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(5) 聖暦一五四二年四月 初陣

 ミロシュはソヴェスラフ都市部の北へ向かう。

 ソヴェスラフ北西にはボグワフ鉱山があり、銀、銅、光石など様々な鉱物がとれるパーヴィリア王国最大の鉱山だ。

 鉱山の存在によってソヴェスラフは王国第二の都市となり、繁栄している。

 金属資源は極めて重要だが、鉱物の大多数は強力な魔物が存在する山地でしかとれない。

 なので、人間が完全に管理できている鉱山は少なく、ボグワフ鉱山はその一つだ。


 ソヴェスラフには騎士団、魔術士隊、警備隊の三部隊が配備されている。

 警備隊は治安維持、防壁守備が主な仕事だ。

 騎士団、魔術士隊の任務は南部国境警備、近隣町村の治安維持などがあるが、最大の任務は鉱山の防衛である。


 ミロシュは住宅地区、緑地公園を抜けて、北地区に入った。

 建物を観察すると、圧倒的に鉱工業関連のものが多い。

 鉱物の精錬場、鍛冶場、武具屋、防具屋など、ありとあらゆる金属関連の店舗施設が立ち並んでいる。


 多くの煙突からは煙がもくもくと立ちのぼり、周囲の空気は少しよどんでいる。

 現代地球のような環境規制がないのだから、当然だろう。

 北地区のまわりを樹木豊富な緑地公園にして煙害を緩和している。


(マスクをつけるべきかな)

 根が日本人なミロシュは、北地区を歩きながらそう思った。


 北地区を通り過ぎ、ミロシュは北東門に至った。

 鉱山に向かう北西門は騎士団、魔術士隊、鉱山関係者、通行許可証保持者以外、通行できないからだ。

 北東門を通過すると、いわゆるスラムのような住宅地区に出る。

 建物は木造のあばら家がほとんどで、見るからにみすぼらしい。

 北地区と隣接していて空気が悪く、なおかつ石壁の防御がないこのあたりは地価がもっとも安い。

 緊急時には見捨てられるだろう。石壁内部しか防衛義務はないのだ。


 しかし、スラムのようだといっても治安はそれほど悪くない。

 森林が近いだけに魔物を警戒するため、警備隊の見回りが多いからだ。


 また、立派な木の杖を持ち、いい仕立てのローブを着ているミロシュが魔法使いであるのは明らかであり、ちょっかいをかけようとするものはいない。

 ミロシュは一見、女の子に見えるような容姿だが、魔法使いの強さは容姿で判断できないのは常識である。魔法で容姿を偽っているかもしれないのだ。


 多少身構えていたが、ミロシュは何事もなくスラム地区を抜けた。ここまでがソヴェスラフ都市部だ。


 そこから、ごくごくなだらかな上り坂になっている平原を三十分ほど歩くと、一面に広がるマレヴィガ大森林が遠方に見えてくる。

 冒険者最大の稼ぎ場であり、最も多く死を迎える場所だ。

 大森林の奥には山地が広がっている。緑色で木々が生い茂っている。

 最も高い山は富士山よりも高いのではなかろうか。

 一定の高さ以上は真っ白であり、雪が残っているのだろう。

 高山地帯は濃密な魔力を好む上位の魔物、竜などが生息しており、力弱き者の侵入を許さない。

 ミロシュにとって、まだ縁なき場所だ。


 ミロシュは雄大な大自然を見て、高揚と恐れを同時に抱く。

 森近くの草原は野犬や狼に遭遇する可能性がある。

 今いる場所からは逆にゆるやかな下り坂となっており、周りを見回しながら、森へと慎重に歩いていった。


 約十分ほど歩くと左側から、何かが近づいてくるのが見える。

 野犬か狼のようだ。ミロシュは有利に戦える場所を探した。

 一面が切り立った壁になっている高さ一メートルほどの丘を見つけ、移動する。

 ここなら、四方八方から攻撃されるのは防げるだろう。


 今になって、平原では土魔法の有用性に気づく。

 完全な平地であっても土魔法を使えば、簡単な土壁や堀をつくり、大勢に囲まれる危険性を減らせる。

 しかし、ないものねだりをしても仕方がない。

 この場所があった幸運をミロシュは感謝する。


 丘に移動したミロシュを追って、野犬か狼のようなものが近づいてくる。

 三頭いるようだ。こちらに疾走してきて、距離がせばまる。


 ミロシュを狙っているのは明らかだ。

 多数相手は避けたかったが、逃げても追いつかれるだろう。

 殺意を持った敵と相対するのは初めてだ。心臓の鼓動が早くなる。

 ミロシュは落ち着け、と自分を叱咤する。

 自分はこれまで鍛錬してきたんだ、戦える力はある、と自分を説得して心を落ち着かせる。


 冷静さを取り戻したミロシュは三つの火球を同時にはなつべく身構える。

 接近してきた敵は茶褐色の毛並みで中型犬に見える。

 近づかれたら厄介だ。

 地球の中型犬なら、杖があればおそらくあしらえるだろう。

 しかし、ハイグラシアの野犬がどの程度の力かはわからない。

 ミロシュは杖術スキルなど持っていないのだ。


 ミロシュは犬が好きだった。

 だが、相手は飼い犬ではなく野犬だ。

 もちろん、話し合いなどできないだろう。

 どちらが餌になるか、そういう関係なのだ。


 野犬三頭は四十メートルくらいまで近づいてきた。

 ミロシュは魔法を放つ衝動にかられる。

 しかし、距離があれば避けられるだろう。

 じっとこらえる。さらに走って近づいてくる。

 二十五、二十、十五メートル! 間合いだ!


「火球よ、いけ!」

 ミロシュは叫び、杖を犬のほうにかかげた。

 三体の火球を野犬めがけて放つべく、頭の中でイメージする。

 火球が杖の先より次々と生まれ出で、詠唱者の敵を殲滅すべく発射される。

 火球は恐るべき速さで野犬に殺到していく。

 二匹の野犬は回避できずに火球が命中し、「キャンッ!」と一声あげて倒れ伏す。

 しかし、一匹の野犬はかろうじてかわすのに成功する。

 それで走る勢いが落ちるも、再度ミロシュへ走り寄ってくる。

 ミロシュはその様子を見て、火球を再び放つ。


「いけっ!」

 先ほどよりミロシュに近づいていたのが仇になり、火球は野犬に命中する。

 灼熱が野犬を焦がす。野犬は一声あげ、地面に倒れた。

 ミロシュは野犬のほうに目を凝らす。三匹とも動きはない。

 ふと思い立ち、ミロシュはギルドカードを確認する。野犬三体の撃破が記されていた。

 ステータスを確認すると、わずかだが経験値が上昇していた。


「勝てたんだ……」

 ミロシュはつぶやき、脱力する。

 蚊などをのぞいたら、これが初めての殺しだ。

 しかし、罪悪感はない。

 相手も殺意を持っていた。正当防衛だ。

 だが、そういう言い訳を考えること自体、完全には割り切れていないのだろう。

 それはわかっている。


(慣れるしかない)

 ミロシュの表情は勝者というよりも敗者のようであった。


 髪が汗で額に少しはりついていた。

 ミロシュは自分が汗をかいていたのに気づく。

 タオルを取り出しできる限り汗を拭う。風邪をひくわけにいかない。

 気を取り直し、森へと歩き出す。

 野犬の死体は放置してある。常時依頼されている魔物に素材としての価値はない。


 森に到着した。樹木が立ち並び、枝葉に視界が遮られる。

 林道以外を歩くのはやはり避けたほうがいいだろう。

 ミロシュは気配察知を使いながら、林道の入り口を探すべく森の外縁部を歩き続けた。


 しばらく歩くと、森の方から数体の気配が感じられた。

 人間ではない。未知の気配である。魔物かもしれない。

 ミロシュは様子を探るため、気配がする場所のやや手前に石を投げてみる。

 すると、木々の陰、落ち葉の陰から、巨大な蟻が石のほうへ寄ってくるのがわかる。


 あれがミドルアントか。五、六メートル先に五十センチほどの蟻が数匹、うごめいている。

 これはチャンスだ。ミロシュはミドルアントを殲滅すべく、火球をその場所へ三発叩き込む。

 火球は全て命中し、蟻三匹の足が何本かちぎれとぶ。

 だが、まだ動くミドルアントが一匹いたので、火球を再度放って倒した。

 念のため、ギルドカードを確認すると、ミドルアント四匹撃破と記載されていた。


 先ほどの野犬と違い、あっさり倒せたことにミロシュはあっけなく感じる。

 経験値も報酬もミドルアントのが野犬よりも低い。

 しかし、危険性を考えるとミドルアント相手のが望ましい。

 野犬は素早く、魔法を当てる前に接近されるかもしれないからだ。


 ミドルアントとまた出くわさないか、ミロシュは期待しながら、外縁部を再び歩く。

 期待通り、三匹のミドルアントと出くわし、撃破に成功した。


 ここで、残り魔力が約半分になる。

 魔力がきれれば、ミロシュの戦闘力は激減する。

 敵と出会えば、かなりの確率で死ぬことになるだろう。

 魔力を回復するため、瞑想を行いたいが、こんな場所で精神集中などとてもできない。

 ひとまず、ソヴェスラフ都市部に戻ることに決める。平原を歩くが、無事に到着した。


 空腹感を感じたので、ミロシュは買っておいたパンを食べる。

 パンを食べながら、どこで瞑想をすべきか考えたが、安全なのは門番がいる門近くだろう。

 門近くであぐらを組んで精神集中するが、門番から視線を浴びる。

 さすがに少し気が散り、都市部の方を見ると、革鎧を着て槍をかついだ女の子が一人やってくる。


(あの女の子もソロなんだ)

 自分と同じソロの冒険者を見て、ミロシュは少し感慨にふける。しかし、


(門近くで座って変な奴)

 と、女の子から思われていた。

 黄金の髪と瞳、やや釣り目で勝ち気そうに見える美少女の容貌に、ミロシュは瞑想の邪魔をされる。

 ついつい見てしまうのだ。

 そして、女の子の耳は長耳であり、おそらくエルフだと思うとますます目を凝らしてしまう。

 しかし、女の子の視線には冷淡な色がみてとれ、凝視しすぎたかとミロシュは慌てて目をつぶり瞑想に入る。

 女の子は通り過ぎ、ミロシュは瞑想に入って、多少気が散って時間がかかるも魔力を回復した。


 ミロシュは再度森を訪れ、林道の入り口を発見する。

 少し考えるが、林道に入ることにした。

 周りの気配をうかがいながら、ゆっくりゆっくり歩く。

 やがて、ミドルアント、野犬とも人間とも異なる気配をつかむ。

 今まで感じた気配の中で最も弱く、集中しないとわかりづらい。

 約五メートル先に何かがいるはずだが、それらしきものが見えない。


 ただあるのは、樹木とそれにからむ蔦があるだけだ。

 そこで、ミロシュはふと気づく。

 魔物の一つに歩行蔦がいたことを。

 ただの蔦にしか見えないが、気配のある場所へミロシュは狙いをつけて、火球をとばす。

 火球が蔦、枝に命中すると共に、燃え上がって奇妙な方向に折れ曲がった。

 近づいて焼け残った部分を見るとけっこう太いとげが多数ある。

 このとげを使って攻撃してくるのだろう。

 歩行蔦の名前どおり、移動もできるようだ。

 ギルドカードを確認すると、歩行蔦二体の撃破が確認できた。

 得られた経験値、ギルドでもらえる報酬はミドルアントよりもさらに少ない。

 しかし、ほとんど苦労していないので、ミロシュは納得する。


 それから、ミドルアントと歩行蔦を何体か撃破した時には、日が落ちはじめていたので探索を終える。

 薬草を見つけられなかったのは残念だが、森のほんの手前しか入っていない。

 赤いリボンが結ばれた木すら見ていないのだ。仕方ないだろう。


 ギルドに戻り、ユディタにギルドカードを提出する。


「無事で何よりだわ。手続きをすませるから、少し待ってて」

「お願いします」

 ユディタはミロシュのギルドカードを受け取り、奥へ行く。

 しばらく待つと、ギルドカードとお金を持ってきた。


「お待たせ。野犬三匹、ミドルアント六匹、歩行蔦七匹で千七百六十セルドスね。確認して」

 ミロシュは銀貨と銅貨を数えて、確認する。


「確かにいただきました」

「初めてにしてはかなり多い方よ。歩行蔦をこれだけ倒せるのが大きいわね」

「え、歩行蔦が一番弱かったですけど」

 ミロシュは気配察知で歩行蔦に気づくと、離れた場所から焼き尽くしていた。

 危険なくいいカモなのだ。


「あれは見つけるのが難しいから。気づかずに近づいて奇襲を受けて、死なないまでも怪我をすることが多いのよ」

「そういうことですか」

 確かに気配察知がなければ、歩行蔦を見つけるのは至難だ。

 ミロシュは気配察知を取得していて正解だったと思う。


「明日も探索をがんばるの?」

「はい。今日はこれで。失礼しました」

「お疲れ様」

 今日は思ったよりも稼げた。ミロシュは満足だ。

 食費を切り詰めるのはできるかぎり避けたい。

 なので、家賃と食費を考えると一日最低千二百セルドスは必要だ。

 コンスタントに千七百六十セルドス稼げれば、体調が悪い時は休めるだろう。


 ミロシュは食堂で食事後、家で着替えてから大浴場へ向かう。

 やはり、今日は疲れたし、疲労回復のためにもこれくらいの贅沢は許せるだろう。


 受付で銀貨二枚を渡し、脱衣場に入る。男女別々だ。

 手早く服を脱ぎ、浴場にいく。先客が十数人いた。

 比較的、年配の男性が多かった。入浴料の高さが影響しているかもしれない。

 浴場には湯舟が三つあり、三段階の温度にわけられている。

 ミロシュは湯をかけて体を洗った後、真ん中の湯加減に設定された湯舟につかる。

 この湯加減がミロシュにとって、一番心地いい。


 湯舟で今日の探索について振り返る。

 この分なら、十分やっていける。

 そういう手ごたえが感じられた。

 鍛錬は無駄じゃなかったし、充実感があった。

 明日でレベルアップできるだろう。

 スキルを取得すれば、戦いが少し楽になる。


 明日もがんばろう。

 生きていくために。


 ミロシュは湯舟の中で大きく伸びをした後、湯に身をゆだね、表情が和らいだ。

 久しぶりの安らかな表情であった。

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