2010年、地上の散歩
南アフリカの地で、本田圭佑と遠藤保仁がフリーキックを直接決めたとき、僕らはそれをテレビで見ながら、199円の発泡酒を直接胃袋に流し込むようにキメていた。岡崎という点を入れた選手の紹介テロップをぼんやりと見ながら、こいつの年俸で何杯の発泡酒を飲めるのだろうかと考えていた。
おそらく、岡崎だろうと駅弁大学生の僕だろうと等しく酔いが回るから、飲める発泡酒の量は変わらないという結論に達した。僕は、勧められるがままに安酒を飲み続け、潰れた挙句タクシーに放り込まれていた。電車で帰れる気力はあったから、強制的にタクシーに乗せられたのは少しだけ不服だったけど、ワールドカップを最後まで見ていたお陰で終電は既にに無かったし、電車に乗る気力は有っても電車の揺れに耐え、嘔吐に耐えるということは到底できないと分かっていた。 すべて酒のせいだ。もう酒は飲まない。
カチカチという不穏な音のあと、僕の身体は、右に揺られて、ドアにぶつかった。その衝撃でこみ上げるものが喉元まで来ていたものの、急いで唾を飲んでこらえた。
「吐きそうだったら、一度止めるので。言ってください」
語尾を強めて運転手が言った。吐きそうなんて言葉を吐く時には、今日食べた冷奴なんかも一緒に吐くことになる。なんて、文句は言えずに、気張って頷くことだけした。タクシーの運転は過剰なまでに丁寧で、それにより極限まで振動は低減されていた。その丁寧な運転が、偶のカーブを強調する。
カーブが僕を追い詰めるのは、体調のせいだけじゃない。カーブで体が揺られて、体勢を戻すたびにメーターと目が合うのだ。カーブで揺られるのが偶なせいで、メーターを見るたびに数字が大きくなっていた。僕は、その度に、メーターの数字と、運賃を支払った後の財布の中身で反比例するグラフを思い浮かべていた。
そんなカーブを繰り返すこと5回。妄想のグラフに充分な角度がついたとき、僕の様子がおかしかったのか「大丈夫ですか」という運転手の問いかけに、「ここで降ろしてください」と回答になっていない回答を返し、さっきまでぶつかっていたドアを開けていた。決して吐き気に耐えられなくなった訳じゃなく、金銭的な観点で降りただけで、要は財テクだと言い聞かせるも、それはそれで惨めだと気づいてしまった。岡崎だったら、余裕で地球の裏側までタクシーに乗っていけるだろう。
タクシーが小さくなっていく。『遠くなっていく』が、正解だろうけど、アルコールでやられた僕の脳は、文字通り小さくなっていくと認識していた。小さくなって、角を曲がって消えたタクシー。タクシーが小さくなっていった道程は、僕が今から歩く道の一部だ。家まで30分程度。そんなに歩いたら、溶解して、小さくなってしまうんじゃないかという心配に駆られたけれど、そのおかげで750円程の節約になったと思えば気分爽快だった。勤務態度がよろしくないということで、一向に試用期間から抜け脱せないコンビニバイトの時給より余程高い。今日は苦労して稼いだバイト代を飲み代とタクシー代に使い、かろうじてツーメーター分を死守した。
なんとか歩いて、バス停に着く。時刻表を見ると既に次の出発は、朝帯で、今日中には帰れる見込みはない。終電が終わってタクシーを使ったわけだから当たり前のことだったけど、一抹の希望を持って時刻表をみて、そして打ち砕かれた。
明日の1限目を受けなければ、落単してしまう。出席点はギリギリまで削られていて、その理由はこういった飲み会のせいだった。今日中に帰らなければ、遅刻だろう。朝まで待つ選択肢はない。諦めて家まで歩くことにした。
よく通る道だったけど、普段は車でしか通過しないせいで方角が分からなかった。酔っているせいでもある。全部アルコールが悪いと恨み節を浮かべながら、適当に歩き出した。しばらく歩き出すと、段々と覚えのない細道へと入っていった。よく通らない道だった。
あ、これはおかしいと不安になり、10分程歩いた道を戻ることにした。節約と時給レートが段々悪くなっていくのには辟易したけれど、このまま進めば、そのレートがほぼゼロに回帰する気がした。
歩いた道は緩い下り坂が多く、戻る時は上り坂な訳で、元の位置までより多くの時間がかかった。バス停の位置まで戻ると、目の前には、見覚えのある道が広がっている。うわ、こっちじゃん。でも、また間違えていたら困る。鈍い感覚の右手でポケットからスマホを取り出して、地図アプリを開くと、現在位置が30メートル程ズレて、僕は幹線道路のど真ん中に立っていることになっていた。
あれだけ、ワールドカップを鮮明に映し出すくせに、地図情報は適当なのか。現代科学の結晶がこれなのかと失望して、明日の1限目の『宇宙工学』の授業はパスしようと決意した。決して、明日の午前中に二日酔いによる頭痛に襲われることが予見されるから、サボる訳では無い。
2010年6月25日、僕は家路につく為、這いつくばるようにして歩き続ける。