第142話 天空の玉座
キィィィィィィィン……!
鼓膜を劈くような風切り音が、突然ピタリと止んだ。
青かった空が、深い藍色へと変わり、やがて漆黒の闇へと溶けていく。
成層圏。
雲海を遥か眼下に置き去りにした、静寂の世界だ。
ブシュッ……。
背中の冷却タンクが空になり、最後の蒸気を吐き出した。
アヴェンジャーの巨体が、放物線の頂点で無重力のように浮く。
『……っ、ぐぅ……。ここが、神の座ってわけか』
カイルが苦しげに呻いた。
急激な気圧変化とG(重力加速度)で、彼の体は悲鳴を上げているはずだ。
だが、私の目は一点に釘付けだった。
目の前。
太陽を背負うようにして、純白の機体が浮いていた。
帝國軍・超高高度滞空型竜騎兵『ラファエル』。
背中には鳥の翼を模した6枚の可動翼。
武装らしきものは見当たらない。
ただ、そのあまりにも美しい流線型のフォルム自体が、空を支配するための凶器だった。
『よく登ってきたな、泥人形』
ラファエルのパイロット――中性的な声の主が、冷ややかに告げた。
通信ノイズはない。
この空間だけ、妙に澄んでいる。
『だが、ここは貴様らのような重たい塊がいていい場所ではない。
……落ちろ』
ラファエルが、指揮棒を振るように右手を軽く払った。
ただそれだけ。
なのに。
ドンッ!!!!!
アヴェンジャーの頭上から、見えない巨大なプレス機が落下してきたような衝撃が走った。
機体が軋む。
高度計の数値が一気に下がる。
「……なっ!?」
私はスラスターを吹かそうとした。
だが、火がつかない。
エンジンが、カハッ、カハッと虚しく空咳をするだけだ。
『酸素濃度、低下!?
……違う、燃焼に必要な酸素が「無い」んだ!』
カイルが血相を変えて叫ぶ。
『あいつの周囲だけ、空気がねえ!
風を操って、俺たちの周りを真空にしてやがるんだ!』
真空断絶。
内燃機関で動く竜騎兵にとって、それは死刑宣告に等しい。
火が燃えなければ、推力は生まれない。
そして推力がなければ、この鉄塊はただの重りだ。
『重力に従い、地べたへ帰るがいい』
ラファエルが見下ろす中、アヴェンジャーは錐揉み回転しながら落下を始めた。
操作不能。
翼も効かない。
ただ重力に引かれ、死の世界(地上)へと真っ逆さまに落ちていく。
「……嫌よ」
私は、赤く点滅する警告灯の中で、歯を食いしばった。
あんな美味しそうな獲物を目の前にして、おあずけなんて冗談じゃない。
「カイル! 酸素がないなら、何を燃やせばいいの!?」
『……ッ! 酸素がいらないもの……そうだ、内蔵酸化剤だ!
ウリエルの炉心なら、酸素なしでも反応を起こせる!』
「なら、それを使いなさい!
……全部、叩き込んで!」
カイルが震える指でコンソールを叩く。
安全装置解除。
ウリエルの炉心への強制点火。
ドクンッ!!!!!
アヴェンジャーの胸の奥で、再び太陽が爆発した。
空気などいらない。
自らの身を焦がして生まれる熱エネルギーが、真空の闇を赤く染める。
「吠えなさい、アヴェンジャーッ!!」
ボォォォォォォォォッ!!!!!
背中の翼から、炎のジェット噴流がほとばしった。
落下が止まる。
重力に逆らい、黒銀の怪物が再び首をもたげた。




