第88話 鉄の福音
艦橋塔の最上階、執務室には異様な熱気が充満していた。
高級な絨毯の上に、工具と医療器具が雑然と広げられている。
「……麻酔は要らん。そのままやれ」
ヴァルガスが上着を脱ぎ、左腕の義手を無造作に差し出す。
その額には脂汗が滲んでいたが、瞳だけは期待と狂気でギラついていた。
「いい度胸ね。……少し、痛むわよ」
私はアヴェンジャーの装甲から採取した、小指大の「赤い結晶片」をピンセットで摘み上げた。
まるで生きているかのように脈打つその欠片。
それを、ヴァルガスの義手の接続部――神経と金属が癒着した古傷へと押し当てる。
ジュッ……!!
「ぐっ、うぉぉぉぉぉッ……!?」
肉が焼ける音と共に、ヴァルガスが喉を反らせて絶叫した。
護衛たちが色めき立つが、カイルがハンドガン片手にそれを制する。
「動くな。……これは『手術』だ」
私の手の中で、結晶は急速に溶け出した。
それは赤黒い粘菌のような繊維となって義手の内部へと潜り込み、錆びついたサーボモーターを食い破り、断線しかけていた神経回路を強引にバイパスしていく。
金属疲労で軋んでいた関節が、ボキボキと音を立てて再構築されていく。
機械修理であり、外科手術。
その境界線は、今の私には存在しない。
私の右目には、ヴァルガスの生体電流と義手の電子信号が、美しい光の奔流となって見えていた。
「……繋がった」
私が手を離すと、ヴァルガスの左腕は、以前の真鍮色から、黒曜石のような艶を持つ禍々しい形状へと変貌していた。
指先が鋭利な爪のように尖り、手首の隙間からは赤い光が明滅している。
ヴァルガスは荒い息を吐きながら、恐る恐るその左手を握り、開いた。
ギュオッ、と風を切る音がするほどの反応速度。
「……なんと」
彼は近くにあった重厚な鋼鉄製の灰皿を、左手で掴んだ。
力を入れた様子もないのに、分厚い鉄が粘土のようにひしゃげ、指の跡が残る。
「素晴らしい……! 痛みが消えたどころか、現役時代以上の力が漲ってくるぞ!」
ヴァルガスが高笑いを上げ、新しい腕を愛おしげに撫で回す。
それはもう、ただの義手ではない。アヴェンジャーの端末だ。
いざとなれば、私が遠隔で彼の腕を爆破することも、操ることもできる。
その事実に気づいているのかいないのか、彼は私に向かって恭しく頭を下げた。
「疑って申し訳なかった、女王陛下。
約束通り、この塔のドックと地下燃料庫を自由に使いたまえ。
……帝國の犬どもが嗅ぎつけてきても、我が私兵団が全力で排除しよう」
「期待しているわ」
私は努めて冷徹に振る舞い、踵を返した。
エレベーターホールへ向かう背中に、ヴァルガスの熱っぽい視線を感じる。
それはもはやビジネスパートナーを見る目ではなく、奇跡を目撃した信者のそれだった。
***
塔を出て、薄汚い路地裏に戻った時、カイルが大きく息を吐いた。
「……お前、あいつに何をした?」
「ただの修理よ」
「嘘をつけ。あの爺さんの腕から、お前の機体と同じ『気配』がしたぞ」
カイルの鋭い指摘に、私は立ち止まる。
「……種を蒔いただけ。
この街を守るには、彼にも『こちらの側』に来てもらう必要があったから」
カイルは複雑そうな顔で頭を掻いたが、それ以上は追求しなかった。
私たちはもう、引き返せないところまで来ているのだ。
見上げた夜空。
分厚いスモッグの切れ間に、赤い星が瞬いているのが見えた。
――いや、星ではない。
私の強化視力が、成層圏を巡航する艦影を捉える。
帝國軍の哨戒艇だ。
奴らは確実に、この「磁場の乱れ」を感知して集まりつつある。
「……急がないとね」
アヴェンジャーを完全な状態に戻す。
そして、襲い来る全てを喰らい尽くす。
それが、化物に堕ちた私に残された、唯一の生存本能だった。
屑鉄の街に、冷たい夜風が吹き抜ける。
それは、来るべき戦火の予兆を含んだ、鉄錆の匂いがした。




