第49話 曇天の狩場
鉛色の雲が、低く垂れ込めていた。
レジスタンスの地下格納庫は、いつも以上に重苦しい空気に包まれている。
「……整備は完了している。いつでも出せるぞ」
整備班長が、汚れたウエスで手を拭きながら言った。
彼の視線は、私の顔ではなく、背後の機体――『アヴェンジャー』に向けられている。
その目には、明らかに「畏怖」の色が混じっていた。
「燃料満タン。弾薬もフルロードだ。……ただし、魔導炉の出力は弄ってない。あんなバケモノ、俺たちの手には負えんからな」
「ええ、それでいいわ。ありがとう」
私が礼を言うと、班長は気まずそうに鼻を鳴らし、早足で立ち去った。
誰もこの機体に触れたがらない。
帝國の最新鋭機であり、魔竜の心臓を積んだ呪われた翼。
それに乗るのは、味方殺しの魔女と、その監視役だけだ。
「……嫌われたもんだな」
タラップを降りてきたカイルが、苦笑交じりに言った。
彼はヘルメットを小脇に抱え、機体の点検を終えたところだった。
「気にしてないわ。……それより、今日の任務は?」
「哨戒だ。C4エリアにて、帝國軍の残存部隊を探し出し、排除する」
「……掃除屋の仕事ね」
私は小さく溜息をついた。
英雄としての誇りも、軍人としての名誉もない。
ただ言われた場所へ飛び、言われた敵を殺す。それが今の私の全てだ。
「行くぞ。モタモタしてると、上がうるさい」
カイルに促され、私はコクピットへと登った。
前席に滑り込み、慣れた手つきでハーネスを締める。
そして、右腕の包帯を解き、剥き出しになった黒い鱗の腕を、コンソールの接続端子へと突き刺した。
ズプッ、という湿った音。
神経が機体と繋がり、アヴェンジャーのシステムが私の拡張器官となる。
『――接続確認。……調子はどうだ、相棒』
インカム越しに、後席のカイルの声が響く。
「……最悪よ。頭の中にノイズが走る」
『平常運転だな。……アヴェンジャー、発進する』
ジェット音が轟き、銀色の機体が滑走路を疾走する。
Gが身体を押し付け、私たちは曇天の空へと舞い上がった。
*
高度三千メートル。
雲海の上は、死んだように静かだった。
私たちはC4エリアの上空を旋回していたが、敵影は皆無だった。
いつもなら、帝國の軽竜騎兵が編隊を組んでパトロールしている空域だ。
それが今日は、鳥一羽飛んでいない。
『……妙だな』
カイルが訝しげに呟く。
『レーダーに反応なし。熱源もゼロ。……帝國軍がここを放棄するはずがないんだが』
「……ええ。静かすぎるわ」
私の肌も、粟立つような違和感を覚えていた。
何かがおかしい。
この静寂は、平和なものではない。
捕食者が獲物を待ち伏せしている時のような、張り詰めた空気だ。
ズキン。
不意に、右腕が脈打った。
「っ……!」
『どうした、エルゼ?』
「……分からない。でも、何かが来る」
機体と直結した右腕が、熱を持って疼き出した。
痛みは次第に強くなり、まるで警告音のように脳内を揺さぶる。
これは、ただの敵意ではない。
もっと異質で、禍々しい何かが近づいている。
『おい、レーダーには何も映ってないぞ。……故障か?』
「違う! 計器じゃない……本能が叫んでるの!」
私は反射的に操縦桿を引き、機体を急上昇させた。
「上よ! 雲の上から来る!」
その直後だった。
雲海を突き破り、黒い稲妻のような影が、私たちの直下を猛スピードで通過していった。
ヒュンッ!!
風切り音と共に、空間そのものが悲鳴を上げたような衝撃波。
一瞬遅れて、コックピット内の警告アラートが絶叫を始めた。
『なっ……!? なんだ今の速度は!』
カイルが素っ頓狂な声を上げる。
私は冷や汗を流しながら、キャノピー越しにその影を目で追った。
旋回して戻ってくる黒い機体。
それは帝國軍の正規機体ではない。
翼の形状も、エンジンの光も、何もかもが規格外。
そして何より――。
(……同じ匂いがする)
私の右腕が、共鳴するように激しく脈打っていた。
あの中にも、私と同じ「バケモノ」がいる。
『――見つけたぞ、歌姫』
オープンチャンネルから、ノイズ混じりの男の声が割り込んできた。
それは、獲物を見つけた獣の、愉悦に満ちた声だった。




