第五話:高坂陽菜は、少しだけ笑った
翌日の放課後、オレと陽菜は、あの雨の日と同じ、中庭の練習場にいた。
昨日とは打って変わって、空はどこまでも青い。
「……で? 今日は、何をするんだよ」
腕を組み、不機嫌そうな顔で、陽菜がオレを睨みつける。
昨日、あれだけ泣いたせいか、その目は少しだけ腫れぼったい。
「決まってるだろ。練習だ」
「はあ? 昨日、練習は無駄だって言ったじゃんか!」
「『お前の』練習は、な。今日からは、オレの言う通りにやってもらう」
オレは、彼女に一つの指示を出した。
「いいか、デカい魔法は使うな。難しい呪文も禁止だ。やることは一つ。お前がガキの頃、最初に覚えたであろう、光の玉を作るだけの基礎魔法。それを、ただ、やってみろ」
「……光の玉? そんなの、なんの意味が……」
「意味ならある。いいからやれ。ただし、一つだけ条件だ」
オレは、人差し指を立てる。
「結果は気にするな。光が大きくても、小さくても、歪んでいても、どうでもいい。ただ、昨日オレが言ったこと――『お前は、どうして魔法が好きだったのか』、それだけを考えながら、やってみろ」
陽菜は、納得いかないという顔をしながらも、しぶしぶといった様子で、呪文を唱え始めた。
だが、彼女の掌から生まれた光は、数秒も経たずに、不安定に揺れて霧散した。
「……っ!」
「焦るな。昨日のお前とは違う。何が違うか、自分で考えてみろ」
「昨日と、違う……?」
彼女は、オレの言葉を反芻するように呟くと、もう一度、目を閉じた。
深く、息を吸い込む。
脳裏に浮かべるのは、親友の笑顔。
そうだ。ボクは、あの子を喜ばせたくて、魔法を使ったんだ。
AIに評価されるためじゃない。誰かに勝つためでもない。
ただ、綺麗なものを創り出して、それを見て、笑ってほしかった。
それだけだったはずだ。
彼女が、ゆっくりと目を開ける。
その瞳から、昨日までの焦りや、悲壮な光は消えていた。
代わりに宿っていたのは、どこか懐かしい、穏やかな光。
彼女の掌の上に、ふわり、と小さな光が灯る。
巨大なものではない。派手なエフェクトもない。
ただの、鶏の卵ほどの大きさの、淡い光の玉。
だが、その光は、これまで彼女が放ってきたどの魔法よりも、安定し、澄み切って、そして、どこまでも優しく輝いていた。
「……できた」
呆然と、自分の掌の光を見つめる陽菜。
彼女にとって、それは、とてつもなく大きな「一ミリの成長」だった。
オレは、そんな彼女の横顔を見ながら、ぶっきらぼうに声をかけた。
「な、言ったろ。休むのも、考えるのも、仕事のうちだ」
その声に、ハッとして、陽菜がこちらを振り返る。
そして、すぐに、ぷいっと顔を背けた。
「べ、別に、あんたのおかげじゃないんだからね! ちょっと調子が良かっただけだよ!」
だが、背けられた顔の耳が、真っ赤に染まっているのを、オレは見逃さなかった。
そして、ほんの一瞬だけ。
彼女の強張っていた口元に、ほんの僅かな、自然な笑みが浮かんだのを。
それを隠すように陽菜は俺の先に小動物のように走り出す。
心無しか動きも軽い
陽菜が、去り際に、こちらにそっと振り返り、小さな、小さな声で呟いた。
「……ありがと、先生」
その言葉は、四十年の人生で聞いた、どんな感謝の言葉よりも、なぜか、心に響いた。
そうして柄にもなく心を満たされていたオレの視界の隅に、半透明のウインドウが、音もなくポップアップした。
『被験体:高坂陽菜の一次成長を確認。これより、二次課題(フェーズ2)に移行します』
AIからの、冷たい通知。
「……やっぱり、そういうことかよ」
オレは、空を仰ぎ、深くため息をついた。
どうやら、オレの平穏なセカンドライフは、まだ当分、始まりそうにもないらしい。
――この物語は、まだ始まったばかりだ。




