第27話 闇の中の告解
木の洞の中は、外の世界から切り離されたように静かだった。
湿った土と腐った木の実の匂い。そして、隣にいるカイルから伝わる体温と、錆びた鉄のような血の匂い。
狭い空間で身を寄せ合う私たちは、まるで嵐が過ぎるのを待つ幼い獣のようだった。
「……行ったか?」
カイルが小声で囁く。
頭上を旋回していた帝國軍の哨戒竜の羽音は、遠くへ去っていた。
だが、まだ出るわけにはいかない。森には地上部隊が展開している可能性がある。
張り詰めていた緊張が少しだけ緩むと、代わりに重苦しい沈黙が降りてきた。
避けては通れない会話があることを、互いに理解していたからだ。
「……見せろ、エルゼ」
カイルが私の右腕に視線を落とした。
軍服の袖は破れ、あの醜い鱗が闇の中でも鈍く光っている。
「嫌よ。……見ないで」
「隠すな。さっき見たぞ。それだけじゃない。お前の首にある、それもだ」
カイルの手が、私の襟元に伸びてきた。
拒絶しようとしたが、身体が鉛のように重くて動かない。
彼の手が襟を開く。
露わになったのは、喉元に深く食い込んだ、冷たい金属の輪。『隷属の首輪』だ。
赤く腫れ上がった皮膚と、点滅する極小の術式文字を見て、カイルが息を呑んだ。
「……爆裂術式か。いつからだ?」
「最初からよ。国が滅びたあの日からずっと」
観念した私は、膝を抱えたまま、堰を切ったように全てを吐き出した。
もう、強がる意味もなかった。
「リズが生きてるの。帝國の医療施設で」
妹の名前を出した瞬間、カイルの目が大きく見開かれた。
「あの子は生まれつき身体が弱いでしょ? 帝國の高度な魔導医療がないと生きられない。……それを人質に取られているの」
「……なんだと?」
「私が戦果を上げなければ、治療は止められ、この首輪が作動する。……だから私は、帝國の犬になった」
淡々とした声で語る自分が、ひどく他人事のように思えた。
カイルは石像のように動かずに聞いていた。
やがて、彼は震える拳を、音もしないほど強く握りしめた。
「クソッ……! 俺は、何も知らずに……!」
彼が叩きつけた拳が、地面の土を抉る。
悔恨。自責。
そんな顔をしないでほしい。私は本当に人を殺してきたのだから。
「知らなくて当然よ。そう見えるように演じてきたんだから」
「お前を裏切り者だと罵った! 殺そうとした! お前がたった一人で、そんなものを背負って戦っているとも知らずに!」
カイルの声が湿り気を帯びていた。
彼は私の肩を掴み、真っ直ぐに向き直らせた。
「なぜ言わなかった! 俺たちに頼れば……」
「言えるわけないじゃない! 言えばリズが殺される。それに……あなたたちを巻き込みたくなかった」
私は彼の視線から逃げるように、変色した右腕を突き出した。
「見て、この腕を。ファフニールに乗るたびに、身体が蝕まれていく。心も壊れていく。……私はもう、人間じゃないのよ。引き返せない化け物なの」
弱音がこぼれた。
誰にも言えなかった、魂の叫び。
ここで死んだほうがマシだった。こんな醜い姿で生き恥を晒すくらいなら。
だが、次の瞬間。
私の右腕は、温かいものに包まれていた。
「……っ?」
カイルが、私の鱗に覆われた手を、両手で包み込んでいた。
嫌悪も恐怖もない。ただ、愛おしいものに触れるような手つきで。
「馬鹿野郎。……こんな傷だらけの手で、よく耐えたな」
その言葉を聞いた瞬間、凍りついていた心の奥底で、何かがパチンと弾ける音がした。
視界が滲む。
堪えていた涙が、頬を伝って落ちた。
「死なせるもんか。……リズも、お前もだ」
カイルは暗闇の中で、強い意志を宿した瞳で私を見据えた。
「俺が間違っていた。本当の敵を見誤っていた。……エルゼ、俺に協力させてくれ。二人でリズを助け出し、このふざけた首輪を叩き割る」
「……無理よ。相手は帝國全軍なのよ? それに、私たちはもう翼がない」
「関係ない。二人なら飛べる。……昔みたいにな」
昔みたいに。
その言葉が、私の胸に温かい灯をともした。
まだ、信じてもいいのだろうか。
この汚れた手のままで。
私は答えられず、ただ彼の掌の温かさに縋るように俯いた。
その時だった。
カサカサカサ……。
不意に、洞の外で枯れ葉を踏む音がした。
帝國兵の足音ではない。もっと複数の、硬い節足動物が這い回るような音。
そして、鼻をつく腐った卵のような異臭。
「……おい、エルゼ」
カイルの声色が、一瞬で戦士のものに変わる。
私も涙を拭い、ナイフの柄に手をかけた。
森の主たちが、血の匂いを嗅ぎつけてやってきたのだ。




