第162話 進化の終着点
半壊した玉座の間。
天井の大穴から差し込む陽光と、巻き上がる粉塵の中で、私たちは対峙していた。
帝國皇帝、カール・フォン・ギルベルト。
世界を恐怖で支配し、私の故郷を焼き、妹を実験体にし、私を怪物へと作り変えた男。
彼は、瓦礫の山となった宮殿の惨状を気にする素振りも見せず、崩れ落ちた柱に腰掛け、優雅に私たちを見下ろしていた。
「……遅かったな、エルゼ。
待ちくたびれたぞ。最高の『完成品』が帰還するのを」
その声は、驚くほど穏やかだった。
殺意も、恐怖も、敵意さえもない。
まるで、反抗期を終えて帰宅した娘を労う父親のような、慈愛に満ちた響き。
それが、私の腹の底で煮えたぎるマグマを加速させた。
「……ふざけないで」
私は右手を前に突き出した。
アヴェンジャーとリンクしていなくても、今の私の体には4つの竜の因子が巡っている。
指先からプラズマの火花が散り、空気が焦げる臭いが立ち込める。
「完成品? 実験動物?
……貴方の妄想に付き合うのはもう終わりよ。
死になさい。貴方が殺してきた、すべての人たちの分まで」
ドォォォォォンッ!!
私の手から放たれた熱線が、皇帝を直撃した。
石造りの床が蒸発し、爆風が皇帝の姿を飲み込む。
一撃。
生身の人間なら、灰も残らないはずだ。
「……」
私は油断せず、煙の晴れ間を睨んだ。
背後のアヴェンジャーも、いつでも追撃できるよう身を低くし、唸りを上げている。
だが。
「……短気だな。
せっかくの再会だというのに、もう少し会話を楽しめないのか?」
煙が揺らぎ、そこから無傷の影が現れた。
皇帝だ。
彼の目の前には、薄いガラスのような「膜」が展開されていた。
魔力障壁?
いや、違う。あれは……。
『……おい、エルゼ。ありゃなんだ?
空間が……ねじ曲がってやがる』
アヴェンジャーの外部スピーカーから、カイルの困惑した声が響く。
皇帝を守ったのは、魔法でも科学でもない。
空間そのものが「断絶」され、私の熱線が別の座標へ逸らされたのだ。
「……何をしたの?」
「何も。ただ『拒絶』しただけだ」
皇帝は退屈そうに指を振った。
すると、彼の背後で蠢いていた巨大な影が、ぬるりと実体を現し始めた。
それは、竜騎兵ではなかった。
機械の部品など一つもない。
黒く濡れた不定形の肉塊。
無数の瞳と、触手のような神経束が絡み合い、脈動する「何か」。
強いて言うなら、それは巨大な「心臓」に見えた。
「紹介しよう。これが帝國の礎……『原初の竜』の心臓だ」
「……原初の、竜?」
「かつてこの星を支配していた、純粋なエネルギー生命体。
我々人間が、その死骸から魔素を吸い上げ、化石燃料として利用してきた『神』の成れの果てだ」
皇帝は、愛おしそうにその肉塊に触れた。
ズプッ……と、彼の手が肉塊の中に沈んでいく。
「私は考えたのだよ。
死んだ神の血を啜って生きる寄生虫のままでいいのか、と。
我々は進化すべきだ。
神の力を道具として使うのではなく、我々自身が神になるべきだと」
皇帝の瞳が、金色に輝き始めた。
それは魔術的な発光ではない。
もっと根源的な、生物としての格の違いを見せつけるような輝き。
「そのために私は『器』を作った。
火、風、水、土。
原初の竜が持っていた4つの権能を分割し、人の身で扱えるように調整した『四元素の竜騎兵』。
そして、それら全てを統合し、耐えうる強靭な精神と肉体を持つ『適合者』を」
皇帝の視線が、私を射抜いた。
「それがお前だ、エルゼ。
お前が戦争で傷つき、憎しみを抱き、仲間を喰らい、そして絶望の淵から蘇る……。
そのすべての過程が、お前を『神の器』へと進化させるための儀式だったのだよ」
「……!」
全身の血が逆流するような感覚。
カイルとの殺し合いも。
リズの病気さえも。
すべてが、こいつの書いたシナリオだったというのか。
「……ふざけるなッ!!」
ブチッ。
私の中で、何かが切れた。
「私の人生を……人の命を……!
貴方の実験材料にするなんて……絶対に許さないッ!!」
激情と共に、私の体が変化した。
白い肌が瞬時に黒い鱗に覆われ、背中から魔力の翼が噴き出す。
人間としての形を捨て、アヴェンジャーと同じ「怪物」の姿へ。
「カイル! やるわよ!」
『おう! 説教はあの世で聞かせろッ!』
ズオォォォォォォォッ!!
アヴェンジャーが咆哮した。
戦車のような駆動音と、獣の唸り声が混ざったような不快音。
巨大な質量が、床を粉砕しながら突進する。
同時に私も跳ぶ。
右手にウリエルの熱、左手にガブリエルの冷気。
相反する二つのエネルギーを螺旋状に絡ませ、皇帝の心臓を目掛けて叩きつける。
「消えろォォォォォッ!!」
必殺の一撃。
だが、皇帝は動じない。
彼はグラスを放り投げ、両手を広げて私を受け入れるように笑った。
「来い。
その怒りこそが、進化の最後の鍵だ」
グニョリ……。
私の拳が、皇帝に届く直前。
彼の背後の「肉塊」が裂けた。
中から現れたのは、黄金に輝く巨大な骨格。
いや、それは骨ではない。
光そのもので構成された、神々しくも禍々しい「翼」だった。
ドォォォォォォォォォォォッ!!!!!
衝撃波ではない。
「威圧」だけで、私とアヴェンジャーは吹き飛ばされた。
「ぐっ……ぁ!?」
私は空中で体勢を立て直し、アヴェンジャーの背中の装甲板にしがみついた。
カイルも即座に重力アンカーを打ち込み、火花を散らしながら、その巨体を強制停止させる。
土煙の向こう。
玉座は消滅していた。
代わりにそこに浮いていたのは、黄金の偶像。
全長はアヴェンジャーと同等。
しかし、歪で禍々しいアヴェンジャーとは対照的に、それは完璧な黄金比を持った人型だった。
脈動する金色の筋肉と、透き通るような水晶の装甲。
背中には、空間を切り裂くように輝く6枚の光翼。
そして顔には、カール・フォン・ギルベルトの面影を残した、無機質な仮面。
『……素晴らしい力だ、エルゼ。
だが、美しくない。ただの暴力だ』
黄金の巨人が口を開かず、思念だけで語りかけてくる。
そのプレッシャーは、先ほどまでの「人間」とは次元が違っていた。
『これぞ帝國式典用竜騎兵・最終型『カイザー・ジークフリート』。
いや、もはや騎兵ではない。
これは、星を統べるための「法」だ』
カイザーが手をかざす。
それだけで、周囲の瓦礫が重力を失って浮き上がった。
ミカエルの力? いや、もっと高位の座標操作だ。
『さあ、始めようか。
地を這う獣と、天を統べる神。
どちらがこの星の未来に相応しいか……生存競争の時間だ』
ヒュンッ!!
黄金の巨人が消失した。
速い。
目で追える速度ではない。空間転移。
「カイル、後ろッ!」
『チッ、速えッ!』
カイルが反応する。
アヴェンジャーが、その鈍重そうな見た目からは信じられない速度で反応した。
背中のスラスターを一斉に吹かし、巨大な上半身を無理やりねじりながら、裏拳のように剛腕を振るう。
盲滅法ではない。
「殺気」を感じた方向への、本能的な迎撃。
だが。
ドガアアアアアアアッ!!
爪が届くより速く、黄金の拳がアヴェンジャーの肩口に叩きつけられていた。
メキメキメキッ!!
数千トンの衝撃に耐えうる複合装甲が、まるで粘土のように陥没する。
ただの「殴打」ではない。
質量を持った隕石が衝突したような破壊力。
『ガハッ……!?』
カイルの苦悶の声と共に、アヴェンジャーが沈んだ。
膝をつく、などという人間的な倒れ方ではない。
巨大な重機がプレス機にかけられたように、太い脚部のサスペンションが一気に押し潰され、腹部が地面にめり込んだのだ。
ズズゥゥンッ!!
床の石畳が円状に砕け散る。
赤子のように押し潰され、這いつくばらされた屈辱。
「カイルッ!!」
私は叫び、黄金の巨像へと躍りかかった。
爪を立て、牙を剥く。
私のすべてを賭けた復讐戦。
相手は神を気取る黄金の怪物。
――勝てるのか?
いいえ、勝つのだ。
理屈も限界も超えて。
私たちは、神様を殺しに来たのだから。




