夜のない庭
職場に中庭がある。
廊下のガラス張りになっているところから、中庭の様子が覗ける。
おかしい。今は昼のはずなのに、中庭は、どういうわけか夜になっていた。
草むらの周りを、ホタルの淡い光がふわふわ飛ぶ。空には月が浮かんでいる。
中庭は、夜間は立ち入り禁止だ。扉も施錠されている。
でも、今は昼だ。中庭だけが夜になっているのだから、本当は昼なのだから、入って調べてもかまわないだろうか。私は、気になって気になって仕方なかった。
「夢藤さん、何してるの?」
振り返ると、先輩がいた。
私は中庭の様子を伝えた。けれども先輩は、とくに驚いた様子もなかった。
「その中庭って、本当は夜がないんだよ。夜になった状態の中庭は用意されてないの」
「でも夜になってますよ」
「そうだね。おかしいよね。だから、入らないほうがいいよ。だっておかしいんだもん」
もし入ったらどうなってしまうのだろう?
「それより夢藤さん、急ごう。もう出る時間だよ」
先輩は私を呼びに来たらしかった。
そうだ。もうそんな時間か。
今日は職場の人全員と群馬に旅行に行く。普段、めったに乗らない新幹線に乗るから、不安反面、とても楽しみだ。
指定席を取っているから時間厳守だった。逃したら面倒なことになる。
駅へ行く前に、私たちはコンビニに寄ってお菓子を買うことにした。新幹線の中で食べるおやつだ。
好きなものをいっぱい買う。そう決めていたのに、どういうわけか私だけ一つも買うことができなかった。棚に並ぶお菓子を目の前にして、やっぱりいいや、という気持ちになってしまったのだ。
買えばいいのに。コンビニを出てから後悔するくらい、欲しかったのに。
駅に着いた。
これから目的のホームに向かう。けれども、新幹線が来るまでずいぶん時間がある。
「俺、トイレ行きたいな」
と、中山さんが言った。
中山さんはかなりずんぐりした人だ。常に汗をかいている。愛想もそんなによくない。でもなんだかんだで良い人だったりする。
「あ、じゃあ私も行きます」
実はちょっと行きたかった。
広いうえに慣れない駅。一人でトイレを探すのは心細かったので、ちょうどいい。私は中山さんについていくことにした。
そうして、トイレへは簡単に辿り着いたのだけれども。
「うわ、これって並んでる感じですか?」
尋常ではない並び方だ。出入口の外に椅子があって、みんなそこに座って待っている。トイレじゃなくて、行列のできる飲食店みたい。
とはいえ仕方ない。いずれは順番が来るだろう。
最後尾の椅子に座る。そして、ぼんやり考える。
本当に群馬には行けるんだろうか。
たとえばこの世界はゲームみたいなもので。
中庭の夜は用意されていなくて。
私が買えるお菓子は用意されていなくて。
群馬に辿り着くイベントは用意されていなくて。
新幹線が来る前にトイレに行っておく、しかしトイレは混んでいて並ぶ、というところまでしか、作られていなかったとして……。