第87話 錆びついた玉座
スモッグの彼方にそびえる「塔」を目指し、私たちはバルデの目抜き通りを歩いていた。
通りといっても、泥と油にまみれた迷路のような路地だ。
道端には、どこからか流れてきたジャンク品を売る露店が並び、義手や義足をつけた男たちがたむろしている。
私がフードを目深に被って歩くと、群衆がモーゼの海割れのように左右に開いていくのが分かった。
カイルのような強面が先導しているからではない。
私が放つ「異臭」――獣の気配に、彼らの本能が警鐘を鳴らしているのだ。
「……見えてきた。あれが『艦橋塔』だ」
カイルが顎でしゃくった先。
地面に突き刺さるようにして、巨大な戦艦の艦橋部分が鎮座していた。
かつては大空を制したであろう旧時代の遺物。
その威容は、錆びついて蔦が絡まりながらも、周囲のバラック小屋を王のように見下ろしている。
「止まれ。ここはヴァルガス様の城だ」
塔の入り口、分厚い隔壁の前で、二人の門番が立ちはだかった。
全身を重装甲の強化外骨格で固め、手には大型のガトリングガンを持っている。
ガルドのようなチンピラとは装備の質が違う。
「お取次ぎを願いたい。商談だ」
カイルが両手を広げて歩み寄るが、門番は銃口を下げようとしない。
「アポ無しは帰れ。それとも、その身体をスクラップにして売り払われたいか?」
ジャキッ、とガトリングの銃身が回転を始める。
カイルが舌打ちをし、腰のハンドガンに手を伸ばそうとした時だった。
「……いい銃ね」
私が一歩、前へ出た。
「おい、エルゼ?」
「黙ってて」
私は門番の目の前まで歩み寄った。
銃口が私の眉間に突きつけられる。
だが、私の右目は、その銃の内部構造を透視するように捉えていた。
「……銃身には耐熱セラミックコーティング。機関部は摩耗の少ないクロムモリブデン鋼。
……ふふっ、すごく美味しそうな匂いがする」
私が鼻を鳴らすと、門番が気味悪そうに後ずさった。
フードの下から、金色の瞳だけで彼を見上げる。
「ねえ、その銃。撃ったら私が食べるわよ?」
「は……?」
「弾丸ごとかじりついて、その立派な銃身も飴みたいに噛み砕いてあげる。
……貴方のその強化外骨格も、中身ごとね」
ゾワリ、と殺気が膨れ上がる。
ハッタリではない。
今、私は本気でそのガトリングガンを「食事」として認識していた。
その異常な飢餓感が伝播したのか、門番の手が震え始めた。
「ひッ……こ、こいつ……!」
門番が引き金を引こうとした瞬間、塔の上部に設置されたスピーカーから、しゃがれた声が響いた。
『――通してやれ』
門番たちの動きが止まる。
『面白い客だ。鉄の味が分かる女など、そうはいまい』
隔壁が重々しい音を立てて開き始める。
奥から漂ってくるのは、カビ臭い空気と、上質なオイルの香り。
「……行くわよ、カイル」
私は呆気に取られる門番たちを一瞥もせず、暗闇の中へと足を踏み入れた。
***
塔の内部は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
剥き出しの配管が血管のように張り巡らされ、鈍い光を放つ照明が足元を照らしている。
私たちは業務用エレベーターに乗り込み、最上階を目指した。
ガガガガ……とチェーンが巻き上がる音が響く中、カイルが溜息をつく。
「……心臓に悪いぜ。あそこで撃たれてたらどうするつもりだった?」
「言った通りよ。食べるつもりだった」
「……冗談に聞こえねえのが怖いな」
チン、と軽い音がして扉が開く。
そこは、かつての戦艦の司令室だった。
防弾ガラスの向こうには、灰色に染まったバルデの街並みがパノラマで広がっている。
その中央、艦長席に深々と腰掛ける男がいた。
「ようこそ、屑鉄の街へ」
ヴァルガス。
白髪をオールバックにし、仕立ての良いスーツを着崩した老紳士だ。
だが、その左手は肘から先が機械化され、真鍮色の精巧な義手がグラスを握っていた。
「……ヴァルガスだな。俺はカイル。こっちは連れのエルゼだ」
「知っているよ。帝國軍のエース・パイロット諸君」
ヴァルガスは手元のタブレット端末を操作し、空中にホログラムを投影した。
そこに映し出されたのは、私たちの手配書だ。
「『第一級帝國市民権』に『完全恩赦』。
……魅力的な響きだと思わんかね? この街のドブネズミたちにとっては、魂を売ってでも欲しい『天国へのパスポート』だ」
ヴァルガスが義手の指でコツコツとテーブルを叩く。
部屋の隅に控えていた数名の護衛たちが、一斉に武器に手をかけた。
空気の密度が一気に高まる。
「単刀直入に聞こう。
私が君たちを帝國に突き出さず、わざわざ客として招き入れるメリットはなんだ?」
試されている。
私はカイルを一歩下がらせ、ヴァルガスの前に進み出た。
「……メリット? 勘違いしないで」
私はフードを脱ぎ捨てた。
露わになった右半身の異形。
鱗に覆われた皮膚と、獣の瞳に、ヴァルガスがわずかに眉を動かす。
「私は取引をしに来たんじゃない。……『忠告』をしに来たの」
「ほう?」
私はヴァルガスの義手を指差した。
「その義手、随分と古いわね。内部のサーボモーターが悲鳴を上げている。
……あと一ヶ月もすれば、あんたの神経系を焼き切って暴走するわよ」
「なっ……!?」
ヴァルガスの表情が初めて崩れた。
私の右目には見える。
義手の奥、神経接続コネクタに蓄積した微細な金属疲労と、魔力伝達の不具合が。
「帝國の技術でも治せないでしょうね。それはもう寿命だもの」
「……貴様、なぜそれが分かる」
「鉄の声が聞こえるからよ」
私はテーブルに手をつき、ヴァルガスに顔を近づけた。
「私なら、それを直せる。
私の機体の細胞を使えば、その義手どころか、この塔全体を要塞として再生させることだってできる。
……その代わり、私たちを匿いなさい。必要な物資と情報はすべて提供して」
それは、究極の二択だった。
帝國に媚びて「市民権」を得るか。
それとも、化物を飼いならして「最強の力」を手に入れるか。
ヴァルガスは長い沈黙の後、ニヤリと口角を吊り上げた。
「……クックック。鉄の味が分かる女か。気に入った」
彼はグラスを掲げた。
「よかろう。帝國の市民権など、老い先短い私には紙切れも同然だ。
歓迎するぞ、エルゼ嬢。……いや、『錆の女王』陛下」
その瞬間、私たちは屑鉄街という巨大な暴力装置の「核」となった。




