第93話 鉄の飽食
帰投の空路は、重苦しいほどの静寂に包まれていた。
夕闇が迫る空を、アヴェンジャーは緩慢な動きで滑るように飛んでいる。
機体が重いのではない。
溢れ出しそうなほどのエネルギーが、機体内部で渦を巻き、密度を増しているのだ。
『……おい、エルゼ。大丈夫か?』
カイルの声が、ノイズ混じりに聞こえる。
無線機の不調ではない。
アヴェンジャーから放射される過剰な魔力波が、通信機器に干渉しているのだ。
「……平気よ。少し、体が熱いだけ」
私は嘘をついた。
本当は、全身が焼けるように熱かった。
戦艦ベヒーモスから吸い上げた膨大なエネルギー。
それがパイロットである私にも逆流し、細胞の一つ一つを内側から焦がしているような感覚だ。
ドクン、ドクン、ドクン……。
心拍数が異常に早い。
呼吸をするたびに、口から熱い蒸気が漏れる。
視界の端が赤く明滅し、現実の風景と、サーモグラフィーのような熱源探知の映像が混線している。
(食べすぎた……)
あんな巨大な戦艦を「消化」するには、私の器(肉体)は小さすぎたのかもしれない。
けれど、不快ではなかった。
むしろ、泥酔した時のような、浮遊感を伴う全能感が脳を支配していた。
***
バルデの街が見えてくる。
私たちが拠点にしている艦橋塔の前には、黒山の人だかりができていた。
ヴァルガスの私兵団、そして噂を聞きつけた街の住人たちだ。
ズズゥゥン……。
アヴェンジャーが着陸する。
その姿を見た群衆から、悲鳴とも感嘆ともつかない声が上がった。
無理もない。
出発前のアヴェンジャーとは、シルエットが変わっていた。
戦艦の装甲を取り込んだことで、機体全体が一回り肥大化し、肩や脚部からは鋭利なスパイクが突き出している。
そして何より、右腕と一体化したレールキャノンが、まだ赤熱したまま蒸気を上げているのだ。
「……おお、見ろ! あれが『帝國喰らい』か!」
「戦艦を沈めたってのは本当だったんだ……!」
畏怖の眼差し。
かつてエースパイロットとして向けられた称賛とは違う、災害に対する恐怖を含んだ崇拝。
プシュゥゥゥ……。
コクピットハッチが開く。
私はシートから立ち上がろうとして――膝から崩れ落ちた。
「エルゼ!」
カイルが慌てて私を支える。
彼の腕に触れた瞬間、「熱っ!」と彼が顔をしかめた。
「おい、すげえ熱だぞ! 火傷しそうだ」
「……ごめん。冷却が、追いついてないみたい」
私はカイルに抱えられるようにしてタラップを降りた。
そこへ、ヴァルガスが拍手をしながら歩み寄ってくる。
「ブラボー! 素晴らしい戦果だ、女王陛下!
陸上戦艦を単騎で撃破するとは……。これで帝國も、迂闊にはこの街に手を出せまい」
ヴァルガスは上機嫌だったが、私を間近で見て、ふと真顔になった。
「……顔色が悪いな。それに、その腕」
彼が指差したのは、私の右腕ではなく、人間のまま残っていたはずの「左手」だった。
私は自分の手を見た。
そして、息を呑んだ。
綺麗な肌色だったはずの左手の指先。
そこが、黒ずんでいた。
汚れではない。
爪が硬質化し、皮膚の下にうっすらと鱗のような模様が浮き出ている。
(侵蝕が……進んでる)
右半身だけだった「竜化」が、過剰なエネルギー摂取によって、左半身にまで及び始めていたのだ。
「……カイル。水」
「お、おう」
カイルが水筒を渡してくれる。
私は震える手でそれを受け取り、一気に喉に流し込んだ。
ジュッ……!
喉の奥で、焼けた鉄に水をかけたような音がした。
「……はぁ、はぁ……」
水筒を投げ捨てる。
喉の渇きは癒えない。
代わりに、強烈な「飢え」が襲ってきた。
食べ物ではない。もっと硬く、冷たいものを噛み砕きたいという衝動。
「ヴァルガス。……鉄を。もっと鉄を持ってきて」
私は虚ろな目で懇願した。
「この子が……まだ足りないって言ってるの。
消化するために、もっと鉄を食わせないと……私の体が持たない」
ヴァルガスは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにニヤリと笑った。
「よかろう。倉庫のスクラップをすべて運び込め!
女王陛下のお食事だ!」
部下たちが慌ただしく動き出す。
私はその場に座り込み、ガツガツと鉄屑を貪るアヴェンジャーを見つめた。
その咀嚼音を聞くたびに、私の体の火照りが少しだけ和らぐ。
もう、後戻りはできない。
最強の力を手に入れた代償に、私は「人間」としての輪郭を、急速に失いつつあった。




