第四話:レポートが示す心の形
翌日の放課後。
オレは、指定した場所――古い資料ばかりが置かれた、図書館の片隅の閲覧席で、腕を組んで待っていた。
約束の時間から、すでに十分が経過している。
「……バックれやがったか?」
まあ、それならそれで好都合だ。
AIへの報告書には「被験者が指導を拒否。これ以上の実験は不可能」とでも書いて提出すれば、面倒事から解放されるかもしれない。
そんなことを考えていると、閲覧席の入り口に、息を切らした人影が現れた。
「……はぁ、はぁ……っ!」
「遅えよ」
「うっさいな! 来てやっただけありがたいと思えよ!」
高坂陽菜は、乱れた息を整えながら、オレの向かいの席に、ドサリと乱暴に腰を下ろした。
その手には、数枚のレポート用紙が握られている。
「ほら、言われた通りやってやったよ! これで文句ないだろ!」
まるで、果たし状でも叩きつけるような勢いで、彼女はレポートをテーブルの上に滑らせてきた。
その目には、まだありありと不満と反抗心が浮かんでいる。
「ご苦労さん」
オレは、そのレポートを手に取ると、ゆっくりと目を通し始めた。
そこに書かれていたのは、彼女の拙いながらも、素直な文字だった。
――『一番楽しかったこと』
言われたから、いやいや書く。
一番楽しかったのは、小学生の時。まだこの学園に入る前。先日、退学になった親友と一緒に、オリジナルの魔法を考え出した時のこと。
二人で協力して、蛍のように淡く、虹色にまたたく、小さな光の蝶を生み出す魔法。
……正直に言うと、辛いことの方が多かった。
何日も、何週間もかかった。全然うまくいかなくて、魔力が足りなくて、夜まで練習して、何度も喧嘩した。
「もうやめよう」ってボクが言ったら、「陽菜ならできる!」ってあいつが本気で怒って。本当に面倒くさかった。
でも、最後に、本当に小さな虹色の蝶が生まれた時。
あいつが「すごい!陽菜は天才だ!」って、満面の笑みで喜んでくれた。
その笑顔を見たら、今までの辛かったこと全部が、どうでもよくなった。
ううん、違うな。
辛かったこと全部も、なんだかキラキラした、楽しい思い出になった。
あの時が、人生で一番、嬉しくて、楽しかった。
「……なるほどな」
オレはレポートを読み終え、テーブルに置いた。
目の前の陽菜は、自分の内面を晒した気恥ずかしさからか、俯いてテーブルの木目を見つめている。
「一つ、質問していいか」
「……なんだよ」
「なぜ、それが楽しかったんだ?」
「は? だって……そりゃ、うまくいったから……」
「違うな。お前はここに、自分で答えを書いてるじゃねえか。『辛かったこと全部も、楽しい思い出になった』ってな。お前は昔、失敗も、喧嘩も、全部含めて『過程』を楽しめていた。だが、今のてめえはどうだ? たった一度の失敗に怯えて、楽しむことを忘れてる。どっちが、本当のお前なんだよ」
陽菜は、何も言えなかった。
脳裏に蘇る、あの頃の記憶。
親友と笑い合いながら、ただ純粋に魔法を創り出すことを楽しんでいた、あのキラキラした時間。
そして、脳裏に突き刺さる、今の現実。
親友に負けたくない、あいつのようになりたくない、記憶を失いたくない。
ただ、それだけのために、必死に「最低限」を守り抜こうとしている、今の自分。
ぷつり、と。
心の中で、張り詰めきっていた風船が、音もなく割れるような感覚に陥った。
彼女の心は、ずっと、表面張力でどうにか形を保っている、一杯のコップのようだったのかもしれない。
そこに、オレの「どっちが、本当のお前なんだよ」という言葉という一本の指が、そっと触れてしまった。
ただ、それだけのことだ。
決壊は、静かだった。
嗚咽はない。
ただ、彼女の大きな瞳から、大粒の涙が、ぽろ、ぽろ、と、後から後から、後から後から、止まることなく溢れ、こぼれ落ちていった。
オレは、ため息を一つついて、続けた。
「お前の『弱み』は、その親友だ。あいつに負けたくない、あいつみたいになりたくない。その強迫観念が、お前の心と魔法を縛り付けてる元凶だ」
「……うん」
彼女は、小さく頷いた。
「だがな」とオレは言葉を区切る。
「それは、お前の一番の『強み』でもある。誰かのために、本気になれる。誰かの笑顔を、自分の喜びだと感じられる。それは、AIには絶対に理解できない、人間だけが持つ、最高の才能だ」
「ボクの……強み……?」
「ああ。そして、お前にとって最大の『機会』は、今だ。親友と自分を比べるのを、一度やめてみろ。そして、もう一度思い出せ。お前は、どうして魔法が好きだったんだ? 誰のために、魔法を使いたかったんだ?」
彼女は、自分の掌を、じっと見つめている。
まるで、初めて見るもののように。
「お前の問題は、魔法の才能があるかないかじゃない。お前が、魔法を使う『目的』を見失ってることだ。それだけだ」
オレは立ち上がり、彼女のレポートを手に取った。
「今日のコンサルは、ここまでだ。レポートはもらっていく」
「……あ、おい!」
「明日も、放課後ここに来い。じゃあな」
オレは、呆然と座り続ける彼女を残し、一人、閲覧席を後にした。
彼女の心の形は、見えた。
あとは、その歪みを、少しずつ、矯正してやるだけだ。
……ああ、面倒くせえ。
だが、悪くない。
四十年の人生で、一番、手のかかる新人の指導も、存外、悪くない。
ここまでいかがでしょう!
本日はここまでっ!
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