第30話 奈落からの飛翔
ドクン、ドクン、ドクン――。
背中で唸る魔導炉の鼓動が、私の心拍と完全に同期していた。
いや、強制的に同期させられているのだ。
「ぐ、ぅ……ッ!」
私はコクピットの中で、歯が砕けそうなほど強く食いしばっていた。
脳髄を焼くような熱さ。
ファフニールの心臓が生み出す膨大な魔力が、私の神経回路を奔流となって駆け抜け、前席のカイルへと送られていく。
私の体は、ただの「導管」だ。
血管の代わりにオイルが、神経の代わりに電気が流れているような、悍ましい一体感。
「おい、エルゼ! 出力が安定しねえぞ! 脈が速すぎる!」
前席のカイルが怒鳴る。
モニター越しに見える彼の背中も、振動で激しく震えていた。
無理もない。腐っても帝國最強の竜の心臓だ。旧式のブルーバードのフレームでは、アイドリング状態でさえ空中分解しそうな振動を発している。
「抑えるわ……ッ! 同調率、固定!」
私は意識の底で、暴れ狂う黒竜の魂を鎖で縛り上げるイメージを描いた。
鎮まれ。お前の新しい主人は私だ。
私の命令だけを聞け。
ズズズ……と、狂ったような振動が徐々に収束していく。
不揃いだった排気音が、低く、重厚な唸り声へと変わった。
「……ハッ、すげえ。本当に手懐けやがった」
カイルが感嘆の声を漏らし、スロットルレバーに手をかけた。
「行くぞ、エルゼ。……舌を噛むなよ」
「いつでもいいわ」
カイルがレバーを押し込む。
瞬間、背後から巨人に蹴り飛ばされたような衝撃が襲った。
ギャァァァァァァッ!!
タイヤなどない。
私たちは機体の腹で地面を削りながら滑走を始めた。
泥と石が跳ね上がり、機体がガタガタと悲鳴を上げる。
速い。
森の木々が灰色の壁となって後方へ流れていく。
「上がれぇぇッ!」
カイルが操縦桿を引く。
だが、機首が持ち上がらない。
魔導炉が重すぎるのだ。バランスが最悪に悪い。
目の前には、樹齢数千年の巨木が壁のように立ちはだかっていた。
(ぶつかる……!)
警報音が鳴り響く中、カイルは減速しなかった。
むしろ、さらに加速させた。
彼は機体のフラップ(揚力板)を操作するのではなく、バーニアの噴射角を強引に変えたのだ。
「そこだッ!」
ドォンッ!
機体の下部、姿勢制御用のスラスターが爆発的に噴射する。
揚力ではない。純粋な推力の暴力で、鉄の塊を空へと押し上げたのだ。
ガリガリガリッ!
機体の底が巨木の枝をへし折り、葉を巻き上げながら、私たちは垂直に近い角度で上昇した。
「……っは、は!」
G(重力)で視界が黒く染まる中、私は笑っていたかもしれない。
飛んだ。
翼をもがれた鳥たちが、共食いをして、重力という鎖を引きちぎったのだ。
やがて、機体は鬱蒼とした森の天井を突き破った。
パアァァッ、と視界が開ける。
眼下に広がる緑の海。
そして頭上には、どこまでも高い蒼穹。
「……見ろよ、エルゼ」
カイルの声が震えていた。
機体はまだきしんでいる。バランスも悪い。操縦桿からは常に「右に傾こうとする癖」が伝わってくるだろう。
それでも、私たちは空にいる。
「ああ……見えるわ」
私は涙が滲む目で、モニター越しの空を見上げた。
美しい。
帝國軍として飛んだ空よりも、レジスタンスとして飛んだ空よりも。
この、ツギハギだらけの醜い翼で飛ぶ空が、一番美しく見えた。
「調子はどうだ、生体CPU様?」
「最悪よ。頭が割れそう。……でも、悪くない気分」
私は動かない右腕で、コンソールを愛おしむように撫でた。
この機体は、私たちそのものだ。
傷だらけで、歪で、それでも生きようと足掻く、執念の形。
「進路、北北東。……帝國艦隊の予想航路へ」
私が座標を入力すると、カイルが力強く頷いた。
「了解。……狩りの時間だ。俺たちをゴミ屑扱いした連中に、挨拶しに行こうぜ」
蒼い翼を持つ黒い怪物が、太陽に向かって旋回する。
それは、世界への反逆の狼煙だった。




