第十二話:言葉ではない『対話』(後編)
翌日の放課後。
図書館へと向かう道すがら、オレは隣を歩く陽菜に、新たな作戦の骨子を説明していた。
「昨日の敗因は、オレが奴と同じ土俵――魔法理論で戦おうとしたことだ。今度は、オレの土俵に引きずり込む」
「先生の土俵って……?」
「ああ」とオレは頷く。
「オレは魔法学者じゃねえ。ただの、ちょっとビジネスや数値が得意な、キラキラ高校一年生彼女なしな一般生徒だ。だから、魔法理論を深化させる『学術論文』なんかじゃなく、その理論を『実利の視点』で、木っ端微塵にこき下ろす、痛烈な『ビジネスレポート』を、昨日の夜、一晩で書き上げた」
オレの目元には、昨日からの徹夜を物語る、うっすらとしたクマができていた。
「はぁ!? 一晩で!? 先生、フラフラじゃんか!」
陽菜が、信じられないという顔で目を見開く。
その反応は、心地よかった。四十のおっさんにも、まだガキを驚かせるくらいのスキルは残っていたらしい。
ふん。徹夜もできる体になったことを感謝しねぇとな。
オレは、データパネルを起動し、そのレポートのタイトルを「…そっか…いないんだ」などと呟いてる陽菜に見せた。
『報告書:『マナ相転移理論』の商業的価値(ROI)の欠如と、代替リソース配分に関する提言』
「……商業的価値? ROI?」
「費用対効果だ。要するに、『その小難しい理論、クソほど金と時間がかかるくせに、儲からねえから無価値だ』ってレポートだ」
「うわ、性格悪い……!」
「これが、オレの戦い方だ。そして、この中には、あいつにしか気づけない、巧妙な『罠』を一つだけ仕込んである」
「罠?」
「ああ。オレが提案した代替案の中に潜ませた、計算上の、ほんのわずかな矛盾だ。あいつは、絶対にそれを見つけて、訂正せずにはいられなくなる」
陽菜は、「先生、本気で楽しんでないか……?」と、少しだけ引いたような顔でオレを見ていた。
◇
図書館の、昨日と同じテーブル。
作戦は、昨日よりもさらに陰湿だった。
オレは、書き上げた挑発的なレポートを表示させたデータパネルを、わざとらしく机の上に置く。論文のタイトルは、ミオの席からでもギリギリ読めるように調整済みだ。
「陽菜、ちょっと喉が渇いたな。ジュースでも買いに行くか」
オレは、データパネルをスリープにもせず、画面をつけたまま席を立つ。
「うわ、やり方が陰湿すぎる……! これで本当に釣れるのかよ?」
「釣れるさ。あいつは、自分の信奉する理論が、全く別の価値基準で『無価値』と断じられている。この侮辱を、無視できるほど人間が出来てねえよ」
オレと陽菜は、少し離れた書架の陰に隠れ、ミオの動きを息を殺して見守った。
まさに、餌を撒いて、魚が食いつくのを待つ、釣り人の心境だった。
ミオが、ちらりとオレたちの席に視線を送る。
挑発的なレポートのタイトルが、彼女の目に留まったのが分かった。
彼女の指が、ぴくり、と止まる。いや、止まるどころか、わずかにうずうずと震えているようにも見えた。
「商業的価値? リソース配分? 馬鹿馬鹿しい……」
そう言いたげな、冷たい侮蔑の空気が、こちらまで伝わってくる。
一度は、彼女の視線は本に戻った。
だが、数秒後、もう一度、そして、さらに執拗に、オレたちの席へと視線が送られる。
その鉄壁のポーカーフェイスが、ついに崩れた。
眉間にわずかなシワが寄り、口元が「むむむ」とでも言いたげに引き結ばれる。
そして、その白い頬が、ほんのりと赤く染まっているのを、オレは見逃さなかった。
自分の信じる学問の価値を、土足で踏みにじられた。その事実が、彼女のプライドと知的好奇心を、昨日とは比較にならないレベルで刺激しているのだ。
ミオの指が、止まった。
数秒間、彼女は葛藤するように本を見つめる。
そして――ついに、その知的好-奇心が、彼女の鉄壁のポーカーフェイスを上回った。
ミオが、静かに席を立とうとした、まさにその瞬間。
ピーンポーン……
図書館のスピーカーから、AIの無機質なアナウンスが響き渡った。
『警告。長時間放置されている個人端末を検知しました。セキュリティ規定に基づき、三十秒後に端末を強制ロックし、データをシステムに提出します』
「……クソっ!」
オレは、思わず小声で悪態をついた。
AI『アルカディア』の、完璧なタイミングでの妨害工作だった。
ミオの動きも、止まる。
『ロックまで、二十秒』
カウントダウンが始まった。どうする? このままでは、オレのレポートは、AIの手に渡ってしまう。
その瞬間、ミオの表情から、初めて感情というものが消えた。
いや、違う。
論理的な思考が、感情を凌駕する速度で回転しているのが分かった。
彼女は、静かに席を立つと、まるで最初からそうするつもりだったかのように、一直線にオレたちの席へ向かう。
そして、強制ロックが実行される寸前に、オレのデータパネルを手に取ると、そのまま自分の席へと持ち帰ってしまった。
「えええ!? 持ってっちゃったよ!?」
書架の陰で、陽菜がパニックになっている。
だが、オレは、その一部始終を、ただ息をのんで見つめていた。
ミオは、自分の席に戻ると、オレたちが隠れている書架の方をちらりと見た。
そして、誰に聞こえるでもない声で、しかし、明確な意思を持って、こう呟いた。
「……忘れ物は、持ち主が戻るまで、預かっておくのが、ここのルールですから」
彼女は、AIの定めた「ルール」を逆手に取り、オレの「レポート」を手に入れるという、最高にクレバーな一手で、この盤上のゲームに応じたのだ。
そして、続けた。
「……それに、このレポート、いくつか、致命的な計算ミスがありますね」
陽菜が呆然とする隣で、オレは、心の底から楽しそうに、そして獰猛に、笑っていた。
ああ、そうだ。こうでなくちゃな。
オレは、隠れるのをやめ、堂々と、ミオが待つテーブルへと歩き出す。
「では、どこが非効率か、ご指導願おうか。――水瀬ミオ“先生”?」
本当の「対話」が、今、始わろうとしていた。




