第三話 本当の幸せ
風が、穏やかに吹いていた。
草花は色を戻し、子どもたちの笑い声が小道に響く。
私は、小さな民家の庭で洗濯物を干していた。
鏡に映る私の顔は、あの頃のように澄んでいた。
いいえ――あの頃以上に、温かく、美しく、幸せに満ちていた。
隣では、ユリオが静かに微笑んでいた。
「ねえ、ラナ。あれからもう、一年になるんだよ」
「君がここに来てくれてから」
「……そうなの?」
「なんだか、もっと昔から知ってた気がするわ」
「うん。僕もだよ。
君を初めて見たときから、ずっと――君を、守りたいと思ってた」
彼の声は、揺るぎなく優しかった。
それだけで、胸の奥がぽかぽかと満たされていく。
でも――その優しさに包まれている今も、
“向こう”の国では、変化が起きていた。
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アレスト王子は、鏡の前で苛立っていた。
「……なんだ、この肌のくすみは」
「こんなに金をかけているのに、なぜ輝きが戻らない……!」
「我が国の財政状況も悪化するばかりだ…」
かつてラナが願ってくれた“美”や“財産“が、徐々に失われていた。
セシリアも同じだった。
「ラナがいなくなってから、運が悪いことばかり……」
「こんなの……おかしい……!」
そして、民の声も変わっていた。
「最近、作物の実りが悪いわね……」
「昔はラナ様のお祈りで、良い天気が続いたって聞いたけど」
誰も口には出さないが、皆が薄々気づいていた。
――あの娘の“願い”が、国全体を支えていたのだと。
なのに、彼女を捨てた。
都合よく使って、不要になったときに切り捨てた。
その代償が、今になって覆いかぶさっていた。
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私は――“もう祈らない”。
それでも、私の幸せが、私の笑顔が、周囲を癒していく。
「願いを叶えるためじゃない」
「私はただ、幸せに生きる。それが、きっと……皆を幸せにするから」
ユリオは、そんな私の隣にいてくれる。
「ラナ、僕ね。ずっと思ってたんだ」
「あのとき、君が言ってくれたきっと“君の願いは叶うよ”って言葉――
あれは、僕の人生を救ってくれた。僕の、真実の希望だった」
「だから今度は、僕の番なんだ」
「君がどんな姿でも、どんな生き方でも、ずっと幸せであってほしい」
そう言って、ユリオは指輪を差し出した。
小さな宝石がきらきらと、まるでラナの涙のように輝いていた。
「ラナ。僕と一緒に、生きてくれませんか?」
私は、笑った。
「……はい。喜んで」
もう、誰の願いも叶えなくていい。
この手は、誰かを癒すためだけじゃなく、
“愛する人と手をつなぐため”にある。
願いを叶えるたび醜くなった私が、
最後に得たのは、世界でいちばん美しい願い――
「あなたと生きる未来」だった。