第6話『王様』
今から1週間前、王都から離れた街に突如として漆黒の竜が現れた。見上げる程の巨体に鋭い爪、大きな牙が並ぶ口からは真っ赤な炎が吹き出す。竜の背に生えた大きな翼は、触れるだけで全てを切り裂いた。かの竜による死人は出なかったが、多くの建物が倒壊して住民は住む場所を失い、怪我人も出たのだ。
「そもそも、俺は領主へあの竜の討伐を命じたはずだ。なのに何故、貴様が竜を飼い慣らしている!?」
そもそも竜は滅多に人里へ現れず、ほぼ伝説のような存在。竜の危険性を考え、ローガンはその街の領主達に討伐を指示した。しかし何故か分からないが、その竜は聖女ウィスティレの元に行ったという。現在も大神殿にて、呑気に寝こけているのだとか。
「まさか最初から貴様が操り、街を襲わせたのではないだろうな!そして竜を撃退したとして自らの評判を上げようとした……!」
「意味不明な事言わないでくれやがります?」
「正直に吐け!俺が納得する理由を述べてみろ!」
追い詰められたローガンは必死にウィスティレを貶めようとしていた。ウィスティレは全く動じていないが、彼女を何とか崩そうと躍起になっている。聖女を悪女として世に知らしめ、王太子としての評判を元に戻さねば!その結果、口から出ているのはただの屁理屈やワガママでしかないのだが。
そんな醜い演劇にも終わりが訪れる。突然、会場に響いたのは重厚な扉が開く音。そう、また新しい、だが最後の登場人物がこの場に現れたのだ。
『……もうよい、聞くに耐えぬ。』
「ち、父上……!?」
扉の向こうから登場したのは、この国の国王と王妃だった。彼等はゆっくりと、だが確かな足取りでローガンとウィスティレの元にやって来た。
『ローガンよ……お前の醜悪な嫉妬心と身勝手な正義感で、聖女殿を煩わせるだけではなく、王家の顔にまで泥を塗るとは何事か。』
「何を仰るのです父上!俺はこの悪女を、王国の膿を排除しようと……」
『黙れ、この未熟者!』
息子を一喝し、黙らせた国王は王妃と共に聖女ウィスティレに頭を下げた。そしてそれを見たローガン以外の貴族達も倣って頭を下げる。1人取り残されたローガンは更に騒ぎ立てた。
「父上、母上!この女は邪竜の使い手なのですよ!頭を下げるなど言語道断、むしろ頭を下げさせ、逆らわぬように躾ねば!」
『……誰ぞ、猿轡と縄を持て。遠慮はいらぬ。』
『ハッ!』
「な、なんだ無礼者共、俺を誰だと……モガッ!」
『この度は大変申し訳なかった、聖女ウィスティレよ。』
「良いですわよ、結構面白かったんで。」
「ムームームッ!?……ゴフッ……」
国王にも気安い言葉をかけるウィスティレに怒りを増幅させたのか、ぐるぐる巻きにされてもなお暴れようとしたローガンの脇腹へ、兵のキツめの蹴りが食らわされた。国王夫妻は咎めない、もう既に愚か者の結末は決まっているようだった。
『聖女ウィスティレは竜を“保護”したまでに過ぎぬ。生まれたばかりで右も左も分からぬ、竜の“赤子”をな。』
この世界の竜は、生殖行動によって生まれない。あくまでも自然から発生する吹雪や竜巻、噴火といった“現象”と同じ存在なのである。そして、街を襲ったのは生まれたばかりの赤ん坊の竜だった。……まぁ、人から見れば立派な竜なのだが。
赤子の竜は気の向くまま人里へ現れた。そして、なんか面白そうだから街に居座ったのだ。建造物は積み木だし、人間は悲鳴の鳴るオモチャ。赤ん坊の竜からすれば街はそれほど楽しい場所だったらしく、人のルールなど知らない竜はただただオモチャで遊んでいた。
……竜出現を聞きつけたウィスティレにぶん殴られ、厳しい上下を叩き込まれるまでは。
『聞けばローガン……お前は竜討伐の為、街ごと破壊せよ、と領主に命じたらしいな。まだ、あの街に住む全ての住民の避難や説得が済んでいなかったというのに。』
『……。』
その街の領主は王太子からの無慈悲な命令に絶望していたところ、ウィスティレによる竜調伏が起きたのである。被害はあれど、愛する街と民を失う事を回避出来た領主は泣いて喜んだ。
そして、ウィスティレに懐いた竜は聖女預かりとなり、大神殿で飼われている。クレーマー信者も一睨みで撃退する頼れる門番は最近、季節の果物を使ったホールケーキがお気に入りらしく、よくウィスティレにキュンキュン鳴きながらねだっている姿が見られる。
『王族よりも上の立場である聖女殿の寛大さにかまけ、立場にふんぞり返り、母を救われた事に感謝も出来ず、横暴で身勝手に振る舞い……極めつけには、プライドに左右されて正しい判断も下せない。
前々からお前の素質には疑いを持っていたが、これではっきりしたな。今をもって、ローガンの王位継承権を剥奪し、王族としての籍を抜く!聖女殿を害した罪人として、大神殿地下にて“反省”せよ!!!!』
「モ……モゴモゴッ!?」
『聖女ウィスティレよ、これでよろしいかな。』
「よろしいんじゃねーですか?
そもそもこの男、アタシに婚約者らしいこと何一つしてなかったんで。特段強い思い入れとかねーんですわよねぇ。」
「モゴッモゴゴッモゴーッ!!!!」
国王夫妻から、息子へ向ける目には温度も愛情も無い。替えが利かないならもう少しは考えたが、ローガンの下には何人もの“代わり(ストック)”がいる。今回の件で王家の支持は確実に減っただろうが、このままローガンを据えるよりももっとマシだ。
驚愕に目を見開くローガンを無視し、ウィスティレは国王からの言葉にどうでも良さそうに頷く。彼女は悪女どころか慈愛の聖女だと、ローガンの手で、口で証明された。最後まで反省しなかったローガン元王太子は、兵によって乱暴に引っ立てられて行く。だが、ただでは転ばないローガンは、「この悪女め!」と猿轡を噛まされた口で言い放った。
悪女め、呪われろ!天罰が下れ!そう思いながらわめき散らかすローガンを鬱陶しく思ったのか、ローガンを引きずる兵の空いている手が上げられる。そして、ローガンの頬に強烈な殴打がされる、その一瞬前に。
「そりゃそうですわよ、アタシ……
悪女だもん♡」
心底楽しそうに、思いっきりローガンをバカにする、聖女ウィスティレの顔だけが彼の脳裏に焼き付いた。