第3話 雷鳴の海へ
翌朝、空は鉛色に塗り潰されていた。
ブリーフィングは簡素だった。「行け、誘い出せ、死ぬな」。それだけだ。
私は甲板に整列した愛機のコックピットに滑り込む。
キャノピーを閉じた瞬間、外の轟音――風切り音と整備兵たちの怒号――が遮断され、代わりに自分の呼吸音だけが耳につく閉鎖空間が完成する。
「魔導タービン、点火」
スイッチを入れると、背後で重低音が唸りを上げた。
計器盤のアナログ針が震え、魔力供給率が安定域を示す。
雨が叩きつけるキャノピー越しに、誘導員のライトが「進め」の合図を送っていた。
「特務少尉エルゼ、発艦する」
スロットルを押し込む。
竜が短い咆哮を上げ、濡れた甲板を蹴り出した。
加速。Gが身体をシートに押し付ける。
甲板の端、断崖絶壁のような縁が迫り――そして、機体は虚空へと投げ出された。
一瞬の無重力感。
直後、翼が気流を掴み、私は『雷雲の回廊』と呼ばれる暴風域へと飲み込まれていった。
◇
そこは、光と闇が明滅する地獄だった。
分厚い積乱雲の中を、紫色の稲妻が血管のように走り抜けていく。
『感度良好。ノイズ大。……酷い天気ね』
独り言ちながら、私は魔力探知の利得を調整する。
帯電した雲の影響で、計器はデタラメな数値を弾き出していた。これでは遠距離の索敵は期待できない。
頼れるのは、竜の生物的直感と、私の目視だけだ。
私の任務は「デコイ(囮)」。
この嵐の中で派手に魔力を撒き散らし、潜伏しているレジスタンスを釣り野伏せにするための餌だ。
味方の本隊は、遥か後方、雲の上で待機している。
「……来てよ。早く終わらせましょう」
私は喉の調子を確かめるように、小さくハミングした。
共鳴歌の微弱な波紋が、周囲の雨粒を弾き飛ばす。
これを探知できないほど、レジスタンスも無能ではないはずだ。
その時だった。
竜が、ビクリと首を跳ね上げた。
「――っ!」
ほぼ同時に、背筋に氷柱を突き刺されたような悪寒が走る。
殺気。
右下、濃密な雲の切れ間から。
「回避ッ!」
私は反射的に操縦桿を左へ倒した。
竜が翼を折りたたみ、横滑りに急旋回する。
そのコンマ数秒後、私が先ほどまで居た空間を、青白い魔力弾の奔流が薙ぎ払った。
蒸発した雨が白煙となり、視界を塞ぐ。
外したか。いや、今の射撃精度、ただのゲリラ兵じゃない。
「来たわね……」
私は唇を噛み、乱れる機体を制御して上昇に転じる。
雲海を突き破り、一気に高度を取る。
太陽の光が差す雲の上へ躍り出た瞬間、追撃者もまた、水しぶきを上げて姿を現した。
その機影を見て、私の呼吸が止まる。
深い蒼色に塗装された、軽量級の飛竜。
極限まで装甲を削ぎ落とし、機動性のみを追求したシルエット。
そして、その翼に描かれた紋章は――今は亡きシルヴァ王国の国章『双頭の鷲』。
「……嘘でしょう」
無線機から、聞き覚えのある、けれどひどく険しい男の声が飛び込んできた。
『帝國の犬め。よくも、その汚れた翼でこの空に入れたものだな』
耳の奥が熱くなる。
間違いない。
この無駄のないマニューバ、容赦のない初弾の軌道。
そして、何よりもその声。
「カイル……」
かつて背中合わせで空を飛んだ、私の騎士。
最悪の再会は、最悪の形で現実となった。




