第157話 深海の心臓
ゴボゴボゴボッ……!
コクピットの床を冷たい海水が洗い、私の膝下まで浸かり始めていた。
計器類がショートし、火花を散らしている。
けれど、そんなことはどうでもいい。
私の目は、逃げ惑う巨大な影だけに釘付けだった。
『くっ……来るな! 来るなぁぁぁッ!!』
ガブリエルが半狂乱で叫びながら、推進器を回して浮上しようとしている。
だが、その動きは鈍い。
先ほどの超重力でフレームが歪み、自慢の流線型ボディが空気抵抗(いや、水流抵抗か)の塊になっているのだ。
「……どこへ行くの? 食事はまだ終わっていないわよ」
私は操縦桿を強引に倒した。
スラスターは死んでいる。
プロペラもない。
けれど、私にはミカエルがいる。
「……落ちろ、アヴェンジャー」
ブウゥゥゥンッ!!
私は機体の前方、ガブリエルのいる一点に向けて、強力な重力場を発生させた。
下へ落ちるのではない。
横方向へ、敵に向かって「落下」するのだ。
ズオォォォォォッ!!
海水を切り裂き、アヴェンジャーが弾丸のように加速する。
エンジンの推力ではない。
引力という絶対的な法則に引かれた、自由落下だ。
ガシィィィィィンッ!!!!!
アヴェンジャーの鉤爪が、逃げるガブリエルの尾びれに食い込んだ。
捕まえた。
『ひぃっ!? は、離せ! 重い、重いんだよォッ!』
ガブリエルが巨体をよじって暴れる。
だが、アヴェンジャーは重力アンカーで接続され、決して離れない。
まるで、溺れる者が藁をも掴むように、あるいはサメが獲物に食らいつくように。
「開けてあげるわ。
……その堅苦しい殻を」
私はアヴェンジャーの両腕を、ガブリエルの背中の亀裂にねじ込んだ。
ギチチチチチ……ッ!
金属が悲鳴を上げる。
深海1万メートルの水圧が、私の指先に加勢する。
一度ヒビが入れば、そこへ1000気圧の水が押し寄せ、内側から破壊を広げてくれるのだ。
『やめろ、やめろ……!
装甲が……耐圧殻が……ッ!』
「缶詰を開けるのは得意なの」
私は笑った。
海水が腰まで達し、寒さで歯がガチガチと鳴る。
けれど、目の前の獲物を引き裂く熱狂が、体の芯を焦がしていた。
バキバキバキバキバキッ!!!!!
盛大な破砕音と共に、ガブリエルの背中の装甲が大きくめくれ上がった。
プシュウゥゥゥゥッ!!
内部から大量の気泡とオイル、そして青い体液のような冷却水が噴き出す。
『あ、あぁ……あぁぁぁ……!
私の……海が……』
剥き出しになったガブリエルの体内。
その深奥に、それはあった。
直径2メートルほどの、青く脈動する液体の球体。
周囲の海水をすべて支配し、凍らせるほどの冷気を放つ「氷の心臓」。
「見つけた……」
私はアヴェンジャーの手を伸ばした。
球体は、まるで生き物のようにプルプルと震え、触れようとする私の指を拒絶するように冷気を放つ。
『さ、触るな……! それは「海」そのものだ!
貴様のような……陸の者が触れれば……魂ごと凍りつくぞ!』
ガブリエルの警告を無視して、私はその冷たい心臓を鷲掴みにした。
ジュッ……!
アヴェンジャーの装甲表面が一瞬で凍結する。
けれど、構わない。
冷たいのなら、温めてやればいい。私の腹の中で。
「……いただきます」
ズズズズズ……。
私はその蒼い球体を引きずり出し、自分の胸へと抱き寄せた。




