第39話 命の砂時計
夜明けと共に、私たちは森を発った。
応急処置を終えたアヴェンジャーは、以前よりも荒々しい排気音を響かせながら、磁気嵐の吹き荒れる空へと舞い上がった。
「計器オールグリーン。……つっても、半分は動かねえけどな」
カイルが自嘲気味に呟きながら、慣れた手つきで機体を安定させる。
私は後部座席で、リズを胸に抱くようにして座っていた。
狭いコクピット。
背中には魔導炉の熱、腕の中には妹の体温。
それは、世界で一番安全で、そして脆い場所だった。
「リズ、寒くない?」
「うん……平気。お姉ちゃんの腕、あったかいから」
リズは私の右腕――包帯の上からでも分かる硬い鱗の腕を、安心毛布のように握りしめていた。
彼女は笑っている。
けれど、その笑顔はどこか力なく、肌は透き通るように白かった。
(……嫌な予感がする)
私はリズの額にそっと手を当てた。
熱はない。むしろ冷たいくらいだ。
だが、彼女の心臓の音が、小鳥のように速く、そして弱々しいのが気になった。
帝國の医療カプセルから出された彼女は、いわば水から上げられた魚のようなものだ。あの生命維持装置なしで、どれだけ保つのか。
「カイル、急いで。……リズの様子が少し変よ」
「分かってる。最短ルートで突っ切るぞ」
アヴェンジャーが加速する。
雲海を切り裂き、私たちはレジスタンスの拠点がある「西の荒野」を目指した。
異変が起きたのは、出発から二時間後だった。
「……っ、は、ぁ……ッ」
不意に、私の胸の中でリズが小さく痙攣した。
呼吸が荒い。
喉の奥から、ヒューヒューという苦しげな音が漏れている。
「リズ!? どうしたの、リズ!」
「う、あ……苦し、い……お姉、ちゃん……」
リズが自身の胸を掻きむしるようにして藻掻く。
その顔色は土気色に変わり、唇からは血の気が引いていた。
魔力欠乏症。
高濃度の魔素を投与され続けていた身体が、急激な濃度の低下に耐えられず、拒絶反応を起こしているのだ。
「カイル! リズが!」
「チッ、やっぱり禁断症状が出たか……! 帝國の薬漬けにされてたんだ、急に抜けばショック死するぞ!」
カイルが舌打ちをし、スロットルレバーを叩き込む。
機体が悲鳴のような音を上げて急加速した。
「あとどれくらい!?」
「拠点まであと三十分……いや、十五分で着く! 舌噛むなよ、エンジン全開だ!」
ドォォォォォォッ!!
背中の魔導炉が爆発的に脈打つ。
私の神経を通じて、アヴェンジャーの痛みが伝わってくる。無理な加速でタービンが焼き付きそうだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
「リズ、頑張って……! もうすぐだから!」
私は動かない右腕で、苦しむ妹を必死に抱きしめた。
何もできない自分が憎い。
私は人を殺す方法は知っていても、妹の苦痛を取り除く魔法一つ使えない。
ただ、自分の魔力を少しでも分け与えようと、彼女の手を握り締めることしかできなかった。
「……通信するぞ!」
カイルが通信機の周波数を合わせる。
レジスタンスの緊急回線だ。
『――こちら第7岩礁基地。所属不明機、直ちに進路を変更せよ。さもなくば撃墜する』
無機質な警告音。
当然だ。帝國軍の識別信号を出しているアヴェンジャーは、彼らにとって敵でしかない。
「俺だ! カイル・マクドナルドだ! 緊急着陸を要請する!」
『……カイル? 馬鹿な、お前は三日前に戦死したはずじゃ……』
通信手の動揺した声。
だが、カイルは構わず怒鳴りつけた。
「地獄から戻ってきたんだよ! 重傷者がいる! 帝國の医療ポッドが必要なレベルだ! ドクター・キースを叩き起こして待機させろ!」
『じ、状況が飲み込めないが……カイルなんだな? だが、その機体の反応は……』
「説明は後だ! 着陸許可を出さねえなら、滑走路に無理やり突っ込むぞ!」
カイルの剣幕に押され、通信手は『了解、第2滑走路を開ける』と答えた。
前方に、荒涼とした大地が見えてきた。
切り立った渓谷の陰に隠れるように存在する、レジスタンスの秘密基地。
そこは希望の地か、それとも新たな戦場か。
「着くぞ、エルゼ! リズの意識を保たせろ!」
「ええ……! リズ、聞こえる? お姉ちゃんよ!」
リズの瞳が、うつろに彷徨う。
その小さな手から、力が抜け落ちていくのが分かった。
砂時計の砂が、音もなく落ちていく。
間に合ってくれ。
神様なんて信じていないけれど、今だけは祈らずにはいられなかった。
アヴェンジャーは黒い煙を吐きながら、岩だらけの滑走路へと滑り込んだ。




