第25話 奈落の底で
思考よりも先に、本能が叫んでいた。
「――排熱展開ッ!!」
私は喉が裂けんばかりに絶叫し、ファフニールの脊髄に全神経を叩き込んだ。
本来、機体内部に溜まった余剰熱量を放出するための排熱フィールド。それを防御障壁として転用し、無理やり目の前にいるカイル――『蒼き竜』を包み込むように展開させる。
直後、世界が溶解した。
ゴオオオオオオオオオッ!!
鼓膜を圧し潰すような轟音。
帝國旗艦から放たれた極太の熱線が、私たちを直撃する。
ファフニールの装甲が悲鳴を上げ、瞬く間に赤熱し、飴細工のように歪んでいく。
「が、ぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
神経接続された私の肉体に、地獄の業火が逆流してきた。
皮膚が焼け焦げる幻痛。血液が沸騰し、脳髄が白く弾けるような激痛。
右腕の細胞一つ一つが死滅していく音が、骨伝導で響くようだった。
(……なんで)
なんで私は、こんな男を庇っている?
こいつが死ねば、私は楽になれたかもしれないのに。
分からない。
ただ、あんな理不尽な暴力によって、彼の実直な魂が消し炭にされることだけは、私のプライドが許さなかった。
バキンッ!
限界を迎えたファフニールの翼が砕け散る音がした。
同時に、強烈な衝撃が全身を襲う。熱線の圧力に耐えきれず、弾き飛ばされたのだ。
浮遊感。
絡み合った二匹の竜は、断末魔の黒煙を曳きながら、眼下に広がる『終わりの森』の暗闇へと真っ逆さまに堕ちていく。
枝が折れる音。風切り音。
遠ざかる空の青さ。
(……ああ、これでやっと)
眠れる。
そんな安堵と共に、私の意識はプツリと途切れた。
◇
目が覚めた時、最初に感じたのは「匂い」だった。
湿った腐葉土の匂いと、焼け焦げた金属の異臭。
「……っ、ぅ」
肺に空気を送り込むだけで、肋骨がきしむように痛む。
私は重い瞼をこじ開けた。視界がぼやけている。
頭上を覆うのは、空が見えないほど鬱蒼と茂った巨木の枝葉。そこから差し込む僅かな光が、白い斑点となって地面に落ちていた。
ここは……森の底だ。
人間が立ち入ることを許されない、高濃度汚染区域。
「……ファフニール?」
私は泥まみれの手をついて、身体を起こした。
すぐ背後に、巨大な黒い塊が横たわっていた。
かつて最強の竜と呼ばれた機体。だが今のそれは、見るも無惨な骸だった。
右翼は根元からへし折れ、断面から黒いオイルがドロドロと流れ出している。
自慢の魔導タービンは砕け散り、あの不気味に赤く輝いていた瞳は、今はただのガラス玉のように光を失っていた。
シーン、と耳が痛くなるほどの静寂。
ついさっきまで私の脳内で響いていた、あの機械的な駆動音も、魔力を欲しがる貪欲な呼び声も聞こえない。
(……死んだのね)
首筋に手をやる。神経プラグは強制排除され、乾いた血がこびりついていた。
まるで身体の半分をもぎ取られたような喪失感。あれほど憎んでいた機体なのに、いざ沈黙すると、自分が空っぽになったような寒気がした。
その時だった。
静寂を破るように、バチッ、と小さな火花が爆ぜる音がした。
「……ッ!」
私は反射的に腰のホルスターに手を伸ばし、サバイバルナイフを引き抜いた。
ふらつく足で、音のした方へ向かう。
巨大なシダ植物をかき分けた先。
そこには、青い残骸があった。
翼をもがれた鳥のような姿で、大木に激突して停止した『蒼き竜』。
「カイル……」
名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど震えた。
コクピットのキャノピーは粉々に割れ、ひしゃげたフレームが内部を圧迫している。
私は駆け寄り、座席を覗き込んだ。
そこに彼はいた。
シートベルトに身体を預け、ぐったりと首を垂れている。
額から流れた血が顔半分を赤く染め、軍服はボロボロに裂けていた。
生きているのか?
私はナイフを握りしめたまま、彼に近づく。
いま、ここで彼を殺せば。
私は「任務を完遂した」と言い訳ができるかもしれない。裏切り者の首を持ち帰れば、リズの命だけは助けてもらえるかもしれない。
――ドクン。
心臓が嫌な音を立てた。
私の視線が、彼の足元に吸い寄せられる。
変形したフットペダルに、無骨な鉄パイプが食い込んでいた。
義足だ。
彼はこんな、ガラクタ同然の足で、あのファフニールと互角に渡り合い、ここまで追いかけてきたのか。
私を、連れ戻すために。
「……馬鹿な人」
私はナイフを逆手に持ち替え、切っ先を下に向けた。
殺せない。とっくに分かっていた。
私が彼を殺せるなら、最初の『雷雲の回廊』で心臓を撃ち抜いていたはずだ。
「……ぅ、ぐ」
カイルが微かに呻き、薄っすらと目を開けた。
焦点の合わない瞳が、私の姿を捉える。
「……エル、ゼ……?」
「……運が良かったわね。帝國の焼却処分から生き残るなんて」
私はできるだけ冷酷な声を作ろうとした。
けれど、その声はひどく掠れていて、誰がどう聞いても、ただの安堵の吐息にしか聞こえなかった。




