第105話 震える銀
手が震えている。
カチ、カチ、カチ……。
左手の黒い爪が、無意識にアヴェンジャーの装甲を叩いていた。
止めようとしても止まらない。
寒いわけじゃない。むしろ、体の中は焼けつくように熱いのに、魂が凍えているような感覚。
「……エルゼ?」
背後からカイルに肩を掴まれた。
ビクリと体が跳ねる。
「大丈夫か? 真っ青だぞ」
「……平気よ。武者震いってやつ」
私は強がって笑おうとしたが、頬の筋肉が引きつって上手く動かない。
嘘だ。これは生存本能だ。
蛙が蛇に睨まれた時に感じる、絶対的な「種」としての格差への絶望。
北の空が白み始めている。
あの少年、アルノは言った。『夜明けと共に迎えに行く』と。
「……ねえ、カイル。
私、自分が一番強いと思ってた。
タングステンを食べて、銀色になって、もう怖いものなんてないって」
私は銀色に輝くアヴェンジャーを見上げた。
昨日はあれほど神々しく見えた巨体が、今はまるで、屠殺場へ引かれていく家畜のように頼りなく見える。
「でも、違った。
あいつは、私の延長線上にいるんじゃない。
……最初から、私たちを『狩る』ために作られた存在なのよ」
ズキリ、と左手が疼く。
共鳴が続いている。
頭の中に、アルノの無邪気な笑い声と、純白の機体が放つ冷徹な殺意がノイズのように流れ込んでくる。
『怖い? ねえ、怖いの?』
幻聴が聞こえた気がした。
「しっかりしろ!」
カイルが私の両頬を、パシンと両手で挟んだ。
痛みが、少しだけノイズを遠ざける。
「相手が神様だろうが処刑人だろうが関係ねえ。
お前は『暴食』のエルゼだろ?
食えるか食えねえか。……それだけ考えろ」
カイルの瞳が、至近距離で私を射抜く。
その目には、恐怖よりも私への信頼が宿っていた。
人間である彼が怖気づいていないのに、化物になった私が震えていてどうする。
「……そうね」
私は深呼吸をした。
肺の奥まで酸素を取り込み、震える心臓を無理やり落ち着かせる。
「美味しくなさそうだけど……骨くらいは残るかもね」
「ああ。喉に詰まらせてやるくらいで丁度いい」
その時、東の空から最初の一筋の光が差し込んだ。
夜明けだ。
キィィィィィン……!
同時に、北の地平線から、耳をつんざくような高周波音が響いてきた。
来る。
私はカイルの手を振りほどき、コクピットへと飛び乗った。
「行くわよ、アヴェンジャー!
……朝ごはんは、とびきり硬いのが出るわよ!」
恐怖は消えていない。
けれど、アヴェンジャーのエンジンに火を入れた瞬間、私の震えは止まっていた。
殺るか、殺られるか。
単純な生存競争の世界だけが、今の私の居場所だった。




