第159話 黎明
北の果て、氷に閉ざされた海。
分厚い流氷が一面に広がる静寂の世界に、突如として異変が起きた。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
海底から突き上げるような地鳴りと共に、海面が大きく盛り上がった。
氷の大地がひび割れ、海水が沸騰したように泡立つ。
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
氷塊を粉々に吹き飛ばし、巨大な水柱が天へと昇った。
その飛沫の中から、黒銀の巨影が飛び出す。
重竜騎兵『アヴェンジャー』。
深海1万メートルの闇から、太陽の下へと帰還したのだ。
ザッパァァァァンッ!!
着水。
周囲の流氷が衝撃波で砕け散る中、アヴェンジャーは海の上に「立った」。
沈まない。
足裏から高圧の水流と蒸気を噴射し、さらに重力制御で機体重量をゼロにすることで、アメンボのように水面を滑っているのだ。
「……眩しいわね」
私はコクピットハッチを開け、冷たい外気を吸い込んだ。
水平線から、ちょうど朝日が昇るところだった。
黄金色の光が、私の白い髪とオッドアイを照らす。
以前なら、この光が目に刺さるように感じたかもしれない。
けれど今は、その太陽の熱さえも肌が吸収し、心地よいエネルギーとして取り込んでいくのが分かる。
『……生きて戻るとはな』
通信機から、ヴァルガスの呆れ声が聞こえた。
待機していた輸送機が、上空を旋回している。
『深度1万メートル。水圧と氷の棺桶から、自力で這い上がってくるとは……。
お前はもう、人間辞めてるぞ』
「今さらよ、ヴァルガス。
……それに、もう痛みも空腹もないわ」
私は自分の手を見た。
青白い血管が浮き出た白い肌。
人間としての機能は壊れたかもしれない。
でも、代わりに手に入れたものがある。
ミカエルの「重力」。
ウリエルの「熱」。
ラファエルの「風」。
ガブリエルの「水」。
4つの心臓が、私の胸の中で完璧なハーモニーを奏でている。
熱暴走の恐怖も、燃料切れの心配もない。
この星にあるすべての物質が、私の血肉となり、力となる。
「カイル。機体の調子はどう?」
ぐったりとしていたカイルが、重そうに瞼を開けた。
彼は私と違って生身の人間だ。
急激な圧力変化でボロボロになっているはずだが、その目はギラギラと輝いていた。
『……最高だ。
全パラメーター、安定領域。
出力、計測不能。
どこへでも行けるぞ、エルゼ。……宇宙の果てでもな』
「宇宙はまだいいわ。
行く場所は決まっているもの」
私はアヴェンジャーの顔を上げた。
視線の先。
南の彼方。
そこに、この世界の中心がある。
「帝都よ」
私の言葉に、通信機の向こうでヴァルガスが息を呑んだ。
『……本気か?
そこは帝國の心臓部だ。
何万という軍勢と、要塞化された都市が待ち構えている』
「関係ないわ」
私は笑った。
軍勢? 要塞?
今の私にとって、それは障害ですらない。
ただの燃料だ。
「会いに行くのよ。
天使たちを地上に遣わし、高みの見物を決め込んでいる『神様』に」
帝國皇帝。
すべての元凶。
彼が座る玉座を、私の炎で焼き尽くす。
それが、この長い食事のデザートだ。
「行くわよ、アヴェンジャー。
……最後の遠征だわ」
ブオォォォォォォォッ!!!!!
4つの炉心が同時に咆哮した。
海面が爆発し、黒い怪物は朝日の中へ向かって、一直線に飛び立った。




