第118話 沈黙の凱旋
かつてのような、地面を砕く着地音はなかった。
背中の「赤黒い翼」が微かな唸りを上げ、アヴェンジャーの巨体を羽根のように軽やかに地面へと下ろす。
重力制御。
それは竜騎兵という兵器の概念を根底から覆す、異質な挙動だった。
バルデの広場には、静寂だけが満ちていた。
整備兵も、民兵たちも、誰一人として歓声を上げない。
ただ、夕闇の中に佇む「黒銀」の巨人を、畏怖の眼差しで見上げているだけだ。
英雄の帰還ではない。
まるで、触れてはいけない禁忌が舞い降りたかのような空気。
「……降りるぞ、エルゼ」
カイルの声だけが、いつも通りだった。
プシュゥゥ……。
ハッチが開く。
外の空気が流れ込んでくるが、コクピット内の熱気は異常だった。
機体は修復されたはずなのに、内部にはまだ、あの白い機体から奪った高密度の魔力が熱を持って渦巻いている。
私はシートから身を起こそうとして――膝から崩れ落ちた。
「おいッ!」
カイルが慌てて私の体を支える。
足に力が入らないのではない。
感覚がないのだ。
自分の足が、どこにあるのか分からない。
代わりに、背中の翼や、右手のパイルバンカーの感覚だけが、やけに鮮明に脳に残っている。
(……ああ、そうか)
私はぼんやりと理解した。
アヴェンジャーが「ミカエル」を喰らい、新たな器官を獲得したことで、神経接続の深度が深まりすぎてしまったのだ。
私の脳が、人間の肉体よりも、機体の方を「本来の体」だと誤認し始めている。
「……大丈夫よ。ちょっと、貧血気味なだけ」
「強がるな。顔色が死人みたいだぞ」
カイルに抱えられ、私はタラップを降りた。
地面に立つと、ヴァルガスが腕を組んで待っていた。
その表情は険しい。
勝利を喜ぶ指揮官の顔ではなかった。
「……派手にやったな」
ヴァルガスが、私ではなく、背後のアヴェンジャーを見上げて呟く。
「帝國の艦隊を一隻、握り潰したそうじゃないか。
お前が乗っているのは、もう俺たちの知っている試作機じゃない」
「……不良品よりはマシでしょう?」
「兵器としてはな。だが……」
ヴァルガスは視線を私に戻し、値踏みするように目を細めた。
「『制御不能な怪物』を飼い慣らせるほど、我々の鎖は頑丈じゃない。
……エルゼ。お前自身、どこまでが『自分』だという認識がある?」
鋭い指摘だった。
私は、自分の左手を見た。
震えてはいない。
けれど、その手で何かに触れた時、無意識に「握り潰せるかどうか」を判定している自分がいた。
「私は私よ、ヴァルガス。
……ただ、少し食性が変わっただけ」
私は努めて冷静に返したが、周囲の兵士たちが一歩、無意識に後ずさるのが見えた。
彼らは見ているのだ。
銀色の英雄ではなく、敵を喰らい、その力で空を支配した捕食者を。
凱旋パレードはない。
ここにあるのは、生き残った安堵と、それ以上に膨れ上がった「隣にいる化物」への恐怖だけだった。




