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母妖 刹牙

生まれ出でた恨みと呪いの権化。

     

そのモノが歩く後には草木、野花であっても、その精気を失い大地と共に枯れてゆく。

     

森羅万象あらゆるものが精を失い、色あせ、荒れ野と成る。

     


「我が道は……煉獄の道……」



煉獄は異教の最終浄化の道であると云う。

     

なぜの怪がそう口ずさんだのか、彼自身すら判りはしない。

    

ただ其の歩みは真っ直ぐに北を目指す。


「面倒じゃのお、姿を見せよ」


不意に立ち止まった怪が呟くと、一頭の魔獣が姿を現す。

     


漆黒の毛は夜の闇よりも深く、其の双眸は妖力を湛え、金色こんじきに輝いている。

     

大地を踏みしめるその足先に鈍く光る鋭い爪。

     

其の身からは、青白い妖気がほむらとなって立ち昇っている。

     

其れは、年老いた一匹の黒い狼。

     

百年にわたり近隣を治めてきた黒い狼、刹牙せつがである。



しわがれた老婆のような声であったが、どことは無しに誰もが懐かしい、暖かい声が辺りの気を震わせて聞こえて来る。


「気づいておったか……」


「ケダモノ臭い」


怪は涼やかな声で言い放ったが、眼差しは刹牙に向けられる事無く豊かな睫毛静かに伏せてきらめかんばせに影を作っている。


刹牙は用心深く低く構え、目の前に立つモノを眺めた。


だが、怪の冷たく美しい横顔は何の感情すら窺い視る事は出来ない。


「キサマ、闇丸……ではないな。そして、鮎影……とも違う」


「ほう――では、我は、誰じゃ」


「――生まれたての赤子のようじゃ……。だが、赤子の割にはよう殺したのお」


「そうか」


「己の歩んだ道を振り向いてみるが良い。草木一本、蟲一匹残っては居らぬわ」


怪は、世に生み出だされ、初めて己に語りかける此の美しい獣に云われ、片眉を上げ美々しい首をぐるんと真後ろへと回す。

     

己の歩いた其の辺りだけ、緑の野に在っても其の道筋だけが荒涼と枯れ果てていた。


「なるほど……」


「其の身の力を制御することも出来ぬのか。凶悪なことよ。赤子といえども捨て置けぬな」


ぐるりと元に戻した顔は、口端を耳まで吊り上げ嬉々として嗤っていた。


「ナラバオマエモ死ね」


「嘗めるなよ、ひよっこがっ。キサマは殺しすぎた。我に下って従うも良し、さすれば其の力を制する技を教えよう」


「従う?」


「さもなくば」


「さもなくば?」


「此の刹牙が、母妖ぼようの名にけて其の首引き抜いてくれようぞっ」

     

の大妖怪、鳴滝と肩を並べる強大な妖力。

     

山に野に、沸き、生まれる微弱な狐狸妖怪を護り治めてきた刹牙。

     

いつしか物の怪も人の子も、この年老いた狼を、畏敬を込めて母なる怪、母妖ぼようと呼ぶようになったのである。


「母妖……母か……母君か。ならば乳をくれ母妖殿。其の老体ではもう、出ぬか……それでは生き血をおくれ。子は乾いて居るぞ、飲ませてくりゃれ」


「ちっ、言葉も通じぬ程におさないか。稚児ちごといえども容赦はせぬぞ、掛かってまいるか」


「おお、遊んでくれるか、母妖殿」


怪はうきうきと、一転の曇りも無い笑顔をたたえ、禍々しい真紅の髪を大きく広げた。

     

髪はうねりながら蠢く紅い蛇となって、刹牙に伸びて其の四肢を捕らえる。

     

ずるずると刹牙を引き寄せながら、甘え声で呼びかける怪。


「抱いてくりゃれ、母妖どの」


「哀れよなあ。天はまた、なんとむごいモノを産んだのじゃ」


「天。 天が我を望んだのか」


「さあな」


「では、では、天も殺すっ」


「よしよし、我が送ってしんぜような」


刹牙は天に届けと云わんばかりに空を仰いで大きく遠吠えを響かせた。

     

黒雲が沸き出で空を覆う。

     

雷鳴が唸る中、いかずちが四肢を捕らえる血よりも赤い蛇どもを焼き尽くした。

     

其れを視てつぶらな瞳を大きく見開き、童のようにはしゃぐ純粋な悪。


「おおっもっと、もっとじゃっ。愉しいのう、愉しいのうっ」


「キサマ、名はなんと云う」


「ん…… 我は……我は……」


「名も無いか。やれやれ、仕方が無い。名も無く死するはあまりに不憫」


「我は……誰じゃ……」


「其の道を、煉獄の道を歩むと云うなら。逝って浄化を達成させよ……。此の母妖が名づけてやろうっ、キサマの名は煉獄丸、罪と名を問われたら、煉獄丸と名乗るがい!」


煉「れんごくまる。煉獄丸、そうじゃ我は煉獄丸。我が名は、煉獄丸じゃ!」


怪であっても慈愛を知る母妖、刹牙。

     

倒さんとする、此の禍々しくも哀れな怪の名付け親となったのである。


「――ゆくぞ!」


刹牙は漆黒の風となって、真っ直ぐに目指し、襲い掛かる。

     

さながら黒いつぶてとなり、突き当たる刹牙。

     

次々と空より無数の雷が煉獄丸へと降り注ぐ。

     

身体を貫く激しい雷光の中、煉獄丸と名づけられた其の怪は――。

     


――嗤っていた――


童のように目を輝かせ、浮き浮きと声を弾ませる。


「もうよいか? 我の番か? ではゆくぞ、母妖殿、殺す、殺すぞっ」


煉獄丸の髪より生まれ出で、襲い飛ぶ無数の赤蛇あかへび

     

目にも留まらぬ速さで蛇を避け、突き進む刹牙。

     

鋭い爪も牙も、後ほんの一寸という所で届かず大きく弾き飛ばされる。

     

刹牙は地に打ち付けられる前に、身を転じてすっくと大地に降り立った。

     

瞬時に大きく大地を蹴り、見えぬほどまで高く飛ぶと今度は槍のように落ちる数十の雷と共に、敵を目掛けて頭上へと真っ逆さまに落ちてくる。

     

轟々《ごうごう》と音を立てて降下する刹牙の鋭い牙が狙うは、煉獄丸の細首のみ。

     

「うふ、うふふふふ。うふふふふふふ」


嬉しそうに目を細め、大きく手を広げて其れを受け止めんとする煉獄丸。

     

麗しい顔の口から下が、がばりと割れる。其の口に並ぶ無数の針のような牙が母妖を焦がれて待ち受ける。

     

燃え立つような赤い髪は、赤蛇を生み出すだけでは飽き足らず、次から次へと触手となり空へと伸びる。

     

「っ!」


刹那、一筋の白光びゃっこうが何処からとも無く現われる。

     

光は光球となって、煉獄丸に牙を剥き、空より降り下る刹牙を包み、捕らえて、また何処へとも無く飛び去っていった。

     

一連の瞬時の出来事に、煉獄丸は烈火の如く怒り、吼える。


「誰じゃ、誰じゃああああああっ!我の母妖じゃ、返せっ、戻せえ、母君、母君いいいいいいぃぃぃ!!」」


晴れゆく空に、煉獄丸の雄たけびだけが何処までも響き渡っていた。



煉獄丸を倒すため、自らその牙を恐れず戦おうとしていた黒い狼、母妖、刹牙。

     

空より降下する其の刹牙を抱き包んで飛び去った光球こそ、観音力を操る巫女姫千鶴の従者白鳳丸であった。


「離せ、ええい降ろさぬかっ。離せというのにっ」


激しく暴れる刹牙。

     

もがこうとも光球は黙して語る事無く、北を目指して飛ぶのであった。


「ええいっ、離さぬか無礼者」


抱えられ、もがく刹牙に押し黙って何も語らぬ白鳳丸。

     

熱く静かに燃えるその双眸は、ただ北を目指して真っ直ぐに飛んでゆく。

     


北の果て清浄なる白樺の木々に囲まれた湖。

     

流れる雲の映る水面を見詰める乙女が独り、傍には数羽の鶴の群れが羽を休めている。

     

雲の切れ間より美しい大きな白い翼を広げ、白鳳丸が舞い降りてくる。

     

その姿を、じっと湖面に目を凝らして眺めていた乙女は、彼の手に抱かれた一匹の黒い狼を見ると小さく声を漏らす。


「よしっ」


降り立つ白鳳丸が腕を離すや否や飛びのいて構える刹牙。

     

だが、瞬時に白鳳丸の手より放たれた白い縄に首元を捕らえられて、牙を剥いて低く唸る。


「おのれっ」


「残念だが、こいつは切れねぇよ。俺の羽を織り交ぜて、お嬢が編んだ縄だ」


「白鳳丸っ、手荒にするでない」


凛とした乙女の声に白鳳丸はぎゅっと縄を握りなおす。


突然我が身に起きたこの無礼な振る舞いに、刹牙は牙を剥いて低く唸った。


「ウウウ」


「お客さん次第でさぁ」


力強く引く刹牙、白鳳丸と相打つ其々の気のぶつかりに湖の水面が波紋を起こす。


「うおぉおおおおおっ」


ビリビリと辺りを震わす咆哮に乙女が鈴の音の様な声で叫ぶ。


「聞くのだっ、山の王よ、私は千鶴。天意によって生くる者だ。そなたに危害を加えとうはない、話をしたいだけだっ」


「黙れ小娘! 人の子の分際でっ。これが天意を得る者の仕業であるなら、天は我を今直ぐに滅するがいい、そなたの卑しいその細首を我が噛み砕く前になあっ!」


「おもしれぇ、わしがその首、引き千切るが早いか、やってみるかっ」


「白鳳丸!やめよ、縄を解くのだっ」


「お嬢、そいつは――」


「――良い、山の王、刹牙殿。母妖と名高い慈愛深い怪であると聞いています。ご無礼いたしました、どうか話を、話を聞いてください」


敬意を払って礼を尽くす。千鶴と名乗る乙女は、真っ直ぐに巨大な狼の眼を見つめ語りかける。


「むううぅ……」


「貴方が先程対峙されていた怪、あれは、此の世に在ってはならぬモノです」


強く縄を引いて抗っていた刹牙であったが、千鶴の言葉に油断なく構えながらも、ゆっくりと右に左へと歩きながら耳を傾ける。

     

だがその鋭く光る双眸には、嘗て煉獄丸に一瞬向けられた慈愛の影は窺えない。


「あれは、あのモノは、人妖じんようにかかわらず、空に大地に、陸海問わず穢れを振りまき、仇を成す」


「それがどうした」


「あなたの護る、山も小妖もことごとく危険に晒されているのですっ」


「それがどうしたというのだ、人の子よ!我の山も、子も、我が護る。それだけのことだっ」


「無理です!」


「なんだと」


「お嬢、云っても無駄ですって、所詮は獣、話して聞く相手じゃぁありませんぜ」


「我が獣であればお前はなんだっ、羽の色と共に誇りをも失ったか」


「なんでぇ、そりゃぁ」


「鴉天狗と云えば、その神通力果てしなく、なれど修練を怠らぬ求道者が多いと聞く。白羽根しらばねゆえに群れを追われたか、天狗。このような小娘に顎で使われ誇りを捨ててまで生き延びたかったかっ」


「こきゃぁがれ! いいか耳かっぽじってよくきけよ、おめぇの大事でぇじな誇りがなんだか知らねぇが、俺は命に掛けてもお嬢を護る、お嬢の大事なものも護る。お嬢の信じるものを信じると決めたんだっ」


「白鳳丸」


「なんということだ。其れほどまでに孤独であったか……憐れよの」


刹牙のまなこが、金色こんじきから慈愛に満ちた黒真珠のような色に変わる。

     

思いもかけぬ母妖の情け深い声に、憐れと云われた白鳳丸の顔が火の点いたように一瞬で紅潮した。


「なんだとぅ!」


「だめ、白鳳丸!」


縄をぐいと引き寄せようと力を込める白鳳丸の元へ、千鶴が駆け寄ってその腕をいさめる。

     

刹牙は、観音力のこもった縄に反発していた力を弱めると、牙を治めて静かに千鶴へ語りかけた。


「小娘、今日の無礼、此の憐れな天狗に免じて許してやる。縄を解け、牙を治めよう」


「くっそおおおおおお」


「白鳳丸、やめてっ」


未だ怒りの治まらぬ白鳳丸の腕に縋る千鶴の声に、はっとその顔を視ると、白鳳丸は更に頬を赤くして顔を背けた。

     

千鶴は、彼の手からそっと縄を受け取ると素早くそれを波打たせ、その波が刹牙の首に届くか届かぬかの時、縄は白い羽に変わって宙に舞った。

     

刹牙は、暫くじっと千鶴を見つめていたが、鼻を上げて天を仰ぐと、くるりと元来た方へ身体を向ける。


「待ってっ」


これは、試練なのです。怪と人、此の世の全てが一つになって立ち向かわなければ、きっと――」


「きっと……?」


立ち止まるが振り返る事無く刹牙が問いかけた。


「あのモノには勝てません」


刹牙は、暫し押し黙ると深く溜息をつく。


そうして再び千鶴に語る其の声は、深く威厳の有る、だが温かい声音であった。


「娘。名は、なんと云ったか」


「千鶴、千鶴です」


「千鶴。そなたはそなたの信じるものを信じ、護るものを護れ。そしてそなたを護るモノを護ってやれ」


「母妖殿……」


「許す、刹牙でよい」


「刹牙っ、どうか、どうか無茶をしないで。私は、貴方を失いたくない」


「お嬢、気でも違ったんですかい」


「怪であって、母である貴方を、私は失いたくないのです!」


「おかしな娘だ……。天狗っ、しっかりと護ってやれ!」


「やかましい!」


「わはははは、はっははははあっ、愉快であったっ!さらばだ!」


高らかに朗らかに笑い声を残して、稲妻のように刹牙は走り去っていった。


千鶴はもう見えぬその姿を、何時までも見つめていた。

     

「お嬢」


刹牙を見送る千鶴の背中を見詰めていた白鳳丸が申し訳なさそうな声を出す。


「すいません」


「良い」と云って振り向くと、薄っすらと微笑む千鶴。


儚く華奢な小さな身体。


だが其の身に満ちる気高い心。


白鳳丸は、眩しそうに、照れ臭そうに微笑を返す。



――しょうがねぇなぁ――



「ちょっくら視てきますよ、母妖の婆さん、張り切ってまた何かしそうだから」


「うん、頼む」


千鶴の顔が花のようにほころぶ。


「へ、へへへ……」



――しょうがねぇよなぁ――



空を仰いで大きく翼を広げる白鳳丸に不意に千鶴が声を掛けた。


「白鳳丸」


「はい?」


「ありがとう」


「っ! な、な、えっ?」


「ありがとう、白鳳丸」


「っと、あ、ああっ、視えなくなっちまった、じゃ、じゃあ行って来ますよ、行きますからねっ」


「うん」


「っ」


白鳳丸は首元までを桃色に染め、空高く飛び上がってゆく。

     

顔を上げて其れを眺め、今度は湖面に映る、自分の姿を視る千鶴。

     


風に揺れる清らかな水面には乙女の姿はなく、一羽の白鶴が静かに佇んで視えていた。


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