第10話 サディア⑩
本日二つ目の投稿です。
6/5 文章一部訂正
「怒鳴って、泣いて、喚いて……恥ずかしくて。わたしは自分の部屋に籠って泣き続けました。ハンカチは暖炉で燃やして」
「燃やし……って。せっかく……、一生懸命」
「すでにハンカチは、わたしにとって一生懸命に想いを込めて刺繍したものではなく、エリオット様に汚された怒りの対象になり果てておりまして」
わくわくして、ドキドキして刺繍をした。そんな気持ちは……もう二度と戻らない。
エリオット様に奪われて、悔しくて……。だから、もうハンカチなんて見たくもなかった。
思い出せば、まだわたしの心の傷口からは血が出ているみたいで。
デライザ様の体調は……と思いつつも、言葉が止まらなくなってきた。
「しかも、お父様がわたしに言うんです。『きっと悪気はなかったんだ……』とか『エリオットは本当にサディアが照れていると思って……』とか。実の娘が傷ついているというのに、天使のようにかわいらしいエリオット様を庇うの」
ねえ、お父様、お母様。あなたたちはどうせわたしよりエリオット様のほうが好きなんでしょう?
わたしがどんな気持ちなのかなんて、理解はしてくれないんでしょう?
悲しくて、つらくて。
もう嫌。
苦しい思いに押しつぶされるのも、嫌。
だから……。
「だから……、わたし、家を出たんです」
全部、捨てる。
静かにつけ加えたら。
デライザ様もロバート様も、一瞬、何を言われたのか理解できないようだった。
「待て、家を出る?」
「はい。家出です。もうラズダン伯爵家には戻りません」
「戻らないって……」
「言葉通りの意味です。家を出て、他国にでも行く。その途中でデライザ様にお声をかけていただきました。正直に申し上げて助かりました。最終手段として、付いてきたラズダン伯爵家の侍女をぶん殴ってでも、わたし、逃げようと思っていましたから」
「ぶ……、ぶん殴る……」
ロバート様が呆気に取られた。
……まあ、いいの。もう、初恋が叶うなんて思ってもいないし、元々取り繕う気もないし。
暴力女とか思われるのは、ちょっと嫌かも、だけど……。
「やっぱりサディアさん、あなた大人しいフリをして結構過激ね」
「そうですか?」
「そうよ」
デライザ様は楽しそうだった。
「ふふふ……! あたくし、やっぱり、あなたを選んでよかったわ……」
選んでよかった?
それはどういう意味だろう……?
聞いてもいいのだろうか?
でも……、もう既にかなり長く話している。デライザ様のお体は……このまま話をしても大丈夫なのだろうか?
心配にはなったけど、デライザ様は「今度はあたくしの話を聞いてね」と言ってきた。
「あたくしは、このとおり、療養ばかりの暮らしで外を知らない。籠ってばかりだとどんどん体力がなくなるから、調子が良いときに、時折、外出はするけど……学院には通えない」
どんな病気かはわたしは知らないけれど……、先ほどの様子を見れば、かなりお悪いのでは……と思われる。
「だけどね、これでも一応ティルベリー侯爵家の令嬢だから、政略のコマとしては有効と思う人も多いの。生まれた時から縁談なんて山のように来たわ」
それはあたりまえだろう。
侯爵家のご令嬢。健康であれば王族とだって婚姻が結べるはず。
「だけど、あたくしは……散歩やちょっとした外出程度ならともかく、過度な運動ができない。つまり、妊娠も出産もできないのよ」
「え?」
これは……わたしが聞いていい話なの?
ロバート様を見る。つらそうな顔が、はくはくと動く口が……ぼそりと、告げてきた。
「……心臓から肺に血液を送る血管の……血液の流れが悪く血圧が高くなるんだ……」
「え? それって……心不全では……」
医学の知識はわたしにはあまりない。一般的な程度。でも……。
「無茶をすれば心臓に負担がかかり、心不全が進行する」
「今のあたくしはまだそこまで行っていない。一歩手前という感じかしらね。まあ、それはいいの。問題は、あたくしの身体がこんなだと知っても婚姻を結ばせようとしてくる者がいるの。婚儀を結んでしまえば、仮にあたくしが死んだとしてもティルベリー侯爵家との縁ができるからとね」
……世の中には酷い人もいるのね。そんな人たちと比べれば、エリオット様なんて、まだ天使と言えるかも。
「だから、あたくしはさっさと婚約者を作った。それがロバート。ハードウィック子爵家はティルベリー侯爵家の寄り子だから、命じれば簡単にロバートを差し出してくれた」
「差し出すなんて、そんな言い方はしないでくれ。俺は望んでデライザの婚約者となった」
「そう……ね、ロバートは優しいから、あたくしのわがままを聞いてくれたのよね」
「わがままなんていくらでも叶えるっ! 俺はデライザを愛しているんだから!」
ああ……、やっぱり。デライザ様とロバート様は婚約者同士で。
ロバート様は、デライザ様を愛している。
わたしが間に入ることなんでできない。
元々わかっていた。
失恋。
……やっぱり胸が苦しい。
だけど、失恋を駄目押しされたようなわたしなんかより。デライザ様のほうがよほど苦しそうだった。
「……ありがとう、ロバート。でも、あたくしたちが愛し合うことはできないのよ」
「デライザ!」
デライザ様は目を閉じて、それでもはっきりと告げた。
「妊娠も出産も無理。この体は耐えられない。もしも妊娠をしたら、お腹の子どもと一緒にあたくしは死ぬ。ううん、それ以前に、あたくしの身体は男女の閨事、それにさえ耐えられない」
「そんなことはどうでもいいっ!」
「どうでもよくないわ。ロバートだって健全な令息よ。肉体的な欲だってあるでしょう? なのに、あたくしと結婚したって、おままごとのようなもの。実際の夫婦にはなれないの」
「それがどうしたっ! そんなものはどうでもいいと何回も言ったっ!」
「ええ……、そうね」
……わたしはこの部屋から辞したほうが良いのではないのだろうか?
余りにプライベートな話だ。
デライザ様とは出会ったばかり、ロバート様とだってわたしは一方的に思いは寄せたけど、二三話したことがある程度の関係なのに。
でも、二人の話に口出すこともできない。
「ロバートは優しいから。大好きよ。でも、あたくしはロバートには普通にしあわせになってもらいたいの」
普通のしあわせって、何?
デライザ様は何を言おうとしているの?
胸が、ドキドキする。
期待とかのいい意味ではなく……悪い意味で。
お二人でするような会話の場面にわたしがいる。
それにさっき、デライザ様は「あたくし、やっぱり、あなたを選んでよかったわ……」と言った。
ロバート様には普通にしあわせになってもらいたい。
わたしはデライザ様に選ばれた。
嫌な予感。不安。
デライザ様は……、きっと……。
もしも、わたしの予感が……、当たったとしたら。わたしは嬉しいの……? それとも……。
ドキドキと、バクバクと、心臓が、鳴った。
「婚約を解消しましょう、ロバート。どうせあたくしの体はあと十年も持たない。あなたには普通の結婚をして、普通にしあわせになってほしい」
「デライザっ!」
「そのために、悪いけどあたくし、ロバートの周辺を調べさせたの。ロバートを愛してくれて、しあわせにしてくれそうなご令嬢」
ああ……、お祭りのときにわたしを見て、それで、わたしのことを調べさせたのね。さっき海側の街でデライザ様に会ったのは偶然じゃなくて、調べた結果なのかしら。
そして、わたしが今、ここに呼ばれた理由。
デライザ様は……、ロバート様をわたしに任せるおつもりなのだ。
刺繍の『R』の縫い取り。わたしが思いを込めたハンカチ。
調べて、知って、わたしならって思って下さったのかな……。きっとロバート様を一生情熱的に愛してくれるって。
でも……。
ロバート様が叫ぶ。
「俺のしあわせを勝手に決めるなっ! 俺はデライザの側に居られればそれでいいんだっ!」
泣きそうな、叫び。
ああ、ロバート様は、本当にデライザ様が好きなんだ……。
体がお悪くて、いつ儚くおなりになるのかわからなくて。
それでも、婚約して、側に居る。
「……そうね、ロバートは昔からそうね」
仕方がないわねと、幼い子に向けるような笑み。外見からすると、デライザ様のほうがわたしやロバート様よりも年下のようなのに。侯爵家のご令嬢だからか、それとも病気と闘って、ずっとご自分を律してきたからなのか、外見よりは、精神面がかなり……大人に見える。
それは……素晴らしいことなんて、言えない。淋しいことだ。デライザ様は、精神的に大人にならざるを得なかった……。
「俺が、俺のハードウィック子爵家がティルベリー侯爵家の寄り子でよかった。デライザの遊び相手、学友……元々、幼いときから、ずっと側に居られた。だから、デライザに婚約者として選んでもらった。なのに、イマサラ婚約破棄なんて……」
「ロバートを選んだときはあたくしも幼かったから。ロバートに迷惑が掛かるなんて思ってもみなかったの」
「迷惑なんかじゃないっ! 俺はデライザを愛しているし、他の誰かを愛するつもりはないっ!」
「だけど、あたくしはあなたを置いて先に逝くの。あたくしが死んだあと、何十年もロバートは一人で生きるの?」
「それでいい。構わない」
「あたくしが、構うのよ……。しあわせになってほしいの」
「俺のしあわせはっ! デライザの側に居ることだ!」
「あたくしの選んだご令嬢と共に生きてはくれないの? あなたを愛してくれる上に、学業も優秀。情熱的だし、性格だって悪くないわよ?」
「デライザっ!」
延々と続きそうな平行線の会話。
間に入るのは、申し訳ないけど、わたしだって当事者なのだ。
息を吸って、吐いて。
「デライザ様」
呼びかける。
「ねえ、サディアさん。あなた、ロバートが好きでしょう?」
「はい。わたしの初恋です」
淡々と答えた。
「あたくしの代わりに、ロバートを愛してくれるでしょう?」
縋りつくような声。
わたしは答える。
「いいえ。お断りします」
きっぱりとはっきりと。




