第2話 首輪の飼い犬
帝國軍第3航空艦隊旗艦、超弩級浮遊空母『ガルガンチュア』。
全長六百メートルに及ぶ鉄の巨塊が、重苦しい排気音を響かせて雲海を漂っている。
その甲板へと、私は愛機を滑り込ませた。
着艦フックがワイヤーを捉え、ガクンと強い衝撃が走る。
完全に停止した瞬間、機体のあちこちからシューッという音と共に白い蒸気が噴き出した。過熱した魔導タービンの冷却プロセスだ。
「……お疲れ様。いい子ね」
私は竜の首筋――装甲板の隙間から覗く生身の皮膚を撫でた。
竜は低く喉を鳴らしたが、その瞳は疲労で白濁している。私の歌による強制励起の代償だ。
キャノピーを開け、外の空気を吸い込む。
鼻を突くのは、焦げたオイルと高濃度の魔素排気。故郷の澄んだ風とは似ても似つかない、帝國の匂いだ。
「――遅い帰還だな、特務少尉」
タラップを降りた私を出迎えたのは、労いの言葉ではなく、粘つくような嘲笑だった。
灰色の軍服に身を包んだ男。私の直属の上官であり、監視役のヴォルゴフ少佐だ。
「予定より三分遅れだ。貴様の歌が錆びついている証拠ではないか?」
「敵の増援があったのよ。それに、規定の撃墜数は達成したはず」
「口答えをするな、亡国の売女が」
ヴォルゴフが革手袋をはめた手で、私の首元を掴んだ。
喉が締まる。
だが、それ以上に恐ろしいのは、彼が触れているのが私の肉体ではなく、その上にある冷たい金属輪――『隷属の首輪』だという事実だ。
この首輪には、高密度の爆裂術式が封入されている。
帝國への反逆、逃亡、あるいは任務放棄。
それらの兆候を感知した瞬間、あるいは彼のような登録者の恣意的な操作一つで、私の頭は胴体から永遠にさよならすることになる。
「……申し訳、ありません」
私は感情を殺し、無機質な人形のように頭を下げた。
ここで彼を睨み返すことに意味はない。私の命は、まだ私だけのものではないからだ。
「フン、分かればいい。……明日は『雷雲の回廊』を攻める。貴様には一番槍を務めてもらうぞ。精々、我々の盾として役に立ってくれ」
ヴォルゴフは興味を失ったように手を離すと、踵を返して去っていった。
残された私は、首に残る革手袋の感触を拭うように強く擦り、小さく息を吐いた。
◇
薄暗い格納庫の隅が、私と愛機に与えられた場所だった。
正規兵たちの煌びやかな駐機スペースとは異なり、油汚れと予備パーツが山積みになった吹き溜まりだ。
「よう、お姫様。今日は随分と派手に暴れてきたみたいじゃねえか」
声をかけてきたのは、整備班長のガンツだった。
油まみれのツナギを着た初老の男。帝國軍人だが、彼は私を「売女」とは呼ばない。かといって敬意があるわけでもなく、ただの「厄介な機体の担当者」として接してくる。
「右翼の可動域に違和感があるわ。ワイヤーの張りを調整して」
「へいへい。……たく、無茶しやがる。タービンのシリンダーも一本イカれてやがったぞ。竜の寿命を縮める気か」
ガンツは悪態をつきながらも、手際よく竜のメンテナンスハッチを開けていく。
私は配給された固いパンをかじりながら、その作業をぼんやりと眺めていた。
竜の背中に埋め込まれた巨大な魔導機械。
生物としての竜に、人造の翼とエンジンを接合した空戦兵器。
それは、帝國によって改造され、意思を奪われた今の私自身の姿と重なる。
「……ねえ、ガンツ」
「あ?」
「明日は、雷雲の中へ行くの」
「雷雲だと? ……チッ、なら避雷針のコーティングを厚くしとかねえとな」
ガンツは手を止めず、それだけ言った。
死ぬな、とは言わない。
生きて帰れ、とも言わない。
ただ、機械が動くように善処する。そのドライな職人気質だけが、今の私には心地よかった。
整備の金属音だけが響く格納庫で、私は冷え切ったコンクリートの床に背を預ける。
明日は『雷雲の回廊』。
かつての同胞、レジスタンスたちが潜む空域。
(カイル……)
不意に、懐かしい名前が脳裏をよぎる。
かつて背中を預け合った幼馴染。
もし彼が生きていて、明日、敵として現れたなら。
私は首輪に指を這わせる。
迷えば死ぬ。私が死ねば、人質になっている妹も殺される。
選択肢など、最初からどこにもないのだ。
私はパンを水で流し込むと、泥のような眠りへと落ちていった。
明日もまた、誰かを殺すために。




