白亜の檻
小学校教師の殿相が赴任したのは地方の山奥にある小学校だ。
都会で育った彼は、雄大な自然を車の窓から目の当たりにして自分のちっぽけさに気付く。
山奥になるに連れて、霧は深くなっていく。
霧深い山道を抜けて赴任した主人公は、視界が開けた瞬間にそれを見る。
切り立った斜面にそびえ立つ、中世ヨーロッパを彷彿とさせる巨大な白亜の城。
「はえー。あんな城、地図にあったっけ?」
何かのテーマパークかな? と疑問に思いつつも、新たな教え子達の待つ学舎へ車を走らせるのであった。
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ある晩、校務で帰宅が20時を過ぎる。
殿相は、好奇心が強かった。この地に来た時に見た、巨大な城へと車を走らせたのだ。
そして、不思議な事にも気付く。
同僚達も子供達も、誰一人として、あの巨大な城に触れないのだ。
あんな立派な城は、地区の誇りのはずだ。自慢しない訳が無いのに。
そして、殿相は城の見える道路に車を停める。
街灯もない山道、霧の中に浮かび上がる城の窓に、「動く黒い人影」を見る。
人が住んでいるのか? にしては電気が通ってる様子も無い。
その夜は、そのまま引き返し街中にある公営住宅へと帰宅した。
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翌日、職員室で同僚に尋ねる。
「ああ、あそこ? 昔のリゾートだよ。不法滞在者が住み着いてるなんて噂もあるど……。まあ、冬は雪で埋まるから、人間が住めるわけないんだけどな」
同僚の笑い声が、どこか事務的で空虚に響く。
確かに昨日も見た通り、電気ガスが通ってる様子は無いため冬場は人はすぐ死ぬ。
夏でも野生動物達の餌食だろう。
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しばらくすると家庭訪問が始まる。
地図を片手に霧の深い集落を回っていた。
どの家の居間でも、お茶菓子が出され、最初は和やかに進む。
しかし、窓の外に見える「あの城」に話題が及ぶと、空気は一変した。
「ああ……あそこはね、もう誰もいないよ。関わらないほうがいい」
ある親は、そう言ったきり、二度と佐藤と目を合わせようとしなかった。
またある親は、不機嫌そうに立ち上がり、
「教育に関係ない話なら、もうお帰りください」
と、玄関の戸を乱暴に閉めた。
まるで、その建物の存在を認めること自が、この村の禁忌であるかのように。
最後の一軒は、地区で最も古い歴史を持つ、巨大な黒塗りの門を構えた屋敷だった。
主人は、地元で一目置かれる名士。
そんな彼ですら、殿相が「廃墟について、子供たちが入り込んで事故にならないか心配で……」と切り出すと、苦い笑いを浮かべた。
「先生。あそこは、私ら地元の人間には……『見えてはいけない場所』だったんですよ」
「見えてはいけない? 当時はスキー場として賑わっていたと聞きましたが」
主人はゆっくりと首を振った。
「賑わっていた? 誰が? 私の親も、その親も、あれが建設されている間、一度も中を覗かせてもらえなかった。工事のトラックは全て県外ナンバー。働く人間も、外から連れてこられた者ばかり」
彼は震える手で茶を啜り、続けた。
「当時、村で一番裕福だった私の家ですら、招待状は届かなかった。あそこに行けたのは、東京や海外から来た、顔の白い、言葉の通じない『選ばれた客』だけだ。……いいですか先生。地元の人間が、あの中の様子を誰も知らない。それは『今も』同じなんです」
「……今も、ですか?」
「夜、あそこに灯りがついているのを見たという子がたまにいます。でも、電力会社はあそこの電気を二十年以上前に止めてる。
……先生が見た『黒い影』は、不法滞在者なんかじゃない。あのお城が、まだ『現役』だと思い込んでいるモノたちですよ」
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帰り道。
車のバックミラーに、月明かりを反射して青白く輝く城が映る。
豪邸の主の言葉がリフレインする。
「言葉の通じない、選ばれた客」
「電気が通っていないはずの灯り」
殿相はアクセルを踏み込んだ。
ふと、ルームミラー越しに後部座席を見た。
一瞬、霧のせいか、濡れたような真っ黒な人影が、じっと城の方を眺めて座っていたような気がして、殿相は悲鳴を飲み込んだ。
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異動の日の昼下がり。
荷物を積み終えた殿相は、最後に一度だけ、あの城へと続く旧道に車を走らせた。
霧は晴れ、陽光が降り注いでいる。しかし、たどり着いた場所に、あの白亜の威容はなかった。
そこにあるのは、錆びついた鉄骨が肋骨のように晒された、無残な建設途中の残骸だけだ。
「……バブルの夢の跡、か」
ネットの断片的な記述通り。
豪華な内装も、大理石のロビーも、最初から存在すらしていなかった。
地元の人間が「行けなかった」のではなく、そもそも「完成すらしていなかった」のだ。
殿相は自嘲気味に笑い、ハンドルを握り直した。
すべては、この土地特有の深い霧が見せた幻想だったのだ。そう納得して、車をバックさせようとした、その時。
崩落したコンクリートの塊の上に、一人の女の子が座っているのが見えた。
当時の「選ばれた客」が着ていたであろう、今の時代にはそぐわない、仕立ての良い白いドレス。
彼女は、何もない空間——かつてそこにあったはずの、あるいはこれから建つはずだった「豪華なテラス」に腰掛け、楽しそうに足を揺らしている。
目が合った。
彼女の瞳には、驚きも、悪意も、悲しみもない。
ただ、「そこにいるのが当然である」という、絶対的な肯定感だけがあった。
彼女にとっては、今もここには白亜の壁があり、シャンデリアが輝き、選ばれた者たちが集う、賑やかなリゾートなのだ。
殿相は車を走らせようとしたが、どうしてもその「虚ろな瞳」が脳裏から離れなかった。
(もし、あの子が今も助けを求めているのだとしたら?)
教育者としての本能か、あるいは魔が差したのか。
彼はエンジンを切り、車を降りた。
「……お嬢ちゃん、ここで何を?」
声をかけながら、鉄柵を越えて敷地内へ足を踏み入れる。
その瞬間、周囲の音が消えた。鳥の声も、風の音も。
女の子はゆっくりと顔を上げ殿相を見た。その瞳は、近くで見ると底のない沼のように真っ黒で、感情が一切欠落していた。
彼女がそっと手を差し出す。
先ほどまで虚ろだった彼女の瞳に、ギラリと「飢え」のような光が宿る。
彼女の顔が、物理的な限界を超えてぐにゃりと歪んだ。
それは笑顔ではなく、獲物を逃がさないという執念が形を成したような、恐ろしい「裂け目」だった。
「行かせない」
声にはならない、湿った震動が脳内に響く。
彼女が小さな体を投げ出すようにして、
殿相の腰にしがみついた。
その腕は見た目からは想像できないほど冷たく、そして鉄の鎖のように重い。
「う、うわっ……!」
引き剥がそうとするが、指先が彼女のドレスに触れた瞬間、服の下にあるはずの体温が一切ないことに気づく。あるのは、凍てつくような孤独と、底なしの執着だけ。
彼女の顔が殿相の胸元に埋まる。歪んだ口角から、真っ黒な泥のような感情が溢れ出し、殿相の意識を塗り潰していく。
彼女はニタリと笑い、殿相に言い放つ。
「逃がさない、お前は私の物」
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数週間後。
集落の小さな駐在所に、殿相の「行方不明届」が出された。
荷物も車もそのまま。まるで煙のように、彼はこの土地から消えてしまった。
捜索に当たった警察官が、地区の相談役であるあの豪邸の名士を訪ねる。
「先生の足取りが、あの廃墟周辺で途絶えているんです。何か心当たりは?」
名士は、手元の冷めた茶を見つめたまま、力なく首を振った。
「……いえ。何も。ただ、あの場所には近づくなと、何度も忠告はしたのですがね」
警察官が帰り、静まり返った書斎。
名士は窓の外、霧に隠れた山の頂をじっと見つめ、誰に聞かせるでもなく独り言を呟いた。
「……馬鹿な男だ。あそこは『場所』ではない。今も飢え続けている『胃袋』なのだと、なぜ気づかなかった」
彼は知っていた。
あの城は、物理的に壊れようが、時が経とうが関係ない。
「あの子にとっては、城など『あちら側』へ引き摺り込むための、ただの呼び水に過ぎなかった」
彼は知っていた。あの子は、自分と同じ「寂しさ」を共有できる者を、あの白亜の地獄へ連れ去るために、ずっとそこで空腹を抱えて待っていたのだ。
「……もう、誰も助けには行けんよ。あそこはもう、彼一人のための城になったのだから」
名士は、手元の冷めた茶を地面に撒き、静かに部屋の障子を閉めた。
城は「会員制リゾート」という名目でしたが、実態は人身売買の巣窟です。世界中のそう言う趣味の富豪が集まってました。
地元の名士が語った「選ばれた客」という言葉。
彼が本当に恐れていたのは、幽霊ではなく「当時、村の有力者たちがその隠れ蓑になることで、何らかの利益(口止め料)を得ていた」という加担の記憶。
だから皆が不機嫌になり、口を閉したワケですねぇ。
殿相は最後、車で通り過ぎてれば助かりましたが彼の魔が差したは上述の連中と波長が合ったと言う事ですね。
黒い人影は連中の成れの果てです。
ちなみに、最後の女の子はあの城が廃墟になった原因とだけ。
フフフ······




