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第53話 狂犬の檻



 雲海を遥か眼下に見下ろす、全長六百メートル超の巨大な影。

 帝國軍 戦略母艦『ナグルファル』。

 正規軍の指揮系統から外れた、特務騎士団『ケルベロス』の移動拠点である。


 ガシャァァンッ!!

 制動ワイヤーが火花を散らし、黒い可変翼機『ニーズヘッグ』が甲板を滑るように着艦した。

 完全に停止するよりも早く、キャノピーが弾け飛ぶように開放される。


「ヒャハッ! ハハハハハッ!!」


 コクピットから這い出してきた男――ハウンド1は、ヘルメットを脱ぎ捨て、狂ったような高笑いを上げた。

 その顔は汗と脂にまみれ、目は充血し、まるで薬物中毒者のように瞳孔が開いている。


「いい声だったぜ、歌姫ェ! もっと鳴けよ! もっと俺を楽しませろ!」


 彼は整備兵たちが駆け寄ってくるのも構わず、虚空に向かって叫び続けた。

 その背中にある禍々しい魔導紋様が、興奮に合わせて脈動し、紫色の燐光を放っている。


「……ひっ、おい、近づくな」

「目が合ったら殺されるぞ……」


 整備兵たちは遠巻きに震えていた。

 左翼を破壊され、装甲が焼け焦げたニーズヘッグ。

 本来なら「機体を壊した」と怒鳴り散らす整備班長も、この男の前では沈黙を守るしかない。

 こいつはパイロットではない。人の形をした「災害」だ。


「――騒がしいぞ、駄犬」


 冷徹な声が響き、甲板の巨大モニターにシュトラウス元帥の顔が映し出された。

 ハウンド1はピタリと笑いを止め、歪んだ笑みを浮かべたままモニターを見上げた。


「よォ、爺さん。……文句があるなら、もっとマシな燃料ガスを積んでくれよ。これからってところで切れちまった」

「仕留め損ねた言い訳か?」

「ハッ、まさか。……『マーキング』は済ませてきたぜ」


 ハウンド1は懐からデータチップを取り出し、指で弾いた。


「あの歌姫の機体から、逆探知で信号を拾った。ネズミどもの巣穴ベースの位置データだ」


 元帥の目が鋭く光った。

 ハウンド1は、ただ暴れていたわけではない。

 戦闘のドサクサに紛れ、エルゼのアヴェンジャーを通じてレジスタンスのアジトを特定していたのだ。


「……ほう。狂っているように見えて、鼻は利くようだな」

「褒め言葉として受け取っとくぜ。……で? いつやるんだ? 俺の『ニーズヘッグ』は腹を空かせてるんだが」

「直ちにだ。貴様の機体を修理し次第、第3航空艦隊の残存戦力と共に総攻撃をかける」


 元帥は杖で床を突き、冷酷な宣告を下した。


「ネズミ一匹逃がすな。……特に『アヴェンジャー』とその搭乗者は、生きたまま捕らえろ。解剖して、サンプルの回収を行う」

「へぇ……。殺しちゃダメなのか?」

「脳さえ生きていれば構わん。好きにしろ」


 通信が切れる。

 ハウンド1はニヤリと笑い、自分の手の平を見つめた。

 そこにはまだ、戦闘のGと魔力の奔流による痺れが残っている。


(あいつは俺と同類だ。……俺と同じ、人造の化け物だ)


 エルゼ・フォン・エーデルワイス。

 高潔な英雄面をしていても、中身はドス黒い衝動に塗れている。

 戦っている最中に感じた、あの共鳴。

 彼女もまた、破壊を愛しているのだ。


「……待ってろよ、エルゼ。次はお前のその綺麗な腕を、俺のコレクションに加えてやる」


 ハウンド1は壊れたニーズヘッグの装甲を愛おしそうに撫でた。

 帝國軍の大艦隊が、レジスタンスの隠れ家へと切っ先を向けるまで、あと数時間。

 終わりの時が迫っていた。


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