第73話 侵蝕
雲海を抜け、再び赤黒い結晶の森へと降下する。
磁気嵐が吹き荒れるこの谷底なら、上空からの目視も、帝國のセンサーも届かない。
ズズン……。
アヴェンジャーが重々しい音を立てて、岩陰に着陸した。
エンジンの回転数を落とすと、機体は獣が眠るように静かになった。
「……逃げ切った、か」
私は大きく息を吐き、シートの背もたれに体を預けた。
途端に、麻痺していた感覚が戻ってくる。
「ぐっ、うぅ……!」
右腕から、焼け付くような激痛が走った。
コクピットの照明を点ける。
暗がりの中に浮かび上がった自分の腕を見て、私は息を呑んだ。
操縦桿を握る右手から、肩口にかけて。
皮膚が炭化したように黒く変色し、そこから硬質な「鱗」がびっしりと生え揃っていた。
それは以前のようなまだら模様ではない。
完全に、爬虫類のそれだった。
『……おい、エルゼ。大丈夫か?』
後席のカイルが、心配そうに身を乗り出してくる。
彼は私の肩に触れようとして、その異様な変化に気づき、手を止めた。
『……こいつは……』
「触らないで。……伝染るかもしれない」
私は自分の右腕を抱くようにして縮こまった。
魔力障壁を展開した代償だ。
機体と深くリンクしすぎたせいで、私の肉体は「ヒト」の規格を外れてしまったのだ。
「リズは……逃げ切れたかな」
『ああ。雲の上までは追手も来てなかった。今頃は東の空域へ抜けてるはずだ』
カイルは努めて明るい声を出そうとしていた。
彼は義足である左足をガリガリと掻きながら、小さく溜息をついた。
『……お前、これからどうする気だ? その腕、もう隠し通せるレベルじゃねえぞ』
「……分かってる」
私は鱗に覆われた手を、光の届かないコンソールの影に隠した。
痛い。熱い。
まるで血管の中を、溶けた鉄が流れているようだ。
けれど、不思議と後悔はなかった。
「あの子が生きてるなら、それでいい。……私の体がどうなろうと」
『……バカ野郎』
カイルは短く吐き捨てると、水筒の水を私に手渡した。
『自分を安売りすんな。……お前が化物になろうが、俺の相棒であることに変わりはねえよ』
彼の不器用な優しさが、今は痛かった。
――ビビビッ。
その時、死んでいるはずの通信機が、微弱なノイズを拾った。
どこか遠く、けれど明確な殺意を含んだ声。
『……聞こえているか、エルゼ』
ハウンド1だ。
あのニーズヘッグのパイロット。
『逃げたネズミ(輸送機)には興味はねえ。俺が欲しいのは、牙を剥く獣だけだ』
ノイズの奥で、彼が嗤う気配がした。
『この磁気嵐の中で、かくれんぼと行こうぜ。……見つけたら、その手足、一本ずつ引きちぎってやるからなァ』
通信が途切れる。
私は震える手で、再び操縦桿を握り直した。
まだ、終わらない。
この森を出るまでが、私たちの戦争だ。
私は右腕の痛みを殺意に変え、赤黒い瞳を闇の奥へと向けた。




