(1) 学校召喚
完結できた時、気が向いたら、読んでみて下さい。
◇ ◇
第一部最終話の次のページに、舞台となるバルナシュト大陸東部の略図があります。
その次からは登場人物一覧となっていますが、ネタばれ要素がありますので、
注意して下さい。
僕は数ヶ月前まで幸せだった。
当時はそれが普通だと思っていた。
失われてから、僕はそれが幸せだと気づいたんだ……
名村隼人は冴えない表情で溜息をつく。
うんざりする日常も険しい将来も考えたくない。
しかし、考えざるを得ず、憂鬱だった。
今日の最後である国語の授業をうけているが、ほとんど頭に入らない。
気だるげに窓の外を眺めるばかりだ。
すると、校庭に植えられている樹木の枝に、小鳥がとまっているのが見える。
眺めていると、小鳥が羽ばたき空に舞っていく。
隼人はつい窓の外へ、ふらふらと手を伸ばした。
授業中だったが、今の隼人には関係ない。
生徒の何人かは隼人に奇異な視線を向けた。
だが、それも隼人にはどうでもいいことだ。
小鳥は飛び立ち、空を舞って、やがて見えなくなる。
隼人は灰色の目線で、小鳥が見えなくなった辺りを見つめていた。
(あの小鳥は憂鬱になったことなんて、ないんだろうな……)
小鳥が自由に空を舞う姿に、隼人は憧憬を感じる。
そうこうしていると、授業時間の半ばがすぎた。
時計の針が十四時四十分をさした時、隼人は憂鬱から解放されることになる。
突如、教室の外が漆黒の闇に包まれ、何も見えなくなった。
クラスメートがざわめく。
数人が立ち上がる。
「なんだ、これ!?」
「きゃっ!」
隼人は顔をしかめ、騒々しさに耳を塞ぎたくなった。
だが、声はひとまずやみ、静寂を取り戻す。
誰かが、「ごくり」とつばを飲む音が聞こえる。
人間離れした美貌の女性が頭上にあらわれたからだ。
美貌も極めつくされると、性欲の対象というよりも畏敬を感じさせるらしい。
生徒達は、女性が発する圧倒的な存在感にのまれてしまった。
女性は白い羽衣を身にまとっている。
淡く輝く白色のオーラのようなものを発し、その壮麗さは人間が持てるものではない。
その女性が話しかけてくる。
「高坂川高校生徒の皆様、どうも初めまして。私は異世界『ハイグラシア』に所属する人間の守護女神アウグナシオンと申します」
自称女神の声は高らかに響き、天上の音楽のようだ。
見上げている隼人の視線は、女神に釘付けとなっていた。
いや、クラス全員がそうであった。
クラスの何人かが再び騒ぎ出す。
「いったい何なんだよ、これ!」
興奮した同じクラスの男がそう叫んだ。
(この女の人は一体……まさか、こんなことが起きるなんて……)
隼人もまた同感だった。
クラスメートの多くから声があがる。
「テレビの撮影とかじゃないよね?」「……夢じゃないよな」
授業を行っていた男性の教師は呆然としていた。
「申し訳ないですが、騒がれると話が進みません。私の言葉以外、聞こえなくしてしまいますね」
その言葉と共に、隼人にはクラスメートの話し声が聞こえなくなる。
(こんな事ができるなんて、人間じゃない。まさか、本当の神様……)
頭上の女性が人間ではないことを、隼人は痛感する。
「では、話を続けます。私はこの世界に所属するある神と賭け事をして勝ちました。その結果、皆様を召喚する権利をいただきました。つまり、皆様は私が所属する世界『ハイグラシア』に移住することとなり、この世界にはまず戻れません」
(神が僕達を賭けてギャンブルだって!? でも、お坊さんも司教も不祥事だらけだ。神が博打をしていても、おかしくはないのか……)
隼人は呆れると共に、妙に納得する。
「絶対に戻れないわけではありません。もし、あなた方が神のような力を得ることが出来れば、戻れるかもしれません。もっとも、それだけの力を得るにはかなりの時間がかかるでしょうし、その時には戻りたいと思っているかどうかわかりませんが」
(戻るのに数十年かかるとすれば、あいつらは死んでるだろうな。それはそれでいい。あいつらにもう会いたくないのだから。でも、妹は……)
隼人の顔は薄暗い翳りを帯びる。
「不満な方がほとんどでしょうけども、移住するメリットもあります。あなた方七百二十人は移住先の同い年の人間よりも、ずっと強いですからね。巧みに生きていけば、皇帝や国王にもなれるでしょう。豊かな財産を築くのも簡単です。ただし、失敗すれば死ぬことになりますが。私がこの移住を行うのは、人間の守護女神として『ハイグラシア』の人間を強化するためです。皆様には期待しています」
(それは確かに大きなメリットだ。僕はこのままだと、勉強する気にもなれないまま、ドロップアウトするだろう。今の状況から抜け出して、やり直せるのなら……)
隼人は机に両肘をついて手を組み、頭を乗せて考え悩んだ。
「そうそう、『ハイグラシア』の説明をしないとダメですね。『ハイグラシア』は皆様の多くがプレイしたことのあるRPGに近い世界です。種族としては人間が一番多いですが、エルフ、ドワーフ、獣人、竜人、魔族などがいます。見境なく襲ってくる魔物がたくさんいるのが欠点ですね。なので自衛するために、剣や槍などの武器もしくは魔法を用いて戦う必要があります」
(強い装備を身につければ、強くなれるのかな。僕みたいに鍛えてなくても。……いや、ゲームなら勝てるだろうけど、現実だと勝てるかどうかわからない。負ければ……)
その先を想像して、隼人は暗鬱な表情になる。
「強くなりたければ、他者を倒すと経験値が得られてレベルアップできます。レベルアップすれば、レベルポイントとスキルポイントが得られます。レベルポイントを能力値に、スキルポイントをスキルにわりふれば強くなれますよ。鍛錬や修行でも強くなることは可能です」
(本当にゲームみたいだ。だけど、命がけ。負ければ死ぬってことか……)
隼人は俯き、嘆息した。
「移住する場所はランダムで決まります。それでは『ハイグラシア』でのステータスを決めましょう。皆様にはアドバイスを行う天使を送ります。天使はみんないい子なので仲良くしてくださいね」
(天使ってどんなのだろう。頭の上にわっかがついているのかな。いや、そんなことを考えてる場合じゃないや。他のみんなはどう思ってるんだろう)
隼人が周りを見渡すと、クラスメートは様々な表情を浮かべていた。
多くが不安げな表情だが、何人かは笑っているように見える。
(僕みたいに違う世界でやり直したい人もいるのか。でも……)
隼人はある男子生徒の笑い方が不気味に思えた。
「皆様が『ハイグラシア』に来られれば、私は人間の守護女神として皆様を守護いたします。私はあなた方を捨てた地球の神とは違います。皆様が私を信じて下されば、私はそれに必ずこたえましょう。皆様の未来に幸あらんことを」
女神にふさわしく神々しい表情を見せ、その言葉と共に女神の姿は消え失せた。
神にしてはときおり気安い口調であったが、最後の言葉は多くの生徒達を感動させた。
隼人も心がゆさぶられる。
(あの女神の顔と声が頭から離れない。なんだろう、これは。確かに、すごく綺麗だったけども。何か、他にも理由が……)
隼人が考えていたら、暗転し、完全に何も見えなくなった。
驚愕する間もなく、別の女性の声が聞こえてくる。
「まずはステータスチェックをお願いします。ステータスと念じましょう」
恐る恐る、隼人はステータスと念じてみる。すると、頭の中で下の文字が表示された。
===============
名前:ハヤト=ナムラ
年齢:16 性別:男 種族:人間
身分:平民 経験値:120/200
レベル(残りポイント3):2
体力:36/36 魔力:36/36
腕力:20 持久力:20 敏捷:21
器用:19 魔攻:22 魔防:23
スキル(残りポイント57):
翻訳読み書き(万能)
称号:
異世界人
特記事項:
入信:アウグナシオン
===============
(本当にゲームみたいだ。だけど、ゲームじゃない。この数値を把握するのが今後の命綱になるんだ)
ステータスに、隼人は眼を凝らしていく。
「ハイグラシアで生きていくために必須なスキルは、前もってつけさせていただきました」
(翻訳読み書きのことか。絶対に必要だろうし)
「次に、平均的な人間のステータスを表示します」
隼人は表示されたステータスを確認したが、ステータスもスキルポイントも自分と比べて、かなり低かった。
先ほどの女神が言ったとおり、自分達が強いのは間違いなさそうだ。
「比較すれば、あなたがかなり強いことがわかるかと思います。それでは残りのポイントを二十四時間以内にわりふってください。時間内に決められなければランダムで決まります。また、今の期間だけ獲得できるボーナスも各種スキルのほかに用意してあります。頭の中で念じれば、色々見つけられるので調べてみて下さい。試しにスキルをつけてみて、強さを確認することも可能です。確定と念じるまでいくらでも付け替えられます。それでは始めます」
言葉が終わると共に、隼人はだだっ広い草原のようなところに転移した。
見渡す限り、草原が続き、地平線が見える。
「どうも初めまして。あなたをサポートする天使のサララです」
転移と同時に、隼人の近くにはアイドル顔負けの可憐な美少女がいた。
人臭さを感じさせない純真な容貌はまさに天使だ。
背中に届こうかというホワイトブロンドの長髪で、肌は抜けるように白い。
白基調の衣装をまとい、澄みわたった青空のような瞳がとてもかわいらしく微笑んでいる。
「えっと、名村隼人です、よろしくお願いします」
隼人はこんなかわいい女の子と一対一で話すのは初めてだ。
少し緊張してくる。
しかし、今までの言葉が真実なら、あっさり死ぬこともある危険な世界へ行くことになる。
そう思うと、隼人は気分が引き締まってきた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。何か質問はありますか?」
サララの声は鈴が鳴るようだ。
こんなかわいい声を聞くのも初めてで、隼人はうっとりしそうになる。
「はい、ゲームみたいですけど、これは本当の異世界転移で、死ねば死ぬんですよね?」
まずは情報が必要だ。
隼人は質問攻めにするつもりだった。
「その通りです。蘇生魔法はありますが、ゲームみたいにリセットはできません。ハイグラシアに降りる時、一月ほど生きていくために必要な最低限の品はお渡しします」
隼人から見て、サララの微笑みは可憐で邪気は感じられない。
それゆえに、言葉に含まれた過酷さが隼人を打ちのめす。
本来なら気を落とすべきだろう。
命がけで戦わないといけない世界に放り出されるのだから。
しかし、隼人はなぜか高揚感を感じていた。
いや、実は疑問に思ってはいない。
これでうんざりする日常と険しい将来から解放された。
高揚して当たり前なのだ。
名村隼人の両親は一ヶ月前、離婚した。原因は父のリストラだ。
家電メーカーに勤めていた父は不景気であっさりと職を失い、母はそんな父を捨てた。
父と隼人は父方の実家に引越し、母と妹は家に残ることになる。
隼人は少し抵抗して離婚を受け入れた。
妹は家族がばらばらになるのを嫌がり、かなり抵抗した。
でも、最後はあきらめざるを得なかった。
無収入の子供にはどうすることもできないから。
妹は二つ年下でとても可愛い。何回も告白されたようだ。全員、ふったようだが。
恥ずかしい言葉だが、最愛の妹だろう。
その妹が話した最後の言葉は忘れていない。
「名字はかわっても、私はお兄ちゃんの妹だよ。また会おうね」
涙を流す妹の頭を優しく撫でながら「もちろんだよ」と返事した。
自分も泣きそうになった。でも、我慢した。
妹の前では頼られるべき兄だから。
それから、父親の実家に引越し転校した。
高坂川高校にはまだ一ヶ月ほどしか在学しておらず、クラスメートと少しは話をするようになったが、親しいといえる友達はいない。
父には同情していた。これまで自分と妹を養ってくれていたのは父だ。
小さい子供のころ、遊び相手にもなってくれた。家族一緒の旅行は楽しかった。
とても楽しい日々だったんだ。
だが、離婚後、父はかわった。酒びたりでグチしか話さなくなった。
アル中になりつつあり、酒をやめるよう言っても聞いてもらえなかったのだ。
父に対する感情が冷えるのを自覚するようになった。
そんな父から大学に行きたければ、自分で金の工面をするよう言われている。
それ以前に収入が祖母の年金しかない。
祖父はもう亡くなり、父は酒びたりなのだから。
貯金がなくなる前に自分もバイトをして生活費を稼ぐ必要がある。
そんな状態で大学に通うための資金も自分で確保しなければならない。
将来の険しさが見えていたのだ。
大学受験は重要だ。就職するにあたって学歴の差は極めて大きい。
だが、わかっていても受験勉強どころかバイトも何もやる気になれない日々。
この一ヶ月、最悪の心境だった。
しかし、それらから解放されたのだ。
現状に比べれば、異世界の方がチャンスがある。先ほどの説明が真実なら。
隼人はそう考えていた。
ただ、妹に二度と会えないのが心残りだ。
この世界に対する唯一の未練であった。
◇ ◇
アウグナシオンは、彼女が創造した天使達と生徒達のやりとりを全て聞いていた。
闇の中で七百二十の窓が浮かび、彼ら彼女らが話をしている様を映し出している。
「何とかして、戻れないんですか!?」
地球から離れたくない生徒はそう叫んだ。
「私と一緒に強くなりましょう」
「はいっ!」
天使に一目ぼれし、彼女の望むがまま、力を求める生徒がいた。
「……力があれば、何でもできるんですよね?」
心に深い闇を抱えていたある生徒は天使にそう問い質した。
「俺には付き合ってる彼女がいるんです。一緒の場所に降ろして下さい!」
かわいい彼女がいた彼はそう懇願していた。
「私はお兄ちゃんと一緒にいたいんです!」
兄を捜し求める妹だ。
「……あの女神様の話しぶりだと神にもなれるってことですよね?」
さらなる高みを目指す生徒もいた。
「人間いつか死ぬんだから、死ぬ前に派手な事をやってみたいな」
陽気にそう語る生徒もいた。
アウグナシオンは満足していた。
様々な理由があれども、力を求める人間達が多い。
それは彼女にとって、もっとも重要な事だ。
彼女が創造した天使達が、生徒達を導く様子は彼女にとって微笑ましい。
高坂川高校の生徒達は天使達と一緒に、どんな力を手に入れるか模索し続けている。
『ハイグラシア』を生き延びるために。
自分の目的を果たすために――