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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
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シキのゆゆしき悩み事

作者: 川瀬 夏生
掲載日:2026/10/20

 ああ、ゆゆしき事態だ。

 こんなの悩まずにはいられない。



 人の悩みは千差万別。

 そこに程度の差はあれど、貴賤をつけるのはお門違いだろう。


 そんなことは十分理解していたつもりだったのに、どうしてか今は自分の悩みこそが世界で一番重くて深いのだと感じてしまう。こんなにも今すぐ救われるべき悩み人は精々世界で数人程度であり、その中の一人が自分なのだと思ってしまう。



 おかしい。

 今まではそんな考え方をしたことはなかった。


 そもそも世界というのは苦悩に溢れており、自分すら認識できていないナイフによって他者を切り付けているし、避けることのできない茨の道により苦痛を感じている人が数多生きていることも自明で、そんな中で自分程度の悩みは(貴賤つけるなって自分で言ったのに)大したことはないのだと思ってきた。


 だって、衣食住に困らず、金銭的にも安定しており、心身の健康も保たれている。


 これ以上私ごときが何を求め、何に悩むのか。

 世の中には自分には縁のないような苦しみを抱えて悩み続けている人が多くおり、「悩みなんてなさそうだよね~」と言われている人が陰では何かに悩んでいる。


 それこそ同年代であれば、ゼミとバイトとサークルの掛け持ちが忙しくて思ってたより辛いだとか言い出す人がそれなりに多いだろうし、世間一般の謳う「まともな大学生」であれば割と高確率で直面しそうな悩みではある。



 ところがどっこい。

 この私は不労所得たっぷり、貯金バッチリ、賃貸も快適、ゼミも余裕、単位も完璧という世にも恵まれた立場におり、大学生にありがちな悩みとは無縁だ。


 ゆえに、そんな人間が悩んでも大したことないと思っていた。

 それなのに、今こうしてものすごく悩んでいる。



 そして、悩んでいる理由というのも、中々贅沢な話である。

 なんて話してたらほら、悩みの種がチャット画面に不意に現れる。




 リリア『やっほー、しっきー元気?』

 シキ『うん。まあまあね』

 リリア『ならよし。で、あたし的には今晩二人プレイしたいんだけどー』


 何の予告もなく登場した通信相手のチャットに即レス。

 いや、チャットは予告がなくて当たり前か。失敬。


 シキ『了解。20時~24時までは空いてるけど合流できる?』

 リリア『よしきた! じゃあ21時~23時でどう? あたし枠立てるから』

 シキ『もちろん。少し前にチャットで情報流してくれればOK』

 リリア『承知ー』


 風よりも早く、光よりは遅い程度のスピードで今晩の約束を取り付ける彼女の手際の良さには毎回感心するばかりだ。しかも、だいたい私がPCの前に座っているタイミングで連絡が来るものだから一周回って怖い。うちに監視カメラ仕掛けた?


 時刻はまだ16時半。

 今から夕飯を済ませて、有酸素運動をして、お風呂に入ってもまだまだ余裕。


 え、ゼミの発表用の原稿? そんなの課題が出た翌日に仕上げましたが?

 この私が仕事を後に残すなんてありえない。時間はできるだけ空けないとね。



 というわけで機嫌が良くなってきたのでさっさと夕飯の準備に入る。

 自分の機嫌を自分でコントロールして俯瞰できる能力は全人類に備わっていると思っていたのだけど、リリア曰くそうではないらしく、「自分の機嫌を即分析できるしっきーマジ怖……」と引かれた。なんで。



 しかし、何事も機嫌が良いに越したことはない。

 せっかくの料理も機嫌が良くなければ美味しく作れない。心のスパイス。


 今日は水の代わりにトマトを使ったカレーライス。

 調理器具をあまり持ち合わせていない私は真っ赤なトマトたちを人力で潰して液状にするしかないのだが、この工程を乗り越えてでもまた食べたいと思うのがトマトカレーだ。なにせおいしい。味が濃くて深みも出る。めっちゃおいしい。



 作りながら思い出す。

 リリアが初めて我が家に遊びに来てくれた日のこと。


 そもそも彼女との出会いは、私が大学1年生の夏休みだった。

 細々とFPSを遊ぶ中で、情報収集も兼ねて使っていた短文投稿SNSで偶然にも相互フォローになったのがその頃。確か私のちょっとしたゲームへの愚痴みたいなところに反応してくれて、そこからリプライを続けるうちに結構思考が似ていることがわかってきて、すぐに仲良くなった。


 人見知りゆえにSNSでも中々人と会話できなかった自分が、それなりに仲良くなれた最初の人という点で、彼女は重要な存在だ。



 そのうち同じゲームでタッグを組んで通信対戦に乗り込むようになり、週3回ペースとかで遊んでいるうち、どこかでオフで会おうという話になった。


 そこで何故か家にお呼ばれしてしまい、まさか監禁されて殺されるのかと怯えつつも伺ったところ、優しそうなお母さんと妹さんが迎えてくれた温かいご家庭で、リリアとめちゃくちゃ話し込んで笑い合った後、なんと夕飯までご馳走になってしまい、すっかり恐縮しながら帰るという体験をしたのだ。



 なれば、今度はうちに来てもらい、そこで私が手料理を――


 しかし、家事全般が下手で、生きる所作全般が下手な私に作れる料理など数少ない。そこで捻り出したのがトマトカレーという初心者感をカモフラージュできる一品だった。今思えば何の隠蔽にもなってなかったけど。



 そんなトマトカレーをリリアはおいしいと喜んで食べてくれた。

 嬉しかった。恩返しできた安堵を感じると同時に、その笑顔が眩しいとも思った。


 あの時のリリアの表情を思い出すとトマトカレーを作るだけで微笑ましくなる。

 彼女と二人で遊ぶ日の夕飯には適任だろう。


 トマトを手動で潰す作業は結構面倒だなって毎回思うんだけど、その先でリリアが笑ってくれるのだと思うと全然辛くない。むしろ楽しい。時間がワープする。21時まで料理と夕飯と運動と家事とお風呂でひとっ飛びだ。




 PCの前に座る。ヘッドセットを装着し、手にはコントローラー。

 ボイスチャットの部屋に入り、ゲーム上でもリリアの立てた部屋に入室する。



「あー、あー、聞こえる?」

『やっほー? しっきー、今日も声が可愛いね』

「声以外については訊かない方がいいかな」

『それが賢明だね』

「いやいやフォローしてよ」

『あはは! ごめんごめん、嘘だよ、しっきーは最高にビューティだから』

「まーた口が軽いんだから」



 口が軽い……いや、軽やかな声としたほうがいい。

 同じ漢字でもポジティブに。


 リリアのこの気楽さと、そこから来る頼もしさみたいなものが好きだ。

 明るくて快活で、いざという時に真剣になる姿は全国の戦うヒロイン・ヒーローも容易くは相手にできない。実に格好いい。


 そんなリリアの格好いい姿と頼もしい声を楽しめるのはここからだ。

 今日は昔からやってるFPSにアップデートが入ったので、検証も兼ねて対人戦に潜る。大胆不敵ながら的確な探索が光るリリアのスキルの高さに軽率ながら頼りつつも、私は私でできることをやる。


『じゃあ― あたしについておいで?』

「うん。よろしく」






 ―――





 リリアと遊んだ翌日の朝、チャットページには別のアイコンが顔を出していた。



 コナカ『シキ、今晩どう?』

 シキ『いいよ。新規ミッションやる?』

 コナカ『そのつもりだったよ。シキの方で準備してくれると嬉しい』



 まるでリリアと入れ替わったかのように声を掛けて来たのがコナカだった。

 彼女もまたSNSで知り合った友達で、元々リリアと一緒にFPSをやっていて、その流れでリリアから紹介されたという経緯がある。


「気が合いそう」という単純な紹介理由だったが、気が合うというのは人生を送る上で非常に希少かつ重要な特性なので迷わず連絡を取ってみたところ、ガチで気の合う人だったので感激して即座にFPSでバチバチにやり合った。(そこで協力プレイにならなかったのが実に「らしい」と思う。)


 具体的には、テレビが嫌いだったり、社会や人間全般に対する程々のニヒリズムを抱いていたり、世間一般の喧伝する「普通」にムカついたり、そういう人生観の肝みたいなところが似ている。これって大きいと思う。



 シキ『了解。時間いつがいい? 私は20時から24時まで大丈夫だけど』

 コナカ『じゃあ20時スタートの22時過ぎ終わりくらいで』

 シキ『オッケー』



 昨日より少しスタートが早いので、お風呂を後に回すことで決定。

 夕食は17時半くらいで早めに済ませておき、満腹中枢を刺激されて眠くなるという事態を避けられるように予定を決める。ゲーム中に欠伸なんてしようものなら即座にヘッドショットで終わりだ。そんなに甘いもんじゃない。



 というわけで先に夕飯を(今日はレンジで作れる冷凍食品ばかり)用意しようとキッチンに向かったところ、冷凍庫の中に可愛らしいラッピングのケーキが入っていたことを思い出し、夕飯のデザートにするべく解凍を試みる。


 この冷凍のショコラマフィンは、コナカがこの前会った時にくれたものだ。

 二人でカフェでも行ってお喋りしようという誘いに迷いなく乗った私は、コナカ指定のお洒落なのに落ち着いていて過ごしやすい北欧カフェにいたく感動して5時間ほど居座って喋り続けたわけだが、その最後にプレゼントしてくれたものだ。


 コナカは料理が得意で、こうしてお菓子を手作りして人にプレゼントするのが好きらしい。家族や大学の友達、あとリリアにも時々あげるとのこと。


 するとまあ、私はそのうちの一人であるのだけど、それでも嬉しい。

 しかもおいしい。ありがとう。



 で、せっかくもらったのだしお礼をしたいと考え、だがお菓子作りとなると自分にはできないと思い、辛うじて思いついたのが超人気店のお菓子を買ってきて、そのままプレゼントしてあげることだった。


 世の中にはいつ行っても大行列という著名パティスリーのお店がちょくちょく存在していて、一人で並んで行くには心許なく、友達と行く場合でも「3~4時間ひたすら楽しく喋れる人」が相手でないと厳しい。



 そういう店に、私は一人で突撃した。


 周囲から見るとチャレンジャーなのかもしれないが、あいにく私は一人での暇つぶしに関しては天才的な才能を持っていて、読書、アニメ、ゲームの三本柱さえ揃っていれば6~7時間は平気で溶かせる人間だ。


 周囲がげんなりしながら列に並ぶ中でも私は涼しい顔で時間を消化し、手際よくケーキを買って帰宅。そして、我が家へ遊びに来てくれたコナカに颯爽とケーキをプレゼントした、というわけだ。



 もちろん、それはそれは大喜び。

 だってあの超人気パティスリーの超人気スイーツが一切の苦労なく手に入ったのだ。それはもう喜んでくれた。途中から私への感謝がケーキへの愛を上回ったような気がしていたのだが、気のせいだということにした。


 それくらいスイーツへの愛が凄いコナカのことなので、彼女が作ってくれたお菓子を見るとあの時の嬉しそうな顔を思い出して、こちらまで嬉しくなる。



 ――では、今日はこれを食べて気持ちを上げることにしよう。


 そして、気持ちを上げ、血糖値も上げ、血糖値スパイクを起こし、椅子で気絶して、起きたら19時半だった。危ない。寝過ごしたらヤバい。っていうか食べ過ぎだ。



 今日はこちらがホストなので早めに準備をしなければ。

 昨日と同じソフトを立ち上げ、昨晩更新されたばかりのアップデートを適用し、新規のミッションが表示されていることを確認して、後は通信接続。


 待っていれば、20時ちょうどにコナカが入って来た。


『シキ、おつかれさま』

「おつかれ。今日もゼミだったの?」

『うん。教授が結構厳しくてね、食らいついてきたよ』

「偉い。その分今からパーッといかないとね」

『もちろん。スッキリやってやらないとね』


 コナカの声は不思議だ。

 ハキハキしてる、おっとりしてる、爽やかな感じ、という三つの要素をバランスよく取り込んだとしか言いようがない絶妙な声。天使なのかな?


 それを聞いているとすごく落ち着く。

 今から殺伐と銃撃戦を始めるというのに、落ち着く。


 でも、それはポジティブに言えば冷静に戦況を俯瞰して立ち回れるというわけで、実際、コナカと組むとやけに勝率が良い。素の腕が抜群なリリアとは異なり、味方の能力を引き出すという意味でコナカは最強だ。



『今日も女神コナカ様にお任せあれ、だよ』

「うん。よろしく」






 ―――






 更にその翌日、チャット欄は元気に動いていた。



 リリア『やっほー、ところで二人とも今晩いける?』

 コナカ『ああ、三人チーム戦のイベントって今日からだっけ』

 リリア『そうそう。あたしたち天才三人組としては出ないわけにいかないよね?』

 コナカ『わたしは大丈夫だよ。シキ待ち』

 リリア『ん、じゃあ通知オンにして待ってる』



 私が講義を終えて帰ってきたら、既に上記のやり取りが交わされていた。

 もちろん乗らない手はない。



 シキ『二人ともおつかれ。もちろんやるけど、時間どうする?』

 リリア『しっきー最高。あたしは21時~24時までOK』

 コナカ『わたしも同じかな。でも、25時には寝たいし、終わり23時半くらいが希望』



 今日は二人ともやる気だ。確保時間が長い。



 シキ『じゃあ21時~23時半頃でいこっか』

 リリア『りょーかい!』

 コナカ『シキ、部屋立てといて』

 シキ『OK』



 今日は本当にやる気だなあって思う。

 イベント戦はそこそこあるけど、全員が前のめりになる企画は少ない。

 やっぱり三人組っていうところがポイント?私たちって結構いい集まりだし。



 ただ、この三人組で、気になっていることがある。


 あの二人、やたらと私に優しいのだ。

 これは気のせいじゃない。過度に優しい。



 リリアはどうか。まず初めて会った日にそのまま泊まらないかと誘ってきた。

 怖い。それは流石に怖いのでお断りしたが、その後も家に行くと歓待してくれるし、部屋に上げてくれるし、何故か頭も撫でてくれる。


 そんなこと他の人にもするのかって聞いたら、しないって言ってたし。

 コナカにもしないらしい。私にだけ、異様に優しい。



 コナカはどうか。まず初めて会った日にオペラという超難度洋菓子をくれた。

 怖い。プロのパティシエの関門と呼ばれるような難しいお菓子だ。それを平然とくれるし、その後も手の込んだお菓子を毎回くれる。何故か頭も撫でてくれる。


 そんなこと他の人にもするのかって聞いたら、しないって言ってたし。

 リリアにもしないらしい。私にだけ、異様に優しい。



 しかも、3人で通話すると決まって私を取り合う展開になって――



『やっほー、しっきーとは一昨日振りだね』

「うん、その時はありがとね」

『わたしはシキと昨日振りだよね?』

「うん、コナカもありがとう」

『えー、あたしも昨日振りがよかったー』

『シキの時間は有限だから諦めて』

「別に私なんて大体暇だから誘ってくれていいんだけど」

『『じゃあ毎晩あたしと(わたしと)遊ぶ??』』

「あ、それはちょっと流石に」

『『だよねー』』


 相変わらずわからない。毎晩は人間の生活的に無理があると思う。

 そもそも私だって暇な身分とはいえ勉強も他の趣味もあるからなあ。


 結局、その後も休憩中や待機中の雑談で私を取り合う感じの話が始まり、よくわからないまま平行線で終わる展開が続いた。よくわからない。



 だから、私の目下の悩みは、あの二人の考えがよくわからないことだ。

 このままだと仲間割れしてしまうんじゃないかと思ってしまう。それは嫌だ。

 二人とずっと仲良くしていたいし、三人で楽しく遊びたい。



 ああ、ゆゆしき事態だ。

 こんなの悩まずにはいられない。











 ―――









『あのさ、コナカ』

『うん』

『しっきーが可愛すぎて我慢できん』

『わたしも無理。可愛い。毎日一緒に喋りたい』

『あんなに純粋で無垢で可愛い女子大生なんているか? いや、いるんだよな。しっきーという絶対的に特別な存在が。しかもいい子』

『この世の荒波をどんな風にすり抜けてここまで来たか聞き出せてないけど、とにかくわたしたちで保護しないといけないのは確か』

『その通りすぎる』



『……あのさ、大学出たら、三人で同居しようよ』

『賛成。そうしたら二人でシキを可愛がって幸せな暮らしへ一直線』

『あたしたちが保護者……しっきーを守らないと……』

『そして?』

『めちゃめちゃ可愛がってハッピー』

『だよね。早く計画立てないと』

『とりあえず物件探そう。2LDK駅徒歩5分以内』

『了解。あとシキを可愛がれるように大きめのソファを置けるリビングも』

『それな』

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