8. ちょっと未来の後の話
「国王陛下、私と番いませんか?」
「はい?」
筆頭事務官のアルヴィンの言葉に、竜人国の国王となったユリアーナは首をかしげた。
たった今まで、来年の予算割りの話をしていたはずだ。
「先王陛下もいなくなってしまって、ずいぶんお疲れでしょう?」
「ええ、そうね?」
「いつも頑張っているあなたを、甘やかしたくなったんです」
「ええと?」
さらに首をかしげたユリアーナの右耳で、耳飾りが揺れた。王族がつねに身につけている番封じの耳飾りだ。これをつけていると、魂の音色が聞こえなくなる。
番は極上の音色がすると言われている。恍惚として、ずっとその音色を聞いていたくなるそうだ。番に出会わないまま王族になったユリアーナは、その音色を知らない。
ついでにいえば、自分が誰かと番うことすら考えたことがなかった。だから、仕事でいつも一緒にいるアルヴィンが、そんなことを思っていたとは想像すらしていなかった。
「甘やかすって、どうするの?」
だから首をかしげたまま、いつもの仕事のように素直に疑問をぶつけた。
「そうですねえ。一緒に綺麗な景色でも見に行きたいですが。むしろ、陛下は私になにをしてほしいですか?」
「この予算案を今日中に片付けたいわ」
その言葉にアルヴィンが苦笑を浮かべると、頭を下げた。
「仰せの通りに。国王陛下」
番う発言などなかったかのように仕事に戻るアルヴィンをまじまじと見つめてから、息を吐くと、頭を再び仕事に切り替えた。
先王であるウィルバートが竜人国を去ってから、もう五年近くが過ぎた。国王の座をユリアーナに譲ってから数年は、ユリアーナの補佐として国に残っていたが、ユリアーナが執務に慣れたとみるや、最愛であるフィリオーネを追いかけて国を出ていった。
ちなみに、フィリオーネも「宿題が終わるまでは」と言って、しばらくの間は竜人国にいたが、あのずば抜けた頭脳で国の一部始終を理解すると飽きたようで、「いろいろ見てくるわ」と言って、さっさと旅に出ていた。
ウィルバートに贈られた、『理』の魔女が作ったという居場所のわかる腕輪を嫌そうにしていたが、それをしないと彼が国を放ってついていくと言ったので、仕方なしに着けていた。
ウィルバートが何を対価にその腕輪を手に入れたのか、考えたくもない。魔女との連絡の取り方を書いておくと言われたが、王宮の書庫の奥の奥に仕舞うようアルヴィンにお願いした。
フィリオーネが国を出る前にした、最後のお茶会での会話を思い出す。
『番を求めるかぎり、竜人はいつか滅ぶわ』
フィリオーネが口にした言葉に、ユリアーナはきゅっと唇をかみしめて、目を伏せた。
お茶を飲んでから、彼女はつづけた。
『番同士の妊娠率は異常に低いって知っていた? 前々国王陛下は、子沢山なのにね』
先々国王は、番を得なかった。国王になったのち、番でない女性に求婚し、結婚した。先王のウィルバートは、第三王子だ。ウィルバートが玉座をめぐる殺し合いに生き残り、王位に着いたあとに、ユリアーナの父も、元王太子であったコンラッドの母も生まれている。
確かに竜人としては、異例の多産である。それだけ二人の仲が良好なのだと思っていたのだが、フィリオーネがこう言うからには別の理由があるのだろう。
『番とは、なんなのですか?』
ユリアーナの問いに、フィリオーネは唇の端を引き上げた。生まれてまだ二十年に満たない若さには見合わない凄絶な笑みに、ユリアーナの背に冷たいものが走る。
『正しく問いを発する貴女が大好きよ。――番はね、神の呪いなの』
『神の、呪い?』
『自分から最も遠い魂の音色を美しいと感じる呪い。つまりは、最悪に相性が合わない相手に惹かれる呪いね。相性が悪いんだから、子を成すのは難しいわね』
黙って考え込むユリアーナを見て、フィリオーネはにこりと笑った。
『魔女の番封じは、救いでもあるのだけれど、きっと受け入れないでしょう? だから、竜人は滅びるの。子どもが生まれなくて。……でも、きっとそれも、どうでもいい話なのよ。番にしか興味のない竜人には』
フィリオーネは再び茶に口をつけると、なんでもないように告げる。
『救いの術がそこにあるのに、それに気づかない。選ばない。その愚かさをただじっと眺めている。それが魔女の報復なの』
ほの昏い光を宿すフィリオーネの青い瞳を、ユリアーナはじっと見つめた。
『どうしてそれをわたくしに教えるのですか?』
『これはウィルの宿題ではないから、かしら』
この情報を知ってどうするかは、ユリアーナたちの世代が決めればいい、ということだ。思わず、ため息がこぼれた。
『ウィルバート伯父様も、フィリオーネ様も、ひどいのではありませんか? わたくしにこのような重責を押し付けて。――本気でこの国、潰そうかしら』
フィリオーネは苦笑する。
『せっかく整えた国を潰すのは止めてちょうだい。貴女なら、大丈夫よ』
『大丈夫ではありません』
唇をとがらせたユリアーナに、フィリオーネはうってかわった明るい笑顔を浮かべた。
『大丈夫。だって、貴女には、優秀な補佐官がいるでしょう?』
そこまで思い出したところで、ユリアーナはふっと意識を現在に引き戻された。
「陛下! 陛下、大丈夫ですか!?」
アルヴィンの珍しく焦った顔が目の前にあって驚く。ずいぶん長く、物思いにふけってしまったようだ。
「あ、ごめんなさい。なにかしら、アルヴィン?」
「何度呼んでも返事がなくて、心配しました。やっぱり少しお休みになられたほうがいいですよ」
「予算案を作ってしまわないと」
「それは私のほうでやっておきます。明日、確認してください」
「そういうわけには」
くっと眉を寄せたアルヴィンは、ユリアーナの両脇に手を入れて持ち上げる。子どもの頃はともかく、大人になって長らく、こんな風に誰かに抱き上げられたことはない。
「え? や、なに?」
混乱するユリアーナに、アルヴィンは不機嫌な顔のまま告げる。
「気に入らなければ、ぶっ飛ばしてください」
「ええ? それは無理よ。あなたが倒れたら、仕事が滞るもの」
「あなたが倒れても滞りますよ」
そっと慎重に長椅子に置かれると、ぐいっと頭を引き寄せられる。腰かけたアルヴィンの膝の上に、ぽてんとユリアーナの頭が転がった。目を見開いたまま、無言で彼を見上げる。
アルヴィンは視線をそらす。彼の片手がユリアーナの目元を覆って、なにも見えなくなった。
「少し休んでください」
その言葉に、ユリアーナは大人しく目を閉じた。ふっと身体から力が抜ける。
確かに、少し疲れているかもしれない。
アルヴィンがなにか指示をしたのか、執務室にいた他の事務官たちが退室する音が聞こえた。掛け物をユリアーナの体の上に広げたあと、侍女の気配も部屋から消えた。
「それで、どこに行きたいですか?」
いつもの仕事と変わらない声が降ってくる。
「海、が見たい、かも」
あまりに変わりなく問いかけるから、するりと言葉がこぼれ落ちた。
かなり昔に見た、あの果てのない青色が真っ先に頭に浮かんだ。
「わかりました。では一週間ほどですね。私のほうで調整します」
「番案件が出てきたら、どうするの?」
王のいちばんの仕事は、番を誘拐してきた竜人を相手取って、番を保護することだ。
「フィリオーネ様にお願いしておきます。連絡手段は確保していますので」
アルヴィンの手の下で、ユリアーナは、ぱちりと目を開けた。
「……そうなの?」
「フィリオーネ様に言われています。陛下の休暇中くらいは、先王陛下に王業をさせるので、遠慮なく連絡するようにと」
アルヴィンの手が目元から外れて、ユリアーナの右耳にふれた。しゃらりと耳飾りが音を立てる。
「もう耳飾りを外す気はないんでしょう?」
「そうね。きっと一生、外さないと思うわ」
「それじゃあ、番じゃなくていいですよね?」
「それは、構わないけれど」
神の呪いの話を聞いた上で、番に執着するほど愚かではない。
だからといって、誰かと番いたいと思ったこともないのだ。本当にわからなかったから、次の問いも素直に口にした。アルヴィンとは、ずっとそうやって、やってきたのだ。
「アルヴィンは、わたくしが好きなの?」
「愛していますよ。だから、こうして口説いているじゃないですか」
(……口説いてるの、これ?)
甘さのかけらもない声で言われて、ユリアーナは内心で首をかしげた。行為はともかく、態度はいつもの仕事とまったく変わらない。
「え? もしかして、わたくし、普段から口説かれてたり、する?」
アルヴィンが笑った。珍しいその笑顔をユリアーナは、まじまじと見つめた。
そのユリアーナの視線を遮るように、ふたたびアルヴィンの手が目を覆う。
「気づかなくていいですよ。あなたは、そこが可愛いので」
声だけが聞こえた。いつもより、ほんの少しだけ言い方が柔らかい気がした。
「気づかなくて、いいの?」
「いいんですよ。私が勝手に甘やかすので。番う件だけ、考えておいてください」
「わかったわ」
即答して、ユリアーナはまた目を閉じる。
(番うかどうかは、予算案ができてから考えたらいいわよね)
アルヴィンは、ユリアーナに完璧を求めない。足りない部分をいつも補ってくれている。彼がいなくなったら、ユリアーナはとても困るだろう。とても、とても困るだろう。いろいろな意味で。
頭をなでるアルヴィンの手が気持ちよくて、すうと眠りに引き込まれる。やはり、かなり疲れていたのかもしれない。
このとき、すでに外堀は完全に埋められ、あとはユリアーナがうなずくだけになっている状況だったことを、ずいぶん時間が経ってからユリアーナは知った。
◇◇◇
国王ユリアーナの時代に、竜人国は共和制に移行し、王族の義務であった番誘拐の取り締まりも、専門の機関へ移行されたと歴史書は伝える。
ユリアーナ王の傍らには、優秀な王配がつねにいて、公私にわたってその治世を支えた。その右耳には番封じの耳飾りがゆれていたという。




