第76話 鉄の墓標
雨が赤く見えた。
私の右目から流れた血が、視界を染めていたからだ。
コクピット内は警告音の嵐。魔導炉の出力は不安定で、機体フレームは限界を訴えて軋んでいる。
それでも、アヴェンジャーは立っていた。
私の心臓と同期するように、ドクン、ドクンと不気味な脈動を繰り返しながら。
『ハァ……ハァ……しぶといな、エルゼ。
薄汚いドブネズミかと思っていたが、どうやら狂犬くらいには昇格させてやる必要がありそうだ』
ノイズ混じりの通信機から、ハウンド1の声が届く。
彼の愛機『ニーズヘッグ』もまた、無傷ではなかった。
先ほどの激突で左翼の半分を失い、自慢の紫色の装甲も泥とオイルに塗れている。
だが、その機首から漏れる殺意の光は、少しも衰えていない。
「……ムダ口はいいわ。早く来なさいよ」
『強がるねえ。その腕、もう腐り落ちる寸前だろう?』
図星だった。
右腕の感覚はもうない。あるのは、炭化した薪が燻るような熱さと、私の命を燃料にして燃え盛る「力」の奔流だけ。
肩まで広がった黒い鱗は、いまや首筋にまで達しようとしている。
『楽にしてやるよ。兵器になり損ねたガラクタは、スクラップになるのがお似合いだ!』
キィィィィン!!
ニーズヘッグが浮上する。
片翼を失ってもなお、魔力制御による強引な機動で空へ舞い上がる。
奴は上空から、一方的に私を焼き尽くすつもりだ。
『カイル。……しっかり捕まってて』
『……ああ。心中するなら、美女とアヴェンジャーで悪くねえ』
カイルが覚悟を決めた声で応える。
私は残った全魔力を右腕に集約させた。
上空でニーズヘッグが静止する。
その機首に、これまでとは桁違いの紫色の光が収束していく。
最大出力の照射。
回避不能の、天からの裁き。
『消え失せろォォッ!!』
ジュワァァァァァッ!!
極太のレーザーが、雨を蒸発させながら一直線に降り注ぐ。
音速を超えた光の奔流。
だが、私は動かなかった。
(今だ……!)
私は地面に突き刺していた右手の爪を通して、大地に眠る「竜の血」に呼びかけた。
この場所は竜の墓場。
大地そのものが、巨大な魔力結晶の塊だ。
私の右腕が鍵となり、眠れる力を解き放つ。
「吼えろォォォォォッ!!」
ズゴゴゴゴゴッ!!
アヴェンジャーの足元から、巨大な赤黒い結晶の柱が、槍のように大地を突き破って隆起した。
一本ではない。十、二十。
私の意思に呼応して、大地から生えた結晶の森が、頭上で交差して巨大な「傘」となる。
ドォォォォォンッ!!
レーザーが結晶の盾に直撃する。
まばゆい閃光。
結晶は高熱で溶解し、ガラスのように砕け散っていくが、光の直撃を逸らし、乱反射させる。
『なっ……!? 地面が……動いただと!?』
ハウンド1の動揺が見えた。
その一瞬の隙こそが、私が待ち望んでいた勝機。
「飛べッ! アヴェンジャァァァッ!!」
私は爆発する結晶の破片の中を突っ切った。
スラスター全開。
砕け散る結晶を踏み台にし、さらに噴き上がる爆風を翼で受け、アヴェンジャーは砲弾のように空へ跳ね上がった。
視界が白から赤へ変わる。
目の前には、レーザーを撃ち尽くし、放熱のために隙を見せたニーズヘッグの腹。
『バ、バリア……ッ!』
「遅いッ!!」
私は右腕を、目の前のコンソールに叩きつけた。
機体の右腕が連動する。
鋭利な金属爪が、最大出力の魔力を纏って赤熱する。
それはもはや機体の一部ではない。
私の怒りそのものだ。
ズドォォォォォォッ!!
アヴェンジャーの右手が、ニーズヘッグのコクピットごと、機体を深々と貫いた。
装甲が紙のように破れる感触。
オイルと燃料、そして生々しい何かが飛び散る。
『ガ……ハッ……』
通信機越しに、空気が抜けるような音が聞こえた。
ハウンド1の声にならない呻き。
『バカ……な……。人間……ごとき……が……竜を……』
ドカンッ!
ニーズヘッグの内部で誘爆が起きる。
私は貫いた腕を振り抜き、燃え上がる敵機を蹴り飛ばした。
火だるまになった黒い鳥は、力なく回転しながら、結晶の森へと墜ちていく。
やがて、地面に激突し、巨大な爆炎が墓場を照らし出した。
――静寂。
雨音だけが戻ってきた。
アヴェンジャーは、空中でバランスを崩しながらも、どうにか着地した。
膝をつき、そのまま動かなくなる。
「……終わっ……た……」
全身の力が抜け、私はシートに沈み込んだ。
勝った。
生き残った。
けれど、その代償を確かめるように、私は自分の右手を見下ろした。
黒い鱗は、首筋を這い上がり、右の頬にまで達していた。
コンソールのガラスに映る私の顔。
右半分は、もはや人間のものではなかった。赤黒い瞳が、爬虫類のように縦に割れている。
『……エルゼ』
カイルが静かに私の名前を呼んだ。
勝利を喜ぶ声ではない。
友人の変貌を悼むような、悲痛な響きだった。
「……大丈夫。まだ、私は私よ」
私は震える唇で笑ってみせた。
嘘だ。
心の中に、冷たくて熱い、別の「何か」が居座っているのを感じる。
アヴェンジャーの鼓動が、自分の心臓の音よりも大きく聞こえる。
雨が、燃える残骸と、私たちの熱を冷ましていく。
竜の墓場に、新たな鉄の墓標が一つ増えただけのこと。
私たちは生きて、この地獄を後にする。
■ 機体設定補完:試作重竜騎兵『アヴェンジャー』(第76話時点)
【機体名】
アヴェンジャー(侵蝕形態)
【概要】
「竜の墓場」での戦闘および応急処置を経て、変異をきたした状態。
エルゼの右腕と、現地で採取された「竜血結晶」を触媒に、破損した装甲とフレームを強制的に「癒着・再生」させた。
もはや帝國の工業規格では説明がつかない存在になりつつある。
【特異点:生体金属化】
装甲:
溶接やリベット打ちはされていない。結晶が金属を侵食し、細胞分裂のように増殖して傷を塞いでいる。修復箇所には赤黒い血管状の紋様が走り、装甲自体が微弱な熱(体温)を持っている。
駆動系:
魔導炉の回転音に加え、重低音の「鼓動」が観測されている。
これは機体がエルゼの心拍とリンクし、彼女の魔力循環(血流)を動力源として取り込んでいるためと推測される。
【制御系:感覚共有】
従来の操縦桿による入力に加え、搭乗者の神経信号をダイレクトに読み取る。
メリット: 思考速度での機動が可能。死角からの攻撃に対しても、搭乗者の「殺気」や「悪寒」に反応して自律回避を行う。
デメリット(呪い): 機体のダメージが「痛み」として搭乗者にフィードバックされる。また、搭乗者の肉体そのものを「パーツ」として認識し始め、徐々に同化(竜化)を促している節がある。




