第10話 命の重さ、油の重さ
判断に要した時間は、コンマ二秒。
(……助けられない)
正面から突っ込んで彼を回収し、離脱するだけの出力は、今の凍りついた機体にはない。
リクを助けようとすれば、二人まとめて主砲の餌食になり、採掘塔も破壊される。
任務失敗。待っているのは、私の処刑と妹の死だ。
ならば。
私は感情のスイッチを切った。
「――動くな、リク。そのまま敵を引きつけろ」
『え……? しょう、い……?』
私は機首を急上昇させた。
リクを救助する動きではない。敵艦の真上、死角となる高高度の位置を取るための機動だ。
敵艦は、動けないリクを確実な獲物と見なし、高度を下げて彼に肉薄している。
主砲の輝きが、氷原にうずくまるリクの機体を照らし出した。
『嫌だ、死にたくない! 嫌だぁぁぁッ!』
「泣くな。役に立たせてやる」
私はコクピットの中で、血を吐くように歌った。
それは味方を鼓舞する歌ではない。
広範囲の魔素を暴走させる、破壊の旋律。
標的は、リクの機体ごと、その周囲一帯。
「――堕ちろォッ!」
私が放った最大火力の魔弾は、敵艦の装甲ではなく、その直下の氷原に着弾した。
歌によって励起された地下の原油脈が、連鎖反応を起こす。
ドォォォォォォンッ!
氷の大地が爆発した。
噴き上がった炎と黒い油の奔流が、低空にいた敵艦を腹の下から突き上げる。
想定外の衝撃に、敵艦はバランスを失い、そのまま火柱の中へと横転していった。
『ぎゃあああああああッ!?』
爆炎の中心で、リクの絶叫が途切れた。
◇
戦闘終了から一時間後。
医務室の前には、焦げた肉の臭いが漂っていた。
「……奇跡的ね。あの爆発で五体満足なんて」
私は包帯を巻かれたリクを見下ろして言った。
彼の機体はボロボロだったが、コクピット周りの装甲だけが彼を守り抜いたのだ。
だが、ベッドの上の彼は、もはや以前の無垢な少年ではなかった。
「……ひッ」
私と目が合った瞬間、彼は引きつった悲鳴を上げて布団を被った。
恐怖。
憧れの英雄を見る目ではない。化け物を見る目だ。
「人殺し……! 僕を囮にした……! 悪魔……ッ!」
震える声で罵倒が飛んでくる。
私は何も答えず、ただ淡々とその憎悪を受け止めた。
その通りだ。私は彼を餌にした。彼が生き残ったのは、単なる計算外の幸運に過ぎない。
医務室を出ると、廊下でヴォルゴフ少佐が待ち構えていた。
彼は愉快そうに口角を歪めている。
「素晴らしい戦果だ、特務少尉。敵旗艦を沈め、味方の損害は軽微。あの新兵も、いい勉強になっただろう」
「……任務は完了しました。報告書は後ほど」
私は敬礼もせず、その場を立ち去ろうとした。
拳を握りしめすぎて、爪が皮膚を突き破り、手のひらから赤い血が滴り落ちていた。
だが、痛みは感じない。
ただ、黒い油の臭いだけが、身体中に染み付いて取れそうになかった。
窓の外、吹雪はまだ続いている。
この灰色の空の下で、英雄と呼ばれる魔女は、今日もまた一つ、人の心を殺して生き延びる。




