生活には困らないが、自覚ないまま少しずつ、彼は心を荒ませていく。
魔物討伐や盗賊退治などで剣を振るった後、彼は性欲がたかぶった。
軍隊、軍人と商売女の関係は古今東西、ありふれている話だ。
彼も同様であった。
荒んだ心を癒すべく、性欲を満足させるべく、彼はミリアムを貪る。
それから、兎人のラダナを購入し、猫人のエリシュカを購入し、現在のパーティメンバーとなった。
この世界には現代日本にあるようなゲーム、テレビ、DVDなどはもちろんない。
娯楽など、極めて限られているのだ。
彼は彼女ら三人の誰かを抱いている時が、もっとも幸せだった。
だからといって、影浦徹平に悲愴感はない。
彼は様々な欲望を満たせるこの世界が好きになっていた。
強さがもたらす潤沢な収入が、食欲などを満たしてくれるからだ。
今も彼は剣を振るい、オークファイターを切り裂いていた。
強者の権利として、金や経験値を手に入れるために。
「さすがはテッペイ様!」
猫人のエリシュカがテッペイを褒め称える。
今は彼女がもっとも寵愛されていた。
最後に買われた彼女がもっとも高価だった。
当然だ。
テッペイ率いるパーティの戦力が強くなればなるほど、収入は高くなる。
それだけ、資質が高く美しい奴隷が購入できるのだから。
「俺にかかれば、ただのザコだよ」
ほめられれば、テッペイも満更ではなく、胸を張る。
だが、残りの二人、兎人のラダナと犬人のミリアムの表情は冷淡だ。
何でも、エリシュカと差をつけられていた。
装備にしても食事にしても夜にしても。
彼女達にしてみれば、面白いわけがない。
「これで片付いたな。もっと奥地に行ってみるか」
「え、危険ですよ、それは!」
テッペイの提案にエリシュカが反対する。
彼を心配して。
しかし、ラダナとミリアムは、
「行きましょう。テッペイ様なら勝てますよ」
「ええ、もっと稼げますよ」
と、満面の笑みでテッペイに賛同した。
主人であるテッペイに迎合して。
憎いエリシュカに一矢報いるために。
「三対一だ、行くぞ、エリシュカ」
テッペイはにやりと笑う。
殊勝な二人を久しぶりにかわいがろうか、と彼は思った。
「……わかりました」
仕方なく、エリシュカは従う。
四人はさらに奥へと進んだ。
人は誰でも油断する。
英雄、勇者と呼ばれる存在でも。
だが、彼らは油断しても勝利したり、からくも逃げ延びることができる。
しかし、凡人が油断すべきでない場所で油断するとどうなるか――
テッペイ達はある魔物に遭遇した。
黒斑熊だ。
普通の熊が魔力を吸収し、経験値をためて、生まれる魔物。
毛皮が黒と濃茶のマダラ模様をしていることから、そう名づけられた。
体長は約六メートル、体高は約二メートル。
あのグァルイベンよりも大きい。
黒斑熊が木々をかきわけ、テッペイ達の右から現れる。
「なんだよ、あれ……」
テッペイは唖然とする。
「左からも!?」
エリシュカが叫んだ。
黒斑熊ほどの魔物になると、狡猾だった。
左右から、テッペイ達は挟撃されることになる。
「に、逃げるぞ!」
テッペイは指示を出す。
四人は全力で走った!
自分の命を守るために!
だが、普通の熊ですら、百メートルを七秒で走るともいう。
ましてや、黒斑熊だと五秒をきる。
「クソッタレッ!」
テッペイは逃げ切れないと知るや、剣で迎撃しようとした。
だが、黒斑熊の右手一振りで剣ごと彼は吹き飛ばされる。
彼は地面に強く叩きつけられた。
黒斑熊はテッペイの下に向かわず、ラダナとミリアムを追う。
この獲物はもう抵抗できないとわかっているのだ。
「テッペイ様!」
エリシュカは叫んで、走るのをやめ、彼の下へ行く。
だが、残り二人は走り続ける。
兎人と犬人の卓越した運動能力全てを使って!
隷従の首輪。
これをはめられれば、主人の命令を聞けば、その通りにしなければならない。
また、主人に危害を加えることも出来ない。
しかし、テッペイが発した最後の命令は「逃げろ」だった。
だから、二人は逃げ続ける。
(「助けろ」なんて、言わないでよね!)
(お願いだから、意識は失ってて!)
ラダナとミリアムは、新たな指令が発せられないよう祈りながら、逃げ続けた。
彼女らには、テッペイに殉じる義務はないのだから。
口から紅い泡をふき、影浦徹平の生命は失われようとしていた。
エリシュカが彼の身体を強く抱きしめる。
「……お供します。テッペイ様、奴隷でしたが私はあなたが好きでした」
影浦徹平は息絶え、エリシュカは短剣で喉を突く。
二匹の黒斑熊はラダナとミリアムを追うのをやめて、テッペイとエリシュカの下へ向かった。
強者である影浦徹平に、ハイグラシアはとても優しかった。
だが、彼より強い黒斑熊には、ハイグラシアは彼を褒美として与えた。
ラダナとミリアムは命からがら逃げ延びることに成功した。
冒険者ギルドで事情説明を行い、ソヴェスラフ政庁でごく簡単な事情聴取を受ける。
「私たちは全力でご主人様を助けようとしたんです!」
ラダナが泣きながら、そう語った。
「……でも、敵が強すぎて」
ミリアムが嗚咽する。
二人はギルドカードを調べられて、主人を殺害していないことがわかると、無罪放免となった。
奴隷をつれている主人が、魔物に殺されるのはよくあることだ。
だが、自由民にはなれない。
これもよくあることだが、彼女らはソヴェスラフ警備隊所属の隷従兵士となった。
何らかの形で金を工面して身請けするか、大きな功績をあげれば、自由民となれる。
しかし、国の財政が逼迫すると、売られることもあった。
後は、彼女ら次第だ。
もし、影浦徹平が「ゴブリンの巣窟殲滅」の依頼を受けていれば、ルーヴェストンと出会っていたのは彼だったかもしれない。
彼が死ぬと同時に、盟約者である下級天使マティオの力は急激に低下した。
死は連鎖することになる。
ハイグラシアに召喚された高坂川高校の生徒達で、影浦徹平は六人目の死者だった。




