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うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい

アヌビスの天秤と、真実のプリン 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜

作者: 尾白景
掲載日:2026/02/08

 これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――



挿絵(By みてみん)

 ※


 四月の放課後。新学期特有の少し浮き足立った空気が落ち着き始めた頃。


 俺、川背匠かわせたくみは、リビングのテーブルで頭を抱えていた。

 目の前には、広げっぱなしの理科の教科書と、真っ白なプリント。


「……()()の原理。支点、力点、作用点……天秤が釣り合う条件……?」


 小学六年生になって最初の壁。

 それが『てこの原理』と『上皿天秤』だった。


 教科書には『重さ×支点からの距離=重さ×支点からの距離』なんていう公式が書いてあるけれど、文字の羅列を見ているだけで頭が痛くなってくる。


「どっちに分銅を乗せるんだっけ? 利き手と逆? それとも利き手?」


 ルールがごちゃごちゃになり、俺はシャーペンを投げ出した。思考停止。糖分が必要だ。


「休憩だ休憩。冷蔵庫に『極上焼きプリン』があったはず」


 昨日、楽しみにとっておいた、とろけるようなカスタードの塊。今の俺を救えるのはアイツしかいない。

 意気揚々とキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けた俺は、その場で凍りついた。


 ―――あるはずのプリンがない。


 黄金の輝きが鎮座しているはずのスペースは空っぽで、代わりに一枚のメモが置かれていた。


『罪深き魂よ。甘き果実を欲すれば、審判の間へ来るがよい』


 画用紙の切れ端には、筆ペンで書かれた仰々しい文字と、象形文字のような下手ウマなイラスト(たぶん犬と羽?)が添えられている。

 この家で、こんな手の込んだ真似をする人間は一人しかいない。


 俺はため息をつくと、理科のプリントを放り出し「審判の間」―――姉ちゃんの気配がする隣の和室へと向かった。


 ◇


 ふすまを開けた瞬間、独特の香りが鼻をついた。

 線香のようだがもっとスパイシーな、アロマの匂い。

 遮光カーテンが完全に閉め切られ、昼間だというのに薄暗い部屋の中央に、それ(・・)はいた。


「ようこそ、死者の広間(マアトの法廷)へ」

 姉の真綾まあやだ。


 だが、いつものジャージ姿ではない。

 白いシーツを巧みに体に巻きつけ、古代エジプトの『カラシリス』のような優雅なドレス風に着こなしている。


 二の腕や肩が露出していて、姉とはいえ目のやり場に少し困った。

 首元にはジャラジャラとした金色のネックレス。目元はアイライナーでくっきりと縁取られ、切れ長の瞳が怪しく輝いている。


 そして何より―――

「姉ちゃん……その耳(・・・)、どうしたの?」


 姉ちゃんの頭には、黒くてフワフワした『犬耳』のカチューシャが乗っかっていた。


「黙りなさい。私は冥界の神、アヌビス。これはネット通販で取り寄せた本格仕様ハイグレードよ」


 真綾姉ちゃんが犬耳をピクリと動かして(どういう仕組みなんだ?)ニヤリと微笑んだ。

 正直、悔しいけれど似合っている。

 俺が少々オタクなせいで、犬耳という属性があまりに刺さりすぎた。

 犬耳がマッチしていて、不覚にも姉ちゃんがドキッとするくらい可愛いく見えてしまった。


「ここは『マアトの法廷』。お前の理科の成績が悪いという罪を、この天秤で量らせてもらうわ!」


「なんで俺の成績のこと知ってんだよ!」

「ふん、お前のカバンから漂う『未回答プリントの波動』など、神の目にはお見通しよ」


 姉ちゃんはバサリとシーツの裾を翻すと、部屋の奥を指差した。

 そこには、図鑑を何冊も積み上げて作った「土台」の上に、長い物干し竿を乗せた、部屋いっぱいの巨大な天秤装置が鎮座していた。


「いい、匠。上皿天秤の仕組みを理解するには、まず『てこ』の本質を身体で知る必要があるの」


 姉ちゃんは物干し竿の左端に、ビニール袋に入った瑞々しい『大粒のイチゴ』をぶら下げた。


「これはお前の心臓イブ。罪の重さを象徴するものよ」


 そして反対側、右端のフックにも、スーパーのビニール袋に入った『ドッグフード一粒』をぶら下げる。


「これは真実のマアト。ダチョウの羽の代わりに、きなこのカリカリで代用するわ」


「バランス悪くない? イチゴとドッグフードじゃ、釣り合いとれないよ!」


 俺がツッコミを入れた瞬間、足元のクッションがモゾモゾと動いた。

 ミニチュアダックスのきなこだ。


 首には『アメミット(魂を喰らう怪物)』と書かれた段ボールの札が下げられている。


「グルル……(イチゴの匂いがする……)」


 きなこは短い足をテコテコと動かし、イチゴの下へ移動すると、期待に満ちた目で「バウッ!」と短く吠えた。


 ミニチュアダックス特有の、胴長短足ボディが、獲物を狙って低い姿勢をとっている。


「このままだと、アメミット(きなこ)に心臓イチゴを喰われ、おやつのプリンも没収よ!」


「イチゴを喰われるのも、プリン没収も困る!」


「なら釣り合わせなさい! 重い心臓と、軽い羽を! てこの原理を使って!」


 ◇


「てこの原理……?」


 俺は巨大な天秤を見上げた。

 左側には重そうな大粒イチゴ。右側には軽いドッグフード。

 当然、イチゴの重みで竿は左に大きく傾いている。


 きなこが後ろ足だけで立ち上がり、プルプルと腹筋を震わせながら、ぶら下がったイチゴに鼻先を近づけようとしていた。


「きゅぅ〜ん……(あとちょっとなのに)」


「急ぎなさい、匠。アメミットの我慢も限界よ」


 姉ちゃんが、アヌビスの杖(突っ張り棒)で床をトンと突く。


「えっと、釣り合わせるには……重さを変えられないなら、場所を変えるのか?」


 俺は恐る恐る、右側のドッグフード(羽)の袋に手を伸ばした。支点(真ん中)に近い位置にある袋を、外側へとずらしていく。


「支点から遠ざければ、力は大きくなる……ここか?」


 ズリズリと袋を端へ移動させる。竿がギギギと音を立てて揺れた。

 少しだけイチゴが持ち上がったが、まだ足りない。


「甘い! 迷いがあるわ!」


 突然、背後から姉ちゃんの気配が近づいてきた。

 香水のようないい匂いが、ふわりと俺を包み込む。


「もっと大胆に。モーメントを感じなさい」

 姉ちゃんが俺の背後から覆いかぶさるようにして、俺の右手ごとドッグフードの袋を握った。


 近い。

 背中に、シーツ越しに姉ちゃん(犬耳付き)の柔らかい感触が当たるか当たらないかの距離。

 その近さが何だかくすぐったく感じて、俺は思わず肩をすくめた。


「ねえ、姉ちゃん、近いって……」

「静粛に。これは神託よ」


 姉ちゃんは真剣だ。

 俺の小言なんて気にもとめない。


「ここよ。このポイント」


 姉ちゃんが俺の手を誘導し、ドッグフードを竿のギリギリ一番端っこまで移動させた。


「ガレノスの医学書によれば、脈拍の上昇は集中力の欠如を示唆するわね……匠、顔が赤いわよ?」


 姉ちゃんが覗き込んでくる。

 至近距離にあるアヌビスのメイクと、長いまつ毛。そして無防備な鎖骨(と、犬耳)。

 俺は慌てて視線を逸らし、竿の先を見た。


「う、うるさいな! ほら、釣り合った!」


 俺の声に反応するように、物干し竿がゆっくりと水平になった。

 支点からの距離を最大まで取った軽いドッグフードが、重いイチゴと完全な均衡を保ったのだ。


「できた……! 釣り合ったぞ!」

「ふふん、やるじゃない。軽い羽でも、距離を稼げば重い心臓と釣り合う。これがてこの魔法であり、物理法則の美しさよ」


 姉ちゃんが満足そうに頷き、俺から離れた。

 背中の温もりが消えて、俺はホッと息を吐いた。

 その時だった。


「ワンッ!」


 バランスが取れて安定したイチゴに、下で待ち構えていたきなこが、ここぞとばかりに飛びついた。


 ベロリ。


 ピンク色の舌が、真っ赤なイチゴの表面を舐める。


「わーーっ! アメミットがフライングした!」

「こらきなこ! 儀式の最中よ! まだ食べちゃダメ!」


 姉ちゃんが慌ててきなこを抱き上げる。

 きなこは「解せぬ」といった顔で、ダックス特有の長い胴体をビローンと伸ばして脱力し、恨めしそうにイチゴを見つめていた。


 アヌビス神の威厳が崩壊し、ただの犬好きな姉ちゃんに戻った瞬間だった。


 ◇


 翌日の理科の時間。

 理科室では、昨日俺が苦戦していた『上皿天秤』を使った実験が行われていた。


「じゃあ次、川背くん。この分銅を使って、消しゴムの重さを量ってみて」


 先生に指名され、俺は実験台の前に立った。

 クラスメイトの視線が集まる。いつもなら緊張するところだが、今日は違った。

 昨日の物干し竿の感覚が、右手に残っていたからだ。


(……上皿天秤は、支点が真ん中にある。つまり距離は一定だ)


 目の前の天秤を見る。

 脳裏に、黒い犬耳をつけた姉ちゃんの姿と、揺れるイチゴが浮かぶ。左の皿はイチゴ(量りたいもの)。右の皿は羽(分銅)。


 俺は迷わず左の皿に消しゴムを置いた。ガチャン、と皿が下がる。

 そして、ピンセットで分銅を右に乗せていく。


(まだ傾いている。心臓が重い……なら、羽を足す!)


「右に傾いたら、軽い分銅に変える……」

 俺の手つきには迷いがなかった。

 竿の傾きを見ただけで、「あとどれくらいの重さが必要か」が感覚的にわかるのだ。

 あの巨大な物干し竿でのダイナミックな実験に比べれば、小さな天秤の動きなんてスローモーションに見える。


 針がピタリと中央で止まる。


「……12グラムです」

「おお、速いな川背。手順も完璧だ」

 先生に褒められ、俺は小さくガッツポーズをした。


 ありがとうアヌビス神。ありがとうアメミット。

 そして、あのちょっとドキドキした密着指導も、無駄じゃなかったみたいだ。


 ◇


 帰宅後。

 俺は「大変よくできました」の赤いハンコがついたプリントを、リビングのテーブルに置いた。


「姉ちゃん、見て。実験、完璧だったよ」


 ソファでくつろいでいた姉ちゃんは、プリントを手に取ると、口元をニヤリと緩めた。

 今の姉ちゃんはメイクを落とし、ジャージ姿に戻っている。でも、なぜか頭にはまだあの犬耳カチューシャが乗っていた。


「当然よ。冥界の試練を乗り越えた者が、現世の天秤ごときで躓くはずがないわ」


 彼女は冷蔵庫から、約束の『極上焼きプリン』を取り出し、俺に渡した。


「審判の結果、無罪放免。楽園アアルの味を楽しんでいいわよ」


「やった! いただきます!」


 俺はスプーンでプリンをすくい、口へと運ぶ。

 とろりとした甘さが口いっぱいに広がる。苦労の末に勝ち取った甘さは格別だった。

 プリンを食べながら、ふと思い出して尋ねる。


「あ、昨日のイチゴは?」

「きなこが舐めちゃったから、洗ってイチゴジャムにしたわ。加熱すれば安心だしね」


「……俺の心臓、煮込まれちゃったんだ」

「ふふ、熱いハートになったじゃない。よかったわね」


 姉ちゃんが頭の犬耳をピコピコと動かして笑う。

 俺がじっとその耳を見ていると、姉ちゃんは急に視線に気づいたのか、顔を少し赤くしてプイッと横を向いた。


「な、なによ。まだ着けてるのが変だって言うの?」


「いや……似合ってるよ。可愛いと思う」

「っ!?」


 姉ちゃんが驚いて何度も瞬きをしたのが分かった。彼女は視線を泳がせ、手元にあった本で顔半分を隠す。


「……バ、バカじゃないの。これはただの実験用装備で……古代の精神との同調率を高めるための……」


 早口で何かブツブツと言い訳をしている。

 足元では、きなこが「次は本物の肉をよこせ」という顔で俺の足の甲に顎を乗せ、上目遣いで「クゥ〜ン」と鳴いていた。


 俺はジャムになった自分の心臓と、照れ隠しに必死なコスプレ好きの姉に苦笑しながら、平和な夕暮れを過ごすのだった。

本作をお読みいただきありがとうございます。

お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。


【お知らせ】


2月06日(金)から2月22(日)までの17日間、17時30分に毎日投稿します。


スケジュール

06金曜:武器物語25話

07土曜:うちの姉ちゃん〜コンビニ編

08日曜:うちの姉ちゃん〜テコの原理編

09月曜:武器物語26話

10火曜:うちの姉ちゃん〜洗濯編

11水曜:武器物語27話

12木曜:うちの姉ちゃん

13金曜:武器物語28話

14土曜:うちの姉ちゃん〜バレンタイン編

15日曜:うちの姉ちゃん〜ローマのプリン編

16月曜:武器物語29話

17火曜:うちの姉ちゃん〜雪玉編

18水曜:武器物語30話

19木曜:うちの姉ちゃん〜『蜻蛉切』編

20金曜:武器物語31話

21土曜:うちの姉ちゃん〜猫の日前日譚

22日曜:武器物語・特別短編


ぜひ、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


【匠の「その後」の物語はこちら!】

本作で匠たくみが学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?


匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!


本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。

ぜひ合わせてチェックしてみてください!


『転生式異世界武器物語』

https://ncode.syosetu.com/n3948lb/



※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。

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― 新着の感想 ―
拝読させて頂きました。真綾さんが本当に可愛くて好きです。 お料理もできる上に、勉強もできるのですね。 すっかり真綾さんファンです!また真綾さんのお話が読めるのを楽しみにしています♡ ありがとうございま…
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