第139話 拒絶する空
プシューッ……プシューッ……。
アヴェンジャーが歩くたび、背中の強制冷却装置から白い蒸気がリズミカルに吐き出される。
それはまるで、病人が人工呼吸器をつけて喘いでいる音に似ていた。
「……息苦しいわね」
私は首元の襟を緩める仕草をした。
実際には、コクピット内の気圧は正常だ。
けれど、私の体内の二つの心臓が、「もっと燃やせ」「もっと回せ」と暴れるのを、この冷たい鎖が無理やり抑え込んでいる感覚が、どうしようもない閉塞感を生んでいる。
『我慢しろ。その拘束具がなけりゃ、お前は今頃、自分の熱で溶けてる』
カイルの声が通信機から響く。
彼は後方支援車両で随伴しているが、その声には疲労が滲んでいた。
標高3000メートル。
帝國西部の山岳地帯は、雲海が足元に広がる高地だ。
空気が薄い。
酸素濃度が低いことは、燃焼を動力とする竜騎兵にとって致命的な出力低下を招く。
「……ねえ、ヴァルガス。
本当にここに『敵』がいるの?」
私は頭上の空を見上げた。
抜けるような青空。
雲ひとつない快晴だ。
敵影どころか、鳥一羽飛んでいない。
『レーダーには反応がある。
……だが、位置がおかしい。高度1万5000。
成層圏の真下だ』
「1万5000……?」
私は目を細めた。
通常の竜騎兵の限界高度は、せいぜい数千メートルだ。
それ以上は空気が薄すぎてエンジンがストールするか、寒すぎて機体が凍結する。
『来るぞッ! 衝撃波だ!!』
ヴァルガスの警告と同時だった。
ドンッ!!!!!
音も予兆もなく、アヴェンジャーの数メートル横の岩盤が、巨大な見えないハンマーで殴られたように陥没した。
爆発炎ではない。
純粋な「圧力」による破壊だ。
「……ッ!?」
私は反射的にバックステップを踏んだ。
だが、その回避行動すら、冷却拘束具のせいでワンテンポ遅れる。
重い。体が鉛のように重い。
ヒュンッ、ヒュンッ、ドォォォォンッ!
続けて二発、三発。
不可視の弾丸が、雨のように降り注ぐ。
岩が砕け、土砂が舞い上がる。
だが、弾道が見えない。
レーザーでも実弾でもない。
空そのものが、私たちを押し潰そうとしているようだ。
『圧縮空気弾だ!
上空から、極限まで圧縮した空気を撃ち下ろしてきやがる!』
「空気……!?」
私は上空を睨みつけた。
何も見えない。
ただ、青い空があるだけだ。
けれど、私のオッドアイ(右目)だけが、遥か彼方の空に、微かな「揺らぎ」を捉えていた。
そこにいる。
太陽を背にして、私たちを見下ろしている「何か」が。
『エルゼ、飛ぶなよ! 今の出力じゃ、いい的になるだけだ!』
「……舐めないで!」
私はカイルの制止を振り切り、スロットルを叩き込んだ。
背中の翼を展開する。
重力制御、始動。
アヴェンジャーが浮き上がろうとする。
ガガガガッ!
しかし、背中の冷却パイプが軋みを上げ、エラー音が鳴り響いた。
出力制限が解除されない。
30%の出力では、この巨体を空へ持ち上げるだけで精一杯だ。
「この……ッ! 邪魔なのよ、この鎖!」
もがく黒銀の機体。
そこへ、あざ笑うかのように、一際巨大な衝撃が直撃した。
ズドンッ!!!!!
アヴェンジャーの右肩が大きく沈み、膝をついた。
装甲が凹む。
熱で柔らかくなっている装甲は、物理的な衝撃に脆い。
『無駄だ、地を這う者よ』
空の彼方から、風の音に混じって、透き通った声が降ってきた。
男とも女ともつかない、中性的な、しかし絶対的な冷たさを含んだ声。
『泥に塗れたその薄汚い体で、天に触れようなどと……冒涜も甚だしい』
帝國軍・超高高度滞空型竜騎兵『ラファエル』。
姿を見せず、ただ風と圧力だけで地上を支配する、空の処刑人。
私たちが踏み入れたのは、戦場ですらなかった。
一方的な「駆除」の領域だった。




