第121話 鈍色の朝
翌朝。バルデの基地にある食堂は、奇妙な静寂に包まれていた。
カチャリ、とスプーンが皿に当たる音だけが、やけに大きく響く。
私がトレイを持って空いている席に座ると、周囲の兵士たちが、まるで潮が引くようにさりげなく席を立ち、遠ざかっていく。
露骨な敵意ではない。
それは、猛獣の檻の近くにはいたくないという、生物としての純粋な警戒心だった。
「……人気者はつらいな」
向かいの席にドカッと座ったカイルが、苦笑しながらパンをかじった。
私の隣に座ってくれるのは、もう彼とヴァルガスくらいのものだ。
「快適よ。並ばなくて済むし」
私はスープを口に運んだ。
温かいコーンスープ。以前なら好物だったはずのその液体が、今はまるで味のしない「黄色い泥水」のように感じられた。
昨晩の「手術」の後遺症だ。
アヴェンジャーと深く繋がりすぎた代償として、私の五感は人間の規格から更にズレ始めていた。
舌が、鼻が、あの「高純度の魔力」以外の刺激を、ノイズとして切り捨てている。
(……まずい)
私は顔色一つ変えず、泥水を胃袋に流し込んだ。
これも燃料だ。体が動けばそれでいい。
「報告書、読んだぞ」
低い声と共に、ヴァルガスが私たちのテーブルに現れた。
彼はコーヒーカップを置くと、厳しい目で私を見据えた。
「昨日の戦闘データ……および、帝國軍の傍受記録だ」
「あら、彼らは何て?」
「『沈黙』だ」
ヴァルガスが、端末をテーブルに滑らせた。
「あの艦隊が撤退した後、帝國軍の通信量が激減した。
混乱しているんじゃない。……情報を統制し、対策を練っているんだ。
『ミカエル』という戦略級兵器を単独で捕食した、未知の脅威に対してな」
画面には、帝國軍がアヴェンジャーにつけた暫定コードネームが表示されていた。
『Gluttony(暴食)』。
「彼らはもう、お前をレジスタンスの兵器とは見ていない。
駆除すべき『災害』として認定したようだ」
「光栄ね」
私はスープを飲み干し、スプーンを置いた。
「それで? 災害を前にして、バルデの司令官殿はどうするつもり?」
「……飼い慣らすさ。毒も喰らわば皿まで、というからな」
ヴァルガスは皮肉げに笑ったが、その目は笑っていなかった。
彼にとっても賭けなのだ。
帝國という巨象を倒すために、アヴェンジャーという制御不能の毒蛇を懐に入れることが、吉と出るか凶と出るか。
「カイル、機体の調整は?」
「あー……正直、綱渡りだ。
ミカエルの炉心は安定しちゃいるが、いつまた拒絶反応が出るか分からん。
常にアイドリングさせて、汚れた廃熱を循環させ続けなきゃならねえ。止まったら最後、二度と動かねえかもしれん」
「不眠不休の心臓、か。私にぴったりね」
私は立ち上がった。
兵士たちの視線が一斉に突き刺さる。
恐怖、畏敬、そして嫌悪。
居心地がいい。
今の私には、人間同士の馴れ合いよりも、このヒリつくような緊張感の方が、よほど「生きている」実感があった。
「行くわよ、カイル。
……お腹が空いたわ。昨日の残飯整理をしましょう」
私は味のしない朝食の席を後にした。
鈍色の空の下、黒銀の怪物が待つドックだけが、私の帰るべき場所だった。




