第160話 四元素の融合
キィィィィン……
成層圏と宇宙の境界線。
空気抵抗すらほとんど存在しない希薄な青の世界を、黒い鉄塊が滑るように飛んでいた。
重竜騎兵『アヴェンジャー』。
だが、その飛び方は、かつてのような「燃料を爆発させて無理やり推進する」暴力的なものではなかった。
あまりにも静かで、あまりにも速い。
『……おい、エルゼ。モニターの数値を見てみろ』
カイルの声が、興奮と畏怖の入り混じったトーンで響く。
彼が指し示したメインモニターには、機体のステータスが表示されているが、そのグラフは異常な形を描いていた。
『熱量、推力、冷却効率、重力制御……すべてのゲージが「循環」してやがる。
消費エネルギーが、ほぼゼロだ』
「……永久機関、というやつ?」
『理論上はな。
ウリエルが吐き出す爆発的な「熱」を、ガブリエルの「水」が吸収して蒸気に変える。
その高圧蒸気をラファエルの「風」がタービンへ送り込み、推力に変換する。
そして、最後にミカエルの「重力」が、拡散しようとするエネルギーを再び炉心へ圧縮して戻す』
カイルは乾いた笑いを漏らした。
『火、水、風、土(重力)。
この世の物質を構成する四大元素が、お前の胸の中で完全な生態系を作ってやがる。
外部からの補給なんていらない。
ただ呼吸するように飛ぶだけで、こいつは無限に加速し続けるんだ』
私は操縦桿を握る手に力を込めた。
機体からのフィードバックが、以前とはまるで違う。
かつては、暴れる猛獣の手綱を必死に抑え込んでいるような感覚だった。
熱暴走の恐怖、燃料切れへの焦り、機体のきしみ。
それら一切のノイズが消えている。
今の『アヴェンジャー』は、私の手足そのものだ。
思考と同時に翼が動き、意思と同時に空気が爆ぜる。
全能感。
それは人間が持ってはいけない、禁断の果実の味がした。
「……見えてきたわ」
雲海の下、広大な大陸の輪郭が浮かび上がる。
帝國本土。
科学と魔導の粋を集め、世界を支配する軍事国家。
そして、私たち姉妹の運命を狂わせた元凶が住まう場所。
ピピピピピピピピッ!!!!!
突如、レーダーが赤一色に染まった。
警告音がコクピット内に鳴り響く。
『帝國本土防空網(ADIZ)、接触!
……数は100機以上!
最新鋭の無人竜騎兵「セラフィム」部隊だ!』
雲を突き破り、銀色の翼を持つ機体の群れが上昇してくる。
セラフィム。
かつての私が乗っていた量産機とは比較にならない、帝國の技術の結晶。
パイロットの肉体限界を無視したG機動を行う、空の狩人たち。
「歓迎してくれるのね」
私はスロットルに手をかけた。
以前なら、死を覚悟して挑む相手だっただろう。
100機という数は、個の武勇でどうにかなる戦力差ではない。
……人間ならば。
『どうする、エルゼ?
高度を取って振り切るか? 今の推力なら、奴らが追いつけない高度3万まで一瞬だぞ』
「逃げないわ」
私はオッドアイを細め、眼下に群がる銀色の羽虫たちを睨み据えた。
「これは『復讐』よ、カイル。
こそこそ裏口から入って、親玉だけ殺して終わりなんてつまらない。
正面から踏み潰す。
帝國が誇る最強の軍隊も、鉄壁の守りも、すべて無意味だと分からせてから……皇帝の首をあげる」
カイルが短く息を吐き、獰猛にニヤリと笑った気配がした。
『了解だ、相棒。
なら、見せつけてやれ。
4つの神を喰らった怪物が、どういう理屈で動くのかを』
ズオォォォォォォォッ!!!!!
私は急降下を開始した。
重力制御を「正」から「負」へ。
地球の引力に、ミカエルの超重力を上乗せする。
落下速度は数秒でマッハ5を超え、大気の壁が赤熱する。
『敵部隊、散開! ミサイル発射!』
下から無数の光の筋が伸びてくる。
誘導ミサイルの嵐。
回避? 防御?
そんなものは必要ない。
「……ガブリエル、展開」
私が呟くと、アヴェンジャーの周囲に青白い光の膜が生まれた。
機体表面に薄く展開された、超高密度の水膜。
着弾したミサイルの爆炎と衝撃波を、水が瞬時に蒸発することで熱エネルギーごと吸収してしまう。
ドガガガガガガッ!!
爆煙の中を、無傷のアヴェンジャーが突き抜ける。
「なっ……!?」
「直撃したはずだぞ!?」
「速すぎる! レーダーが追いつかない!」
傍受した帝國軍の通信が、混乱に満ちている。
私はその真ん中へ、隕石のように突っ込んだ。
「散りなさい」
すれ違いざま、ラファエルの「鎌鼬」を解き放つ。
物理的な刃ではない。
圧縮された空気の断層だ。
触れたものすべてを両断する見えない刃が、すれ違ったセラフィムたちを次々と空中で分解していく。
バラララララッ……!
花火のように爆散する機体。
だが、私は止まらない。
眼前に迫る巨大な空中要塞艦へ、そのまま機首を向けた。
『高エネルギー反応! こいつ、特攻する気か!?』
「……ウリエル」
私は炉心の弁を開いた。
背中のスラスターからではなく、機体の前面に展開した重力場へ、超高温のプラズマを流し込む。
重力で固定された火球。
それはまさに、機体の先に太陽をくっつけたような「衝角」となった。
ズドオオオオオオオオオオッ!!!!!
アヴェンジャーが、要塞艦のど真ん中を貫通した。
装甲が溶解し、弾薬庫が誘爆し、数百メートルの巨艦が、飴細工のように内側から溶け落ちていく。
一撃。
ただ通り過ぎただけで、空の要塞が消滅した。
『……ハハッ、無茶苦茶だ。
ビームも砲弾も撃ってねえ。ただ「飛んでる」だけで、周りの敵が勝手に死んでいく』
カイルが呆れたように言った。
そう、これは戦闘ではない。
災害だ。
台風や地震に勝てないのと同じように、今の私に「戦術」など通用しない。
黒煙を上げて墜落していく無数の残骸を背に、私は再び機首を上げた。
地平線の彼方。
煙る空の向こうに、巨大な尖塔群が見える。
帝都。
魔導文明の頂点にして、腐敗した繁栄の象徴。
「……待ってなさい。
今、その高い塔を引きずり下ろしてあげる」
私は、4つの心臓の鼓動を確かめるように胸に手を当てた。
復讐の準備は整った。
あとは、終わらせるだけだ。




