第83話 奈落への航路
東の空は、濁った鉛色をしていた。
帝國の支配領域を抜け、法も秩序も届かない荒野の上空。
アヴェンジャーは、一定のリズムで不気味な鼓動を刻みながら巡航していた。
『……泣き止んだか?』
後席のカイルが、遠慮がちに声をかけてくる。
「泣いてないわよ。……風が目に染みただけ」
私は強がって、ヘルメットのバイザーを指で拭った。
嘘だ。視界はずっと滲んでいる。
けれど、後悔はしていなかった。あそこでリズを突き放したのは、私のエゴであり、同時に最善の選択だったはずだ。
ふと、別れ際のリズの顔を思い出す。
涙に濡れていたけれど、その顔色は驚くほど良かった。
(あの子の『魔力欠乏症』……発作が治まっていた)
皮肉な話だ。
私を異形へと変えた「竜の墓場」の高濃度な魔力汚染が、逆にリズにとっては特効薬になったらしい。
墓場周辺の空気中に充満していた濃密な魔素を吸い込んだことで、枯渇していた彼女の魔力回路が潤い、一時的に症状が安定したのだ。
整備班長も言っていた。「これなら、しばらくは薬なしでも普通の生活ができるだろう」と。
「……あの子はもう、私がおんぶしてやらなくても歩ける」
独り言のように呟く。
守られるだけの存在だった妹は、皮肉にも私の体を蝕んだ「竜の血」の恩恵で健康を取り戻し、逆に私は守るべき場所(人間社会)を失った。
これでいい。
あの子が健やかでいてくれるなら、私が化物に堕ちた意味もあったというものだ。
『エルゼ、そろそろだ。見えてきたぞ』
カイルの声で、私は感傷を振り払った。
雲の切れ間から、眼下の荒野に巨大な「シミ」のような街が見えてきた。
自由都市バルデ。
巨大なクレーターの底に、廃棄された輸送船や工場の残骸を積み上げて作られた、錆と欲望の街。
ここから先は、帝國軍の階級章も、レジスタンスの大義名分も通用しない。
あるのは「鉄」と「暴力」のルールだけだ。
『入港許可なんて気の利いたもんはねえぞ。強引に降りる』
「了解。……アヴェンジャー、行くわよ」
私が意識を向けると、機体が『ドクンッ!』と歓喜するように脈打った。
操縦桿を通して、機体の飢餓感が伝わってくる。
この街には、美味しい鉄の匂いが充満しているからだ。
キィィィィン……。
私たちは高度を下げ、赤茶けた砂煙の舞うクレーターへと機首を向けた。
まともな人間なら眉をひそめるような、オイルと排気ガスの臭い。
けれど、今の私には――それが酷く心地よく感じられた。
奈落の底へ。
私の新しい「日常」が、そこで口を開けて待っていた。




