(1) 三年二組 浅羽真由香
高坂川高校 三年二組 浅羽真由香。
彼女はとても美しかった。
しかし、なぜかその美しさには微かに淫靡なものがつきまとっていた。
彼女と視線をあわせると、ほとんどの男は自身の奥深くに眠っている欲望を刺激されるのだ。
芸術の神が丁寧に整えたかのような目鼻立ち。
首を覆う艶やかな黒髪は、くせ一つなく美しい。
しかし、一番印象的なのは艶っぽさをたたえた切れ長の瞳だ。
彼女は魔力を使わずに男を魅了できる魔女だった。
彼女の長所は容貌だけではない。賢くもあった。
もうすでに推薦入学で、某私立名門大学への入学が決まっていた。
しかし、高坂川高校が持つ枠は一人だけだ。
彼女より成績が優れていた者は何人もいた。
だが、彼女が選ばれた。
噂話が流れる。
彼女は先生に身体を売った代価で推薦枠を勝ち取った、と。
悪質な噂であり、名誉毀損につながる誹謗中傷だ。
噂を流していた生徒は容赦なく、何人か停学処分を受けた。
生徒達が想像していたよりも、重い処分だった。
別の大学の推薦を取り消された生徒すらいる。
また、噂を流していたが、処分を免れた生徒数人は通り魔に襲われて、一人は後遺症が残った。
この事件で多くの生徒が人生を狂わされた。
彼女はそういった顛末を友人に聞かされると、
「怖いわね。夜道には気をつけないと」
と、軽く微笑んでこたえた。
友人の返答は沈黙だった。
浅羽真由香は現在、分譲マンションに一人暮らしである。
両親はもう死んでいた。
中学一年生にして、彼女の色香はもうすでに男を狂わせるほどだった。
父親は娘の真由香と接するたびに、理性を食いつぶそうとする欲望と戦っていた。
戦って、戦って、戦い続けた。
そして、負けた。
父親は真由香が中学二年生にあがろうとする頃、血迷い、真由香を襲った。
彼女は父親に性の悦びを教えられたのだ。
そんな状態の二人を母親が知らずにいられようか。
破局が訪れ、結末は父親と母親の心中である。
そういう事件調書が警察に保存されることになった。
その事件を通じて、彼女は階級が警部の警察官と関係をもつことになった。
彼女は様々な知識をその男性から吸収していく。
彼女の後見人となった叔父は、遺産目当てだった。
しかし、その警察官が弁護士を手配して、彼女を守った。
叔父が手出しできなくなって三ヵ月後、その警察官は心不全で死んだ。
その後、彼女は高坂川高校に入学する。
彼女は生活費には全く困っていない。
遺産もあれば、彼女を援助してくれるパトロンが何人もいた。
彼女は将来に不安が全くなかった。
遊んで暮らすだけの資産も、自分に快楽をもたらす男も、簡単に手に入れられる。
しかし、彼女は満足していなかった。
未来がわかっていたからだ。
遊興を極めても、いつかは年老い死ぬ。
三十をこえれば、ツバメをはべらすのも面白いと聞いたが、想像の枠内にすぎないだろう。
人生なんてつまらない。彼女は心中そうつぶやく。
だが、浅羽真由香はそのつまらなさから解放された。
ハイグラシアの上級神アウグナシオンに召喚されたことによって。
草原に転移した後、彼女の目の前には白いローブをまとった青年がたっていた。
芸能人と何人か枕を共にした真由香ですら、青年は始めてみるほどの美貌だった。
そのマスクは甘く、まるでギリシア彫刻の美青年のようだ。
「どうも初めまして。私はアウグナシオン様にお仕えする上級天使のエフセイと申します」
「浅羽真由香です。いえ、マユカ=アサバですね。よろしく」
エフセイは挨拶がすんだ後、一通りの説明を真由香に行った。
真由香はそれに対して質問し、エフセイがこたえていく。
説明を聞けば聞くほど、真由香の表情は明るいものとなっていった。
エフセイの表情はつねに軽い微笑をたたえていて、表情は変わらなかった。
「つまり、力があればハイグラシアではなんでもできるし、私は大きな力を持てる可能性が高い。少なくとも、現状でも一般人なんて相手にならない、と」
「その通りです。あなたは力を求めますか?」
「もちろんです。ようやく、このつまらなさから解放される」
彼女は普段、表情を出さないタイプだった。
しかし、今はとても楽しげだ。まるで、人が変わったかのように。
「ならば、私と盟約を結びましょう。私はあなたをサポートできますし、あなたが強くなれば、私も強くなれます」
「一緒に寝れば、盟約を結べるのかしら」
真由香の返答にエフセイは少し面食らう。少々、時間をおいた後、
「いえ、手をあわせて盟約の言葉を発するだけです」
と、こたえた。
「そう、つまらないのね。いいわ、やりましょう」
「盟約の問題点とか聞かないんですか?」
「あなたは私よりはるかに大きな力を持っているでしょう。そんな存在にだまされたらどうしようもないものよ」
「思い切りがいいですね」
エフセイの微笑が深まる。
「私は力ある人のやり口を何度も見てきたから。さぁ、やりましょう」
真由香はエフセイの瞳を見つめながら返答した。
エフセイは頷いた。
「世界よ、ご照覧あれ。大いなる創造神よ、ご照覧あれ。我、天使エフセイとここにありし人間浅羽真由香が結びし魂の盟約を!」
エフセイの詠唱が終わると同時に、二人の両手から光が発せられる。
エフセイと真由香が光で覆われ包まれた後、光は消え去った。
「これで完了しました」
「あっけないものね」
真由香の返答はそっけなかった。エフセイは苦笑するばかりだ。
「さて、どういう手段で強くなりますか。あなたのステータスから、スキルの取り方を助言できますが」
エフセイは上級天使だ。スキルについて、下級天使のサララよりもはるかに熟知していた。
高坂川高校の生徒には知らされていない。
差は本人のステータスだけではなかった。
誰がサポートするかでさらに差はついていくのだ。
アウグナシオンという神は少なくとも、平等の神ではなかった。
真由香はひとまず、エフセイから効率的に強くなる方法について教わる。
エフセイは魔法をすすめていた。
真由香は魔法について一通り聞いた後、エフセイに質問する。
「メタンフェタミンって薬を合成できる魔法はない?」
「メタンフェタミンですか?」
「わからないなら、調べてみて。こういう化合物なんだけど」
覚醒剤であるメタンフェタミンの化学式を真由香はエフセイに教える。
「少しお待ちください」
エフセイは目をつぶって、数分、思索しているようだった。
真由香はエフセイを黙って見ていた。
彼女の妖艶な顔立ちに熱情の色がみてとれた。
「わかりました。かなり、スキルポイントを消費しますね。五十五ポイント消費すれば、魔法で作成できるようになるでしょう」
「一日あたり、どれくらいの量を作成できるの?」
「今の真由香の魔力では、一日一グラムくらいでしょう。レベルが上がれば、もっと造れるようになります」
「十分ね。ためていけば、何人にも投与できるでしょう」
真由香は微笑んだ。たおやかな美貌の底にはある種の狂気が潜んでいた。
「それで、どうやって強くなっていくのですか? このメタンフェタミンは人間を虜にできるようですが。よければ、プランを教えて下さい」
エフセイは興味深げな表情で真由香を見た。
彼が想像していた以上の人間かもしれない。そういう期待がエフセイの眼差しにこもっていた。
真由香が軽く微笑んでこたえる。
「私の手持ちスキルポイントが七十二ポイント。そして、あなたの助力で精神魔法を極めようかなって」
ミロシュが聞いていたら、自分との差に嘆くかもしれない。
彼の手持ちスキルポイントは五十七ポイントだった。
「ほう、メタンフェタミンだけでは足らない、と?」
「メタンフェタミンを投与する前に一苦労するかもしれないから、それに」
真由香の瞳が爛々と輝いた。
「精神魔法で対象を陶酔させた後、メタンフェタミンを投与したらどうなるかな。それとか、メタンフェタミンがきれた後、精神魔法で陶酔させてあげたら、中毒にすすむのが早いと思うの。そういうの興味ない?」
「……興味ありますね」
真由香の言葉を聞いた瞬間、エフセイの作り笑いが消えた。
「でしょう。あなたの理力を削ることになるけど、スキルポイントUP(2)もとらせてもらえれば、レベルアップでスキルポイントをためてもっと面白いことができるわよ」
「話を戻しますが、強くなるにはレベルアップが必要です。どうやって、レベルアップをするつもりですか? 精神魔法もメタンフェタミンもそれだけでは魔物を倒すのには厳しいはず」
平静さを取り戻したエフセイが真由香に質問し、間髪いれず、真由香がこたえた。
「強い冒険者を私の操り人形にして、パーティを組んで戦ってもらいましょう。パーティだと戦ってない私にも経験値が入るのよね」
「……ええ」
「なら、問題ないわね」
「しかし、精神魔法で操ったら、知能が低下して、まともに戦えるかどうか疑問ですが」
「だから、メタンフェタミンを使うのよ。完全におかしくなるまで時間がかかるから、戦うくらい大丈夫よ」
「完全におかしくなれば?」
「チェンジ」
真由香の返答は単純明快だった。
「どこか、私の計画におかしなところがあるかしら」
真由香はエフセイに近づいて、そう言った。真由香の息がエフセイにあたった。
「……いえ、特にないようです」
少し思案したあと、エフセイは真由香にこたえた。
エフセイのが真由香より身長が十五センチほど高い。
見上げながら、真由香が話をつむぐ。
「スキルポイントUP(2)もらえる?」
真由香の甘い息がエフセイの鼻をくすぐった。
「……ええ」
「ありがとう」
そう言うと同時に真由香はエフセイの腰に両腕をまわした。
エフセイもまた、真由香の背中に両手をまわす。
「これでステータスはほぼ決まりましたね。降りる場所はどこにしますか?」
「政治が腐ってて貧富の差が激しくて、要人を何人か虜にすれば、乗っ取りやすい大国」
エフセイの胸に頭をあてて、真由香は即答した。
「女王になりますか?」
エフセイの双眸にかすかな火が灯った。
「エフセイは盟約者がその程度でいいの? もっと上を目指しましょう」
エフセイの表情が硬くなった。真由香にはその表情は見えない。
だが、身体にやや力が入ったエフセイの様子で、何もかも承知していた真由香がさらに話を続ける。
「どうせいつか死ぬんだから、どこまでも楽しみましょう。長く生きれば、いいってものじゃないわよ」
「……人間らしい考え方かもしれませんね」
エフセイは、真由香から水仙のような香りを嗅いだ。
「それよりも、残り時間を鍛錬にあてますか。効率的に鍛錬できますよ」
「経験値はすべて他の方に稼いでもらうわ。そんなつまらないことよりも、もっと楽しいことをしないと」
真由香は見上げて、エフセイの瞳をみつめる。
「何を、ですか」
エフセイの瞳に熱情の色が少しずつにじみ出てきた。
「わかるでしょう。天使だとできないのかしら」
真由香の身体がエフセイの秘所にあたる。
「いえ、できるでしょう」
身体の感触で真由香はエフセイの劣情を確かめた。
二人はじっと見つめあい、やがて唇を軽く触れあわせた。
唇を離したあと、エフセイは真由香の唇がやけに紅いことに気づいた。
その紅い唇を見ていると、エフセイはもう一度口付けたくなり、行動に移す。
真由香は自然にこたえて、満足したエフセイは今度こそ唇を放した。
「私がかつて交わったことのある人間が死んで、もう千年以上たちます。それから、交わりたいと思った人間は真由香が初めてです」
「まぁ、光栄。天使様とだなんて初めてだから、とても楽しみ」
二人はいつまでも、お互いの身体を貪る。
エフセイは真由香との交わりで得られる陶酔感に驚く。
自分は上級天使だというのに、たかが人間に……と、内心、エフセイは複雑な心境だった。
しかし、襲い来る快感がすべてを洗い流していく。
やがて、事がすみ、二人は睦言をかわす。
これからどうやって強くなっていくか、国々を支配していくか。
とても楽しげに二人は語り合っていた。
この二人の計画が順調にすすめば、多くの人々が破滅していくだろう。
しかし、二人の心は特に痛まなかった。
真由香がハイグラシアに降り、二人は一端の別れとなる。
「すまない、真由香。つきっきりというわけにもいかない」
「いいのよ、エフセイ。あなたはあなたのやるべきことをすればいいの」
二人はもはや、恋人のようだった。この光景を見れば、多くの人がそう思うだろう。
「私の召使にサポートさせる。真由香ならきっとうまくやれる」
「ええ、もちろん。そうそう、言い忘れてたわ」
「エフセイは人間にも知り合いがいるわよね?」
「ああ、いるよ」
「覚醒剤は身体に悪いわ。世界に蔓延して覚醒剤が手に入ったとしても、絶対に服用しないようにね。ちゃんと言ってあげるのよ」
「……真由香はやらないのか?」
「廃人になりたくないの。あれは相手にやらせるものよ」
エフセイは作り笑いを維持するのに苦労した。どうしても、ぎこちなくなっていく。
マユカはエフセイの表情を見て、妖艶に笑った。
「私って優しいでしょう。エフセイの知人が苦しむなんて嫌だから」
「ええ、とても。愛してますよ、マユカ」
「私もよ、エフセイ」
恋人にふさわしい言葉だった。
だが、その言葉にどれだけの想いがこめられているかは、二人にしかわからなかった。
二人は互いを抱きしめ、口付けをかわし、別れた。
エフセイはアウグナシオンに報告するため、神界の蒼晶殿へ向かった。
蒼晶殿はアウグナシオンが住まう城だ。
アウグナシオンの好みにあわせ、蒼と白を中心とした瀟洒な造りであった。
エフセイはアウグナシオンへの報告をすませて、自室へと戻った。
グラスに神水を入れ、立ったまま全て飲み干す。飲み終えたグラスを机に置いた。
高坂川高校の学生達を召喚したのは、アウグナシオンのためでもあり、配下である天使達のためでもあった。
異世界人は差こそあれ、全員優秀だ。
ハイグラシア人でも、英雄となる人間は何人も現れる。突然変異的に。
そういった過去の英雄達は異世界人より強いこともあった。
現在でも英雄と呼んでいい人間は何人もいる。
しかし、あまりにも希少すぎる存在だ。
英雄達を狙って盟約者にするのはほぼ不可能といってよかった。
そこで、この大規模召喚でアウグナシオンの配下である天使達は、強力な盟約者となる異世界人と盟約を結ぶべく動いたのだ。
そのために、盟約者が死んでいても新たな盟約を結ばず、召喚を待っていた。
その結果、一時的にアウグナシオンの勢力はやや落ち込んだ。
上級天使、中級天使、下級天使と順番に素質が高い人材を担当した。
そこまで知っているのはアウグナシオンと上級天使だけであった。
上級天使であるエフセイは当然、素質が高い異世界人を選んだ。
首席上級天使に最高の人材を奪われたが。
いつか、自分が首席になる。エフセイは常にそう考えていた。
だが、今の彼はアウグナシオンへの反逆までは考えてない。力の差が圧倒的だった。
ともかく、エフセイは力を増すために最強の盟約者が必要だ。
浅羽真由香という盟約者は最強になれるかもしれない。
今日の話し合いでエフセイはその可能性を感じた。
これからがとても楽しみであった。
彼女との交わりも悪くなかった。いや、正直に言って、かなりよかった。
たかが人間に上級天使である自分が本気になるわけがない。
エフセイはそう考えていた。
自分は二千数百年生きている。彼女は二十年も生きていない。
しかし、交わりを思い出すと、エフセイの甘い顔に笑みが浮かぶ。
まだ、彼女の水仙のような匂いが残っているように思えた。
全て、洗い流したはずだというのに――
やがて、その笑いをおさめ、エフセイは自室を出た。
上級天使の使命を果たすために。
エフセイはこれから何度も浅羽真由香と交わることになる。
交わるたびに、彼の魂は少しずつ彼女の魂に惹かれていく。
それだけでなく、魂の形が変質していくことになる。
魔法の影響でもなく、クスリの影響でもなく、彼女が持つ力によって。
彼は死ぬまで、そのことに気づかなかった――




