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再会は突然に



『神様っていると思う?』

たしか、居酒屋で(あき)がそんな質問をしてきたのが始まりだった。「宗教の勧誘?」なんて茶化したあと、僕はなんて答えて、そのあと燦はなんて言ったんだっけ。


『復讐しようぜ、あの時の』

曖昧な記憶だが、多分燦は僕の答えにそう続けた。


久しぶりに飲んだ酒のせいで、いまだに世界は歪んだままだ。22時頃店を出て、燦が泊まることになって、僕の部屋で学生時代の話をして。確かな記憶はそこまでだった。どれくらいの時間が経っただろうか。時計を見ても長針と短針の区別はつかない。

それだけならまだマシだが、意識が朦朧としているせいか、透きとおるほどの青い夜がそうさせるのか、僕は今、高校時代の同級生とベッドの中にいる。

ベルトを外したのは、僕の方からだった。




「あき、お願い、ちょっとまって」


燦の骨ばった冷たい手が服の中に侵入してきて背中にふれた瞬間、心地の良いぞわぞわが背筋からつま先にかけて走った。『これ脱いで』と燦が僕のシャツを乱暴にめくり上げ、燦も自身のシャツを脱いだ。月の光が差し込む部屋に、不規則な呼吸と湿った音が響く。何度も、何度も。はやくなったり、おそくなったり。

触れるほどだった唇は次第に深くなり、熱い舌が侵入してきて、甘い唾液が喉を通り、カクテルを飲んだような浮遊感に襲われた。こうなるともう、標準装備されている制御装置だけではブレーキをかけることは難しい。


『ここ弱いの?』


燦が耳元で囁くたびに、ボンボンショコラみたいになにかが溢れ出して、熱でどろどろに溶かされていく。

うっすら目を開けると、僕と世界の間に磨りガラスが一枚嵌め込まれたのかと錯覚するほど視界は滲んでいて、外の藍色が鮮やかになっていくのだけが分かった。


『何考えてるの?』


首元を掴まれ本能的に固まってしまった僕は、代わりに彼を睨み返した。


『だいち、その顔って無自覚なの?』


されるがままの僕を見下ろしながら、燦は嬉しそうに言った。青い光を帯びた燦は、痩せ気味で骨が浮き上がっていて、いつかのファンタジー映画で見た銀龍のように妖艶で美しかった。

おへそのあたりを摩っていた右手は目的地が決まっているようで、迷うことなく下の方へ潜っていく。


「ちょっと‥‥まじで‥‥」


いくら恋愛経験に乏しい僕でも、この状況がよくある出来事でないことは理解できた。いわゆる、酔った勢いでとか、ワンナイトという言葉で片付けられる事案ではない。

だって、今僕を抱きしめているのは男で、高校時代の同級生で、当時学年の女子のほとんどから告白されたという伝説をもつ黒川燦(くろかわあき)なのだから。



「あき、もうむり‥‥」


"あき"なんて、まるで10年来の親友のようだが、彼とは2日前、久しぶりに駅で遭遇した。

さらには高校卒業以来の奇跡の再会により、元同級生から、僕にとって命の恩人へと一変した。


僕たちの再会は、気づけば空一面に広がっている雨雲のように、なんの前触れもなくやってきた。







その日は、いつもと同じ朝だった。違った点といえば、少しの肌寒さを感じて暖房を1℃上げたくらいだ。洗面台の鏡は結露で濡れていて、指で拭き取るとひどく冷たかった。

顔を洗い歯磨きを済ませ、風呂場から昨晩干した制服一式を取り込む。袖を通すと混じり合う、生暖かさと柔軟剤の匂いが心地良い。幸せを感じる瞬間ランキングのTOP15くらいには入るかもしれない。


僕の朝は決まっていて、ここ2年はループしているかのように同じ朝を繰り返している。

着替えた後は朝食の時間だ。冷蔵庫の上段に整列した銀色のパックの右のひとつを手に取る。朝食はだいたいエナジーゼリーかプロテインバーと決まっている。テレビCMの通り10秒でチャージを完了すると、天気を確認するため窓に近づいた。今日は確か晴れ予報だったような、と考えながらカーテンを開くと、空は、今から雨を降らせますよと言わんばかりの鼠色で覆われていた。右に左に暴れる木々が、ご丁寧に風の強さまで知らせてくれている。

時刻は朝の5時半。道路を挟んで向かいの美容室もカフェも、少し奥に見える薬局も、敷き詰められた家々も眠ったままで、世界の終わりのような虚しさが広がっていた。住宅街ということもあり、この時間はまだ静かで、人ひとり歩いていない。唯一営業しているコンビニの灯りが、希望の光のように輝いてみえる。カーテンを閉めると、僕は折り畳み傘をリュックに入れ、突然の雨に備えた。




気を抜けば、足を取られて転がっていきそうなくだりの道。僕の住むアパートから駅までは徒歩で7分かからない。このなだらかな長い坂が少し辛いくらいだ。

まどろむ朝の道に立ち並ぶ街灯は、所々電球が切れていて、なんとか照らされた冷たいコンクリートを歩いてバイト先のホテルへ向かう。これが最近の僕の日常である。

空を見上げると透けた月が浮かんでいた。立ち止まり深く息を吸う。冷たい空気が肺いっぱいに満ちていく。

12月の、この空気が1番好きだ。もう息が白い。白い息を見ると、幼い頃タバコを吸う真似をして母に叱られたのを思い出す。

それから連想されるように、ピースの煙の匂いが蘇ってくる。これは6年も前の話だが、どれだけホワイトアウトしようと、痕はしっかり残ったままだ。



午前6時過ぎ。駅の改札前、ポケットに手を入れると指先に触れるはずの定期がなかった。そこでやっと思い出した。いつもはジャケットの右ポケットに入れるのだが、昨日はなぜかパンツのポケットに入れたのだ。今頃、洗濯機の底で誰か見つけてくれと助けを求めているだろう。

次の電車の時刻を確認すると、出勤時間まではまだ少し余裕があった。僕は急いでアパートへ戻った。



現在、午前6時30分。予定通り25分発の電車に乗り込んだ。

本当に些細な、ボタンを一段掛け違えただけのような出来事で、人生が大き変わってしまうことがある。人生は選択の連続だと誰かが言っていたけれど、最近になってようやくその意味が分かってきた。

なんて、大袈裟かもしれないが、電車に揺られながら僕はそんなことを考えていた。


小さな石につまづく度ひどく深刻に捉えてしまうのは、幼い頃からの性格であり、大切な個性でもある。僕はいかなる時も冷静に対応できるよう、ありとあらゆるケースを想定し生きている、らしい。"らしい"と付け加えた理由は、僕自身は無自覚でそのように生きているからだ。気づけば大量にストックされていたプロテインバーがひとつの例である。


車内の電光掲示板に最寄駅が表示されると、僕は素早く立ち上がり、入り口付近で待機した。扉が開いてすぐ降りられるように。この車両に僕以外の乗客はいないし、乗ってくる人もほとんどいないが、こうしないと落ち着かないのだ。半分病気のようなものだと思う。

心配性が過ぎて年々悲観的になりつつあるのが悩みだが、悪いことばかりではない。念には念をの性格が功をなし、僕は大学の誰よりも早く大手企業の内定を手に入れたのだから。


電車はゆっくりと停車し、僕は扉が開き切る前に降りると、すぐ近くの階段めがけて歩調を速めた。


この頃はバイト三昧の日々を送っている。クリスマスを共に過ごす友人も恋人もコタツもないが、それりに幸せな日々を‥‥。


そこまで考えたところで、僕の体は突然バランスを失い、階段の底へダイブするように宙に浮いた。足を踏み外したのだと瞬時に理解した。余計なことを考えていたせいだ。

目を瞑り、腕で顔を覆った。

きっとこれ以上打つ手はない。

これからくる衝撃に備え、自然と体に力が入るのが分かった。


覚悟を決めたその時、僕の体は誰かの手によって後ろへ引き戻された。


『っぶねー』


背中から大きく倒れ、勢いよく見上げた先には、どこか見覚えのある顔があった。


「あ、りがとう、ございます‥‥」


『‥‥あれ?お前‥‥白石(しらいし)?』


「‥‥もしかして、黒川?くん?」


間違いない。黒川燦(くろかわあき)だ。

突然の再会だった。

僕はとりあえず立ち上がり、お尻を軽く払った。


「あ、ありがとう!助かったよ‥‥」


ありきたりではあるが最低限の礼を伝え、続く言葉が見つからないので、汚れてない袖を払ってみせる。ろくに人付き合いをしてこなかったせいで、顔を直視することができない。

少しの沈黙の後「あ〜‥‥」と、謎の声が漏れるだけ。なかなか情けないと思う。


そんな僕を見かねてか、黒川くんは顔を覗き込んできて『白石変わってないなー、すぐに分かった』と笑った。

黒髪になった彼は、少しだけ大人っぽく見えた。


「これからバイトで急いでるんだけど、‥‥何かお礼をさせて」と伝えると『じゃあ連絡先教えて』と黒川くんは言った。僕たちは連絡先を交換して、僕は急いでバイト先へと向かった。

振り返ると、黒川くんはそに立ったまま、こちらに向かって大きく手を振ってきた。僕は小さく振り返した。


ここに来る途中で降り出した雨は、さらに強くなり、地面を打つ雨音は、いつもよりも鮮明に僕の耳に届いた。







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