第116話 簒奪の晩餐
空気が軋む音がする。
私の背中から伸びた「赤黒い光の翼」が羽ばたくたび、周囲の重力場が歪み、大気が悲鳴を上げているのだ。
眼下には、泥沼でもがき苦しむ白い機体。
かつて私を見下ろしていた天使は、いまや羽をもがれた虫のように無様だった。
『嘘だ……返せ……それはボクの翼だ……!
汚いお前なんかが使っていい代物じゃないんだよォォォッ!!』
アルノが絶叫し、残された左腕でビームライフルを乱射する。
正確無比だった射撃は、恐怖と怒りで荒れ狂い、明後日の方向へ飛んでいく。
たとえ真っ直ぐ飛んできたとしても、今の私には当たらない。
フワッ……。
私が意識するだけで、アヴェンジャーは物理法則を無視した挙動を見せる。
慣性がない。
まるで重力そのものを「拒絶」しているかのように、スライド移動し、光線を紙一重でかわす。
「……すごい」
私は感嘆のため息を漏らした。
これが、最新鋭機の心臓と翼の出力。
泥臭いディーゼルエンジンのようなアヴェンジャーの魔力と、洗練されたミカエルの高純度魔力が、私の体内で混ざり合い、爆発的な化学反応を起こしている。
血管を流れる血が、沸騰するワインのように熱く、甘美だ。
「カイル、見える? この景色」
『……ああ。特等席で見せてもらってるよ』
カイルの声は、どこか遠いものをにじませていた。
彼には分かっているのだ。
目の前にいる銀と赤の怪物が、もう彼の知っている「竜騎兵」の枠を超えてしまったことが。
「さて。……いただきますの挨拶は済ませたわね」
私は右腕を振り上げた。
先端が溶解し、タングステンの杭をねじ込んだ「溶断パイル」。
その赤熱は最高潮に達し、周囲の空気を陽炎のように揺らめかせている。
『ひっ……来るな……!』
「逃げても無駄よ。重力が貴方を逃がさない」
私は翼の出力を反転させた。
浮遊から、加圧へ。
ズズズズンッ……!
ミカエルの周囲の重力が局所的に増大し、機体を泥沼の奥深くへと押し付ける。
もがくことさえ許されない、不可視の拘束衣。
「これが『天罰』なんでしょう? アルノ」
私は急降下した。
音速を超え、赤い彗星となってミカエルの懐へと飛び込む。
狙うは一点。
装甲が剥がれ、無防備になったコクピットハッチ。
『嫌だッ! 死にたくない! ママ、助け――』
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
子供じみた命乞いは、轟音にかき消された。
アヴェンジャーの右腕が、ミカエルの胸部中央を深々と貫いたのだ。
タングステンの杭が、コックピットの装甲をバターのように溶かし、その奥にある操縦席ごと突き抜ける。
ジュワァァァァッ!!
超高熱が内部を焼き尽くす。
断末魔すら聞こえない。
ただ、白い機体がビクンと一度大きく痙攣し、そして二度と動かなくなった。
静寂。
荒野に風の音だけが戻ってくる。
だが、私の「食事」はまだ終わっていない。
「……まだよ。一番美味しいところが残ってる」
私は突き刺した右腕を引き抜かなかった。
代わりに、さらに奥へ、機体の深部にある動力炉へと爪を伸ばした。
ミカエルの炉心。
膨大な魔力が凝縮された、極上の宝石。
バキバキッ……!
装甲をこじ開け、青白く輝く球体を掴み出す。
「見つけた」
私はアヴェンジャーの胸部装甲を展開した。
肋骨が開くように装甲が割れ、そこから無数のケーブルが触手のように伸びる。
それらは歓喜に震えながら、ミカエルの動力炉へと殺到し、絡みついた。
ズズズズ……チュルルル……。
啜る音が響く。
白い魔力が、私の黒い機体へと吸い尽くされていく。
アヴェンジャーの全身の傷が、見る間に塞がっていく。
焼けただれた黒い装甲が剥がれ落ち、その下から、さらに硬質で、艶やかな「新しい皮膚」が生まれ変わる。
それは銀色ではなかった。
もっと深く、光を吸い込むような「黒銀」。
そして背中には、奪った翼が完全に同化し、血管のような赤いラインが脈動していた。
「……ふぅ」
満腹だ。
体の芯から力が湧いてくる。
私は空っぽになったミカエルの残骸を蹴り飛ばし、ゆっくりと空へと舞い上がった。
太陽が沈みかけている。
夕焼けが、私の新しい翼を赤く染め上げていた。
『……終わったな』
「ええ。美味しかったわ」
カイルの問いかけに、私は口元の血を拭いながら答えた。
罪悪感? そんなものは欠片もない。
あるのは、強者を喰らい、生き延びたという純粋な全能感だけ。
荒野の真ん中に、十字架のように突き刺さったミカエルの残骸。
それは、バルデの地に新たな「魔王」が誕生したことを告げる、墓標のようだった。




