黒龍 鳴滝哀歌
こちらは台本を小説に書いたものです。
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蒼狼伝シリーズ第二段でございます。
【月光城の姫君】のずっと以前の物語。
合わせて読んでいただけると、楽しめるかと存じます。
其の乙女、凛として、何者をも恐れず。
何処で生まれ、何処で育ったのか誰も、己ですら知らぬ。
唯その胸に有るは、天意のみ。
観音力を使い悪を退け善を護る。
「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!我こそは、恐れ多くも観音菩薩の御使い、千鶴であるっ、悪鬼妖怪、狐狸羅刹、悉く調伏いたす! 気を乱して狂うものよ、森羅万象の理を知れっ」
眼下に泡を履き爆音を唸る滝壺に向かい、白衣に白袴の装束を風に揺らす。
切り立つ断崖絶壁の大岩にすっくと立ち、声高に叫ぶ乙女。
此の少女こそ、戦乱の世の乱れに紛れ、地上に蔓延る百鬼百妖を降伏せんと
天よりの命を担って生まれた巫女姫千鶴である。
「御仏の慈悲に縋って下るもよし、手向かい致すは天に仇なすと心得よ!地に封印、浄化、消滅、転生、霧散、望みは何れかっ。機会は一度じゃっ、とくと考えよっ。それとも、我が手先となって、森羅万象、天意に仕えるかっ」
「手先…・・・とな。我が君に手先になれと…・・・」
何処からともなく纏わりつくような女性の声が聞こえて来る。
一転俄かに掻き曇り、辺りからざわざわと妖気が漂う。
「お嬢」
「白鳳丸、抜かるなよ」
鉛色に澱む空、彼方には百とも視える、浮かび飛ぶ小妖の群れ。
此方の乙女に付き従うは、真綿のような白羽の若い天狗。
名を白鳳丸と名づけられた。
瀑布の奥より魂魄をも揺り震わせんばかりの声が響く。
「やれやれ、小煩いことよ」
深淵より上る黒い影。
黒雲を呼び雷鳴を轟かし、現れ出でたる、山をも巻き、砕かんとうねる漆黒の竜。
「でやがったな」
「やっと、姿を現しおったか」
「もう一声だ」
「ああ、判っている」
「ひかえよっ、人の子よっ。何方の御前だと思うておるか!」
犇く小妖の群れの中、雅な衣装に身を包んだオンナの形をしたものが叫ぶ。
遠目に視える、白い肌、紅く濡れた唇も艶かしい妖女、鮎影。
空より視下ろし、その燐光放つ眼差しで千鶴たちを威嚇する。
「きくがよい物の怪よ、其処へ隠れる哀れな成りぞこないよ。必死に姿を真似てはおるが、所詮は紛い物。どれをとっても、比率が合わぬ。苦行を終え、龍と成れば定められた比率を持つ。成し遂げた先立ちを模る不届き者めっ」
「成りぞこ無い……成りぞこ無いと――。其れは、我のことであるか」
暗雲は遂には天を覆い、無明の空。
雲と視えたは、更に増えた千にも及ぶ怪たちであった。
「殿、あの小娘、此の鮎影が八つ裂きにしてくれましょうぞ」
鮎影は云い放つと、真っ直ぐに千鶴目掛けて紫煙となって飛ぶ。
其れを察して白鳳丸が大きく真白な羽根を広げる。
「露払い、参る」
「許す」
主の言葉に、紫雲に立ち向かうべく空へと飛び立つ。
対峙して、紫雲は人型へと戻る。
妖艶なる美女鮎影、負けず劣らぬ美貌を誇る、若天狗白鳳丸。
鮎影を取り巻く数百の小妖ども。
「ほぅ……。中々のものではないか。妾は鳴滝様の寵姫鮎影である。名はあるか、天狗」
「身の程を知れ、わしの名は主より賜った大切な宝じゃ。下種な妖怪などに教えるものか」
「だまりゃっ、妾を下衆と申したなっ。ふふん、そなたの方こそなんじゃ、その薄気味の悪い白羽は。烏天狗の分際で、色を失った逸れ者が身の程を弁えよっ」
「へっ、べらべらべらべら、煩せぇ婆あだ。――かかってこねぇなら、こっちからいくぜっ」
白鳳丸が印を結ぶと、其の身が白光煌く光の球へと変化する。
鮎影へと向かう白光から、護るように小妖の群れが、鮎影の周りをぐるりと囲む。
其のまま光球は犇く小妖を瞬く間に薙ぎ払う。
光の帯を為して飛ぶ白鳳丸に、蟲の如く打ち落とされてゆく小妖たち。
「おお、妾の可愛い子供達が――!
こしゃくなっ。下郎っ、八つ裂きにしてくれるわあっ」
「ちょこざいなっ、雑魚共が、束になってかかってきやがれ!」
憤怒の紫煙となって、白鳳丸の光球と相打つ鮎影。
飛び交い、光を放って戦う二人を、無数の小妖が黒点となって包み込む。
空に浮かぶ巨大な黒い塊に光の筋が一筋、もう一筋と走り、遂には其処此処より白光を放つ。
無数の小妖が黒く霧散する中、闇をも切り裂く鮎影の断末魔が辺り一面に響き渡る。
「お、おのれええぇぇぇ、白鴉めぇっ、此の恨み、はらさでおくべきかぁぁ」
「娘、面白いものを飼って居るな」
「そなたの名はもう、明かされておる。鳴滝、諦めよ。悪行を悔い、仏の慈悲に縋るのだ」
「ふんっ、仏の慈悲とは片腹痛い。此の世に慈悲など、在るものか」
「鳴滝っ、荒もうとも、慈悲は有る!神や仏を恨んでも、連れ合いは戻っては来ぬぞっ」
「戯言にはもう、飽いた。其の、よう滑る口から卑小な身体を二つに裂いてくれようぞ」
「機会は一度、地に封印、浄化、消滅、転生、霧散。仏の慈悲に縋るも良し。森羅万象天の理に刃向かうものよ、心して選ぶが良いっ」
「問答無用っ」
一層鳴り響く雷鳴。
乱された辺りの気が渦巻く中で、時折光る、白い乙女の姿。
其の周りでは、白鳳丸の白光が次々と小妖を打ち払っている。
――戦いは、幾時間にも及び、あれ程に群れを成していた小妖がすっかりと見えなくなった頃、空より落ちる巨大な影があった。
大地を波打たせ、地に落ちた鳴滝に装束を血に染めた千鶴が駆け寄る。
黒雲は既に払われ、蒼空の下、身体から流れ止まらぬ血の海に横たわる鳴滝の姿は、最早、巨大な蛇であった。
「鳴滝っ」
「ふっ、そうか……これが我の、成りそこないの末路か…・・・」
「許しを請え、鳴滝っ、仏は待っておられるぞ」
「なにを……天意は、世の理とやらは、我が疎ましかったのであろう、滅せよと……」
「そうではない、そうではないのだ」
黒く光る鱗に包まれた、巨木より太い其の首を抱く千鶴。
鋼のような其の鱗へと、一つ二つ、零れ落ちる温かな泪に鳴滝は再び、目を開く。
「何故に泣く観音の姫よ……」
「何モノも……不要なものなど此の世には無いのだ…・・・」
「森羅万象の気を乱す……この我であってもか……矛盾しておるのぉ」
「そなたも、その森羅万象の一部では無いか……なぜ、なぜ解ってはくれぬ」
先程までの凜とした風を捨て、大粒の泪を隠す事無く泣いている千鶴は、何処にでも居る一人の少女であった。
「やめよ……そなたの零す泪が、くすぐっとうて敵わぬわ…・・・。もう、疲れたのぉ……。そうじゃの……許されるのなら、我を此の淵の一部と為してはくれぬかのぉ。転生も良いな……再び妻と添えるであろうか……」
弱まる声と同じくして、鳴滝の巨体が美しい黒い鯉へと変わる。
そうして、其の鯉の姿も、砂の零れる如くにさらさらと消えて行く。
千鶴は空になった腕を降ろし、両手を合わせて合掌する。
空より舞い降りた白鳳丸が静かに千鶴に問いかけた。
「逝ったか……」
「ああ」
「昇華したか、転生なのか……」
「さぁな」
「また妻に――」
「――判らぬ。詰まる所、わたしも何も、判ってはおらぬのだ」
そっと後ろに佇む白鳳丸。
彼もまた、天を呪い、己を傷つけ、人を傷つけ荒ぶ心を、千鶴に出会い新たな使命を感じた。
此の、強く真っ直ぐで、儚い少女を、生涯守り抜くという使命を。
彼は仏に帰依し、彼女の従者となったのである。
「お嬢」
「うん」
「帰ろう」
「うん」
白鳳丸は血に染まった白い翼を広げ、千鶴を抱いて何処かへと飛び立った。
何事もなかったかのように静まり返る淵に一瞬、黒い波紋が広がる。
其の中心よりゆっくりと顕れる白い指。
長く鋭い爪を持つ其の指は、ずるずると淵より生まれ出で、やがてぬらぬらと怪しく輝く白い裸体の女となる。
黒髪を分けて覗く真っ赤な唇。
白鳳丸によって、滅したはずの妖女鮎影である。
「ウラミ、ハラサデオクベキカ――」
私怨に甦った、鮎影。
しかし、誰にも知られずに其処に留まり、一部始終を視聞きしていた存在がもう一つ。
鮎影と、千鶴たちの消えた空を視る其の双眸は、金色に輝いていた。
其の乙女、凛として、何者をも恐れず。
何処で生まれ、何処で育ったのか誰も、己ですら知らぬ。
唯その胸に有るは、天意のみ。
観音力を使い、悪を退け善を護る。
だが其の心、慈愛に溢れ、菩薩の如しと人は云う。