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第6話 灰色の英雄



 戦闘から三日後。

 帝國軍の宿舎にある無機質な個室で、私は洗面台に赤い飛沫を吐き出していた。


「……ゴホッ、ゥ……」


 喉が焼けるように熱い。

 共鳴歌レゾナンスの酷使は、声帯だけでなく、魔力回路が通る肺や気管支をも蝕んでいく。

 鏡に映る自分の顔は、死人のように青白かった。目の下には濃い隈が張り付いている。


 これが、帝國が誇るエースパイロットの無様な実態だ。


 壁に埋め込まれたスピーカーから、高らかな軍歌と共にプロパガンダ放送が流れている。


『――我が軍の勝利である! 難攻不落と謳われた「雷雲の回廊」は、第3航空艦隊の活躍により陥落! 反乱分子どもは一掃された!』


 アナウンサーの興奮した声。

 嘘だ。一掃などされていない。

 中核戦力だったカイルたち主力部隊は、あえて崩された戦線から森へ逃げ延びたはずだ。

 だが、帝國臣民にとって真実などどうでもいい。必要なのは、勝利という甘い果実だけ。


『特に、単騎で敵エースを撃破した”白銀の魔女”の武勲は、我が帝國の正義を証明するものであり――』


 私は苛立ち紛れにスピーカーのスイッチを切った。

 英雄。魔女。救国の乙女。

 勝手な呼び名が増えるたび、故郷の人々からの憎悪もまた、雪だるま式に膨れ上がっていくのだろう。


(……リズ。あなたはこれを聞いているかしら)


 帝國の帝都、その奥深くにある「教育施設」という名の鳥籠に囚われている妹。

 彼女が生かされているのは、私がこうして空を汚し続けているからだ。

 私が英雄になればなるほど、妹の価値も上がり、命は保証される。

 皮肉な話だった。


 コンコン、とドアがノックされた。

 返事をする間もなく、ヴォルゴフ少佐が入ってくる。


「休憩は終わりだ、特務少尉。新しい辞令が出た」


 彼は一枚の書類を私の前に放り投げた。

 そこに記された作戦区域の名称を見て、私はわずかに眉をひそめる。


「……『北極海油田』? 極寒地よ。竜の関節ジョイントが凍結するわ」

「だから貴様が行くのだ。奴らの防衛網を、その不愉快な歌で焼き払ってこい」


 ヴォルゴフは、まるで壊れた道具を修理に出すような気軽さで言った。

 拒否権はない。

 私は書類を拾い上げ、無表情に頷く。


了解ラジャー。……出撃はいつ?」

「二時間後だ。整備班の爺が喚いていたぞ。機体の修理が間に合わん、とな」


 ヴォルゴフが去った後、私は軍服の襟を正し、首元のチョーカーを隠した。

 冷たい金属の感触。

 これが私の命綱であり、飼い犬の鎖。


 私は部屋を出て、長い廊下を歩き出す。

 窓の外には、どこまでも続く灰色の空が広がっていた。


 カイルは生きている。

 ならば、いつかまた、あの空のどこかで刃を交える日が来るかもしれない。

 その時こそ、私は彼に殺されるのだろうか。

 あるいは――。


「……行きましょう、相棒シルバ


 私は格納庫へと足を早める。

 今はまだ、死ねない。

 私が地獄へ堕ちるのは、このふざけた帝國せかいを、道連れにしてからだ。


 鋼鉄の扉が開く。

 オイルと熱気の匂いが、私を次の戦場へと招き入れていた。



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