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(3) 一年四組 浦辺佐織

 高坂川高校 一年四組 浦辺佐織ウラベサオリ


 難病にかかった彼女は七歳の時、余命三年と言われていた。

 しかし、十一歳になっても、死ぬ事はなかった。


 だが、十二歳の時、ついに彼女は危篤状態となる。


 彼女は生きたかった。

 毎日、病室できめ細やかに看病してくれる母親。

 忙しい中、病室へ顔を出し励ましてくれる父親。

 親身になって診察や看護をしてくれる主治医や看護士。

 病院で知り合い、優しくしてくれた多くの友達。


 彼女はその人達ともっと一緒に生きたかった。


 そして、死を恐れていた。


 生者が等しく抱く死への恐怖。

 心優しいだけでなく、芯には凛とした強さを持つ彼女であったが、病状の悪化と共に恐怖が徐々に彼女を蝕んでいった。


 彼女はついに自力では、現代医学では治ることがないと諦める。

 その結果、本などで知ったありとあらゆる存在に、助けてくれるよう祈り続けた。

 誰でもいいから、助けて欲しかった。


(誰か助けて! 私はまだ死にたくないの!)


 危篤状態となり、誰もその祈りに応えてくれないかと彼女は絶望する。


 だが、命を失いかけた状態になって、彼女の祈りをついに聞き届けてくれる存在があらわれた。

 死に瀕した彼女だけに荘厳な声が聞こえた。


(汝の命を助けよう。時が来れば、汝は余を助けるか?)

「だ、だれ……」

 佐織の声はもはやかすれ弱っており、病室にいる両親、主治医、看護士にはうわ言にしか聞こえなかった。


(声に出さずともよい。想うだけでよい。時がくれば、余を助ける。汝がそう誓えば、命を助けよう)

「あ、わ、ち……」

「さ、佐織! しっかりして!」

 佐織がうわ言を言うさまに、母親が悲痛な声をあげた。


(さぁ、もう時はない。このままではやがて汝は死ぬ)

(ち、誓います! だから、私を助けて!)

 佐織は声に出せないので、強く強く天にも届くよう、強く念じた。


(わかった。汝を助けよう)


 その声と共に佐織の容態は回復する。

 佐織は目をつぶり、両親は驚くが、主治医が告げた。


「いえ、心拍数、血圧共に安定しています。まだ、予断を許しませんが……」

 その言葉に安堵する両親だった。

 佐織が完全な眠りにつく前に荘厳な声が佐織の中にだけ響く。


(時が来るまで心身を鍛え続けよ。汝が為したい事を為せ。時がくれば余を助けよ)


 その簡潔な言葉は佐織の記憶に、いや、魂に刻み込まれた。


(わかりました。私を助けてくれた神様……)


 その想いを心に強く抱いたまま、佐織は眠りについた。


 それから、二日間、佐織は病室で眠り続ける。

 その横で両親はつきっきりとなった。父親は無理を言って仕事を休んでいる。


 やがて、佐織は目が覚めた。


「お父さん、お母さん」

「さ、佐織ッ! あなた、佐織がッ!」

「おおっ、大丈夫かッ! 佐織ッ!」

「ええ、もう、大丈夫。お医者さんをよんできて。多分、もう治ったと思うから」

 佐織が目を覚ましたことに喜ぶ両親。しかし、いきなり難病が治るわけがない。

 ともかく、主治医を呼ぶ必要があると思い、母親がブザーを鳴らした。


「ありがとう、お父さん。お母さん。今まで本当にありがとう。健康になったら、恩返しをするからね」

「何を言うのよ、この子ったら……」

 母親は少し涙ぐむ。父親もまた、涙腺が崩壊しようとしていた。


 それから、主治医が呼ばれ、佐織は精密検査を受けた。

 その結果、驚くべきことに完治していた。

 主治医にはわけがわからなかった。あり得ないことだからだ。


「奇跡、奇跡としか言いようがありません……」

 彼はそう述べただけであった。


 今度こそ、両親は狂喜乱舞する。

 佐織の退院は一週間後であった。完治していても、身体能力は低下していたからだ。

 病院を去る佐織は世話になった病院のみんなに厚く礼を述べた。

 親しくなっていた年下の少年には退院後も、何度も見舞いにいくことになる。


 それは、彼女がやりたかったからだ。

 彼女を助けた神は言った。

 「為したい事を為せ」と、彼女はその言葉をそのまま受け取り、生きていく事になる。


 浦辺佐織は近くの公立中学校に復学する。

 両親は一年遅れてもいいから、近くの名門私立校を受けさせたがった。

 その学校は荒れていると有名だったからだ。私立校に入れるくらいの財力はあった。

 しかし、彼女は拒否した。

 両親に余計な負担をかけさせたくなかったし、それは甘えだと彼女は思っていた。


 彼女は長く入院していたので勉強が遅れていた。だから、勉強して取り戻した。

 身体能力が低下していた。だから、運動部に入って運動した。

 朝晩ともに鍛え続けた。

 退院して間もない彼女のそういった行動に両親は慌てて止めさせようとした。


「大丈夫。私の身体は神様が強くしてくれたから」


 本来であれば、両親は娘が正気かどうか疑うべきであったろう。

 しかし、娘が奇跡的に回復したことは事実である。

 また、病院での検査は本当に何の異常もなく、娘の血色は健康そのものであった。


「無理はしないようにね」

「はい、お父さん、お母さん」


 佐織は透き通るような微笑みをうかべて、両親にこたえた。

 両親自慢の可憐で優しい娘だった。


 佐織は柔道と薙刀を習うようになる。

 両親は公立校に進学したこともあり、習い事にいかせる余裕はあった。

 しかし、塾とか茶道とかに行かせたがった。

 だが、佐織は頑なだった。

 彼女は「心身を鍛え続けよ」という神の言葉を実行しなければいけないからだ。

 勉強は独学で十分だったが、武道はそういうわけにはいかなかった。

 両親はついに折れた。

 愛する娘に甘いというのもあるが、佐織の学力がかなり上がっていたというのもある。


 佐織はただひたすら鍛錬していく。神に従って。

 何も出来ないまま、死を迎えようとしていた身である。

 時間の大事さを誰よりも知っていた。また、神への大恩をかえす必要がある。

 彼女の努力は常軌を逸していた。

 柔道道場の先生も、薙刀道場の主も、彼女の上達に舌を巻き、熱心に教え続ける。


「ありがとうございます、先生。私が強くなれるのは先生のおかげです」


 血色が戻っても、肌の白さはそのままで睫毛が長くて可憐な美少女だった。

 佐織が心情さわやかにそう言う姿に、先生達はますます指導の熱が入った。


 他の生徒達も本来であれば、嫉妬する感情がわきあがるはずだ。

 だが、「為したい事を為せ」という彼女は為したいがままに、周りのみんなに尽くし続けた。

 困っていれば、助ける。それが彼女の為したいことであった。

 彼女はいつも困っていて、助けられてきたのだ。だから、今度は彼女が助ける番であった。


 ある女生徒が佐織にこう言った。


「どうしたら、そこまでできるの? あなたに追いつこう、悔しいって思うこともあったけど、もう今はそんな事も感じなくなったわ。あなたは私達と違うから」

「私はやりたいことをやっているだけ、それだけよ」

 佐織の返答に彼女は


「やっぱり、追いつけないわね……」

 と、軽く笑った。


 彼女が中学三年生になったとき、問題が起こった。

 両親が危惧していたように、いじめの問題が佐織のクラスで持ち上がった。


 佐織は陰湿ないじめを許せなかった。

 男子生徒が集団でいじめる姿を発見すると、佐織は止めに入った。

 そう、彼女は為したい事を為すのだ。

 いじめられていた生徒は隙をついて一目散に逃げ出した。


「おいおい、どうしてくれるんだよ、これ」

「別に。逃げられてよかったですね」


 五対一である。しかも、相手は男で佐織は女だった。

 さらに、佐織の容貌はどうしても男をひきつける。

 男子生徒達の目つきがいやしく歪んでいった。


「なめてんのか、じゃあ、次はお前が相手してくれるんだな」

「あなたがたの相手をする時間はありません。そんな卑劣な真似をやめてくれればそれでいいんです」

「へぇ、どうやって、やめさせるんだ?」

「どうやっても、何もありません」

 佐織の目つきが変わった。可憐さが印象的な眼差しに気迫があふれてくる。

 まとう雰囲気が清楚なものから、殺気立ったものとなった。

 ド素人の男子中学生ですら、わかるように。


「……なんだ、こいつ」

「浦辺ってかわいいだけだと思ってたけど……」

 そんなことを言い出すようになった。

 浦辺佐織という女子はもうすでに有名だった。

 学力一位であり、運動に優れ、そしてもっとも重要なことはかわいいということだ。

 男子生徒でアンケートをとれば、おそらく恋人にしたい女子一位は浦辺佐織だった。

 彼女にはどうでもいいことだったが。

 実をいうと、この五人の中の二人は浦辺佐織が好きだった。内心、まずいと思っていたのだ。


 ひるんだ生徒達に彼女はたたみかける。


「あなた達は大事な人生をそんなくだらないことで終えるつもりですかっ!」

「さぁっ、こたえなさいっ!」


 彼女は裂ぱくの気合をこめて、生徒達を一喝した。


「どうしてもわからないなら、私が相手になりますっ!」

「人生には重要な選択が何度もあります」


「今もその一つですっ!!」


 男子生徒たちは黙りこくった。五対一である。

 しかも、自分達は男で相手は女だ。普通なら、楽勝だろう。

 だが、ある意味死線を潜り抜けて、鍛錬し続けた彼女の気迫に立ち向かえる男は一人もいなかった。

 やがて、一人がこたえた。


「もう二度としません……」

 また、一人こたえた。


「絶対にやりません……」


 ただの口先なら、何の説得力もなかっただろう。

 しかし、彼女は十一年で生涯を閉じていたかもしれなかった。

 その想いが言葉にこもり、男子生徒たちの心に響いた。


「そう、ならいいのよ。人生は短いから、真摯に生きないと」

 彼女は殺気をおさめて、慈母の微笑みを男子生徒達に見せた。

 男子生徒達は彼女に魅了された。それだけでなく行動に移す。


「浦辺さん、好きになりましたっ! つきあってください!」

「何、ぬけがけしてやがる! 俺も好きです!」

 五人の内、二人が浦辺佐織を好きだった。

 今は、五人とも浦辺佐織が好きになった。

 彼女はしばらく考えて返答する。


「私は今、恋愛をする余裕はありません。でも、私が好きになる人はおそらく、私と共に歩むだけの強さを持った男性だと思います」


 この五人の内、三人は浦辺佐織と同じ高坂川高校に進学することになる。

 それは、この三人が普通の人生を歩めなくなったということを意味していた。


 浦辺佐織は中学を卒業し、高坂川高校に入学した。

 洋弓部に所属し、医学部進学を目指すつもりだった。


 さすがに銃器は扱えないが、長距離攻撃可能な洋弓に彼女は興味を持った。

 いつもどおり、熱心に練習していく。

 指導教員も主将も有望な新人部員が入った、とご満悦だった。


 初心者なので不慣れであったが、洋弓を構える彼女の姿には気品を備えた美しさがもうすでにあった。


 そして、ついに転機が訪れた。

 アウグナシオンによるハイグラシアへの召喚だ。


 浦辺佐織はその一瞬、かなり喜んだ。

 ついに神様が言っていた「時」がきたのか、と。

 彼女がこれまで鍛え続けてきたのはその「時」のためである。

 命を助けてくれて、なおかつ「為したい事を為せ」という温情に彼女は感謝していた。

 過酷な神であれば、そのような自由は許されなかっただろう、と天啓や神話を調べていた彼女は思っていた。


 だが、アウグナシオンの声を聞いたとき、彼女は失望した。

 声が違っていた。神様の声はもっと荘厳で、力に満ち溢れていた。

 この声ほど軽くはなかった。


 失望はしたが、力は得られると知り、一転して、彼女は喜んだ。

 これでさらに強くなれるのだから。


 説明が終わって、草原に転移した。


 すると同時にかつて聞いた荘厳な声が聞こえた。


(引き続き励むのだ。時が来るまで為したいことを為し、鍛えよ)


 病室できいて以来の啓示であった。

 佐織は神様に従い、強くなると誓う。


(わかりました。佐織は神様に誓い続けます)


 佐織がふと気づくと、目の前には天使がいた。

 目鼻立ちが派手で、気だるげな雰囲気をまとった美しい女性の天使だ。

 その天使は佐織を見て驚く。


 佐織は静かに涙を流していた。流しても流しても、止まらなかった。

 おそらくもう、両親とは会えないだろう。そう思うと、どうにもならなかった。


(何も恩返し出来なくてごめんなさい……)


 その様が続くと、天使は「これ」とハンカチを佐織に手渡した。


「……どうもありがとうございます」

 甘い香りがするハンカチで佐織は目のあたりをふきとった。


「いいのよ。私はレギーハ。よろしくね」

「浦辺佐織です。よろしくお願いします」


 ついに泣き止んだ彼女はミロシュやマユカと同じように説明を受ける。

 レギーハは上級天使であり、エフセイと同じだけの知識を持っていた。

 佐織はレギーハと盟約を結ぶ。力を得るために。

 天使との盟約で自由を失うことはない、と佐織は確信していた。

 神様は天使よりも遥かに強大なのだから。


 佐織は回復魔法に特化することを決めた。

 鍛錬していた佐織は、すでに接近戦用のスキルをいくつか持っていた。

 それらをのばすのではなく、人々を助けるために回復魔法を手に入れることにした。


 レギーハは興味深げに佐織へ質問する。


「強くなりたいなら、回復魔法だけだと意味ないわよ?」

「鍛錬するまでです。私の回復魔法を必要とする人がいれば、共に戦ってレベルを上げます」

「頑なね。なぜ、そうまで?」

「私は為したいことを為すだけです。人を助けるために回復魔法を極める。いけませんか?」

「赤の他人でも?」

「はい」

「本心から、ただの他人を助けたい、と?」

「ええ」

 レギーハは浦辺佐織と視線をあわせる。天使は人間に危害を加えることはできない。

 しかし、「目は口ほどにものを言う」というように、上級天使であるレギーハが理力を用いて、彼女の瞳を観察すれば、真偽を明らかにできた。

 観察した結果、彼女は本気でそう言っていた。

 嘘偽りなく、他人を助けたいというのだ。


 人間など、いや、天使ですら、己のことしか考えてないというのに。

 仲間や親しい者を助ける奴はいるだろう。だが、赤の他人を助けるというのだ。

 そんな人間や天使はいない。例外はいるが、希少である。物語の題材となるほどに。


 レギーハは浦辺佐織を面白い、と思った。

 優秀な素質だというから、暇つぶしに盟約を結んで、適当に強くなればいい、それだけの思惑しかなかった。

 そもそも、エフセイや首席上級天使ほどの欲望はレギーハにはない。ほどほどでよかった。


「わかったわ。スキルポイントUP(2)をあげる。より、強くなれるから。それと、悪いようにしないから、私の指定するポイントに降りない?」

「レギーハさんの力を損なうんじゃないんですか?」

「レギーハでいいよ、佐織。おそらく、付きあいは長くなるからさ」

「わかりました、レギーハ。では、お言葉に甘えます。それと、降りるポイントっていうのは?」

「ああ、運が悪い奴は長く生きられそうにない場所に降りるんだよ。世界への負荷を減らすために、分散しておろすんだけど、どうしても、何人かは厳しい場所にいかざるをえないんだ」

「でも、それだと、私がいい場所をとってしまうのでは? それはよろしくないかと」

「ハハハッ」

 レギーハは愉快に笑った。


「そう思うんだ。なら、こう思い直してくれないかな。盟約を結んだあたしの顔をたてると思ってさ。頼むよ」

 レギーハは軽く頭を下げた。こんな光景を他の天使が見たら、驚きおののくだろう。

 彼女は自由気ままに振舞っているが、それを許されるだけの実力がある、と他の上級天使はおろか、アウグナシオンですら認めていた。

 アウグナシオン以外に頭を下げることなんて、まずない。


「頭を上げてください。困ります」

「私のいうポイントに降りるって言わない限り、やーだもん」

 佐織は面食らった。レギーハは天使であり、やはり美しかった。

 美貌と言動や仕草などとのギャップにとまどった。


「……わかりました。お任せします」

「よし、決まりだな」

 頭を上げて、レギーハは快活に笑う。


「じゃあ、残り時間鍛錬するか。好きなんだろ?」

「ええ、とても」

 お互いを見て二人とも軽く笑った。

 彼女達は残り時間を鍛錬にあてた後、ハイグラシアに降りた。


 浦辺佐織が降りたのはミロシュと同じパーヴィリア王国だ。

 しかし、ソヴェスラフではなく、王都ザハリッシュであった。


 佐織を王都に迎え入れるために、レギーハは自分の召使を用いた。

 レギーハの召使は佐織を、ザハリッシュにあるアウグナシオン教団本部へと連れて行く。


 教団本部は豪奢な大理石造りであった。

 道中のあばら家を見ていた佐織は、この差に少し釈然としないものを感じる。


 しかし、本部に入ってみると、内装は一転して簡素にしてあった。

 佐織は驚くほど丁重にもてなされた。

 最上級と思われる部屋に、高位の神官と思われる壮年の男性や女性が、佐織を主のごとく遇していた。


 やがて、佐織はアウグナシオン教団パーヴィリア本部のブラジェク大司教と面会する。

 ブラジェクの本名はドカーシュ=モイミール=バラーネイ=ブラジェクである。

 ブラジェク侯爵家の次男であり、若くして教団に入った。

 現在は四十三歳であり、聖職者というよりも鍛え抜かれた武人のような相貌である。

 ブロンドの短髪で背は高く、眼差し鋭く、威厳に満ち溢れていた。


 その部屋には佐織とブラジェク大司教、二人しかいない。供の者は室外で待機していた。


「サオリ=ウラベ様。何か待遇に問題はありませんでしょうか?」

 しかし、鋭かった眼差しが一転、敬虔な信徒のものとなる。

 その変化にサオリは多少戸惑う。


「いえ、これほどまでによくしてくださる必要はありません。待遇を落として下さって結構です」

「とんでもありません! あなたはレギーハ様の盟約者です」

「私は回復魔法を用いて、苦しんでいる人を助けること。そして、自分の鍛錬ができれば十分です」

「なんと欲のない。まさにあなたは聖女ですな」

「聖女だなんてとんでもありません」


 押し問答の末、彼女は普通の部屋に移り住んだ。

 彼女の希望通り、三日に一日、貧者に回復魔法で治療することとなった。

 治療された者が払える金額のみ、お布施をするだけである。

 またたくまに聖女の治療は評判となった。

 少しずつ「ザハリッシュの聖女サオリ=ウラベ」という名前が広がっていく。

 ただし、彼女が信じる神はアウグナシオンではなかった。


 彼女は高額な金額を要求するよう、また貴族優先に治療するよう、求められるのではと危惧していた。

 しかし、ブラジェク大司教は何も要求しなかった。

 サオリの望むがままの環境を与えた。


 サオリが鍛錬を行いたいといえば、大司教は最精鋭の教団騎士を同行させた。

 サオリは順調にレベルアップすることができた。


 余りにも快適すぎて、サオリは多少、気味悪く感じるほどであった。

 しかし、物事には全て表と裏がある。

 こういう話がレギーハとブラジェク大司教の間で行われていた。


「わかっているな、サオリはあたしの盟約者だ」

 レギーハがまとう雰囲気はサオリと相対していたときとはまるで違った。

 触れれば斬られそうな気迫で満ち満ちている。

 上級天使が持つ力とあいまって、それはもう恐ろしい迫力であった。


「承知しております、レギーハ様。サオリ様が快適に過ごせるよう、このブラジェク、身命を賭して仕える覚悟です」

 しかし、対面するブラジェクは汗一つかかず、緊張した様子もなかった。

 レギーハへの礼容は完璧であり、一礼して返答した。


「その言葉、二言はないな」

「しかと」

「なら、いい」

 レギーハは身にまとう雰囲気を軟化させた。


「あたし達は仲良くやっていこうじゃないか。天使と人間で寿命は違うけどさ」

「我々卑小な身は、アウグナシオン様や天使様についていくばかりでございます」

「その心がけはいいと思うよ、またな」

 レギーハは軽やかに去った。


 その後、ブラジェク大司教は腹心の中級司教を呼んで、指示を出した。


「黒髪、黒目、聞き慣れない名前を持つ冒険者がいたら、丁重に本部へ迎え入れろ」

「かしこまりました」

「該当する人間かどうか怪しくてもかまわん。連れてくるのだ。間違えていてもとがめん」

「はっ」

「通常業務にあてる人員を半分に減らす。神官の親類縁者を総動員させて、しらみつぶしに探せ」

「……そこまでやられるのですか?」

 腹心の司教は驚いた。ブラジェクの言葉に反駁しないよう、自分をしつけてある。

 その彼ですら、驚かざるをえなかった。


「ああ、間違えていたな」

 ブラジェクは彼の言葉をとがめなかった。

 司教はほっとした。ブラジェクに反論するなど、とんでもないことだ。

 失言した、と焦っていた。


「予算を出す。そういった人間の情報を国外からも集めるようにせよ」

 ますます驚く司教だが、今度は返答を間違えなかった。


「……仰せのままにいたします。ブラジェク様」

「うむ、極めて重要な任務だ。結果によっては、上級司教への昇進を考えておこう」

「ありがたき幸せ! 全力をつくします」

 司教の返事は心からのものであった。


 ブラジェクはもう、目の前にいる司教のことなど考えていなかった。


(レギーハ様。人間は寿命短いがゆえに、その一生を燃やし尽くすものでございますぞ)


 やがて、ブラジェク大司教は近隣に降りた高坂川高校出身者のリストを手に入れる。


 そのリストにミロシュという名前はなかった。

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