第37話 仮初の安息地
視界が白く濁っていく。
それは雲のせいではなかった。私の視神経が、情報の過負荷で悲鳴を上げているのだ。
「……高度、二千。森の入り口が見えたわ」
自分の声が、遠い水底から響いているように聞こえる。
鼻から垂れる血が止まらない。
コクピットの計器類に赤い滴が落ち、滲んでいく。
「おい、エルゼ! 意識があるか? もうすぐ着くぞ!」
「ええ……平気よ。着陸のサポート、続けるわ」
「馬鹿野郎! もういい、切れ! あとは俺の手動操作でやる!」
カイルが怒鳴り、強制的にシステムの一部を遮断した。
フッ、と頭の中の雑音が消える。
代わりに襲ってきたのは、泥のような強烈な睡魔と脱力感だった。
ガガガガッ……!
機体が木の梢をかすめる音がする。
アヴェンジャーは翼を畳み、木々の隙間を縫うようにして、あの「始まりの場所」――私たちが初めて共闘を誓った巨木の根元へと滑り込んだ。
ズウンッ。
重たい着地音と共に、機体が停止する。
魔導炉の鼓動が、ゆっくりとアイドリング状態へと落ち着いていく。
「……着いたぞ」
カイルの声を聞いた瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。
私は前のめりに倒れ込んだ。
「お姉ちゃん!?」
「っと、危ねえ!」
リズの悲鳴と、カイルが私を支える感触。
そこで私の意識は暗転した。
◇
パチパチという、木が爆ぜる音で目が覚めた。
目を開けると、そこは薄暗い洞の中だった。
焚き火の暖かな光が、岩肌を照らしている。
「……気がついたか」
カイルが焚き火の向こうで、携帯食料の缶詰を温めていた。
その横で、リズが心配そうに私を覗き込んでいる。
「お姉ちゃん……!」
「リズ……私、寝てたの?」
「丸一日な。死んだように眠ってたぞ」
カイルが苦笑しながら、温めたスープの入ったカップを差し出してきた。
私は上半身を起こそうとして、自分の身体の異変に気づいた。
首元が軽い。
あの忌まわしい『隷属の首輪』が外されている。
「……これ」
「俺が外した。壊れたリモコンも機能してなかったし、簡単なロック解除で済んだぜ。……せいせいしたろ?」
カイルはぶっきらぼうに言ったが、その瞳には気遣いの色が滲んでいた。
私は首筋を撫でた。
ずっとそこに食い込んでいた冷たい金属の感触がない。
本当に、終わったのだ。
「ありがとう、カイル」
「礼には及ばねえよ。……それより、ほら。姫さんが腹ペコだ」
見れば、リズが固形食料を小さな口で齧っていた。
帝國の病院食しか知らなかった彼女にとって、こんな味気ない軍用食でもご馳走に見えるのだろうか。
いや、違う。
彼女は、私の右腕を――包帯が巻かれたままの、異形の腕を、大事そうに枕にして寄り添っていたのだ。
「お姉ちゃんの手、あったかい」
リズがふにゃりと笑う。
竜の腕。人を殺した腕。
けれど、妹にとっては、ただの「お姉ちゃんの腕」なのだ。
胸の奥が熱くなり、視界が滲む。
私は左手でスープを受け取り、一口飲んだ。
安っぽい塩味。
けれど、今まで飲んだどんな高級なスープよりも美味しかった。
「……これから、どうするの?」
私が尋ねると、カイルは焚き火に薪をくべながら、アヴェンジャーの方を顎でしゃくった。
「機体もボロボロだ。俺たちの身体もな。……しばらくはここで骨休めだ。追っ手も、この磁気嵐の森には簡単には手出しできねえ」
「そうね。……リズの体調も見ないと」
「ああ。それに……」
カイルはニヤリと笑い、私の右腕を指差した。
「お前のその腕と、アヴェンジャーの心臓。……色々と『調整』が必要だろ? 俺とお前で、最高の状態に仕上げてやるさ」
森の隠れ家。
帝國から追われる身となった私たちだが、ここには静寂と、確かな体温があった。
アヴェンジャーが、洞の外で番犬のようにうずくまり、低い寝息(アイドリング音)を立てているのが聞こえた。




