7. 〜ずっと昔の後の話〜
どうして。
どうして。どうして。どうして。
その疑問だけが、頭の中を駆けめぐる。
目の前には血に濡れて倒れ伏した弟と、見知らぬ男の腕にとらえられた弟の許嫁の姿。
番を探している竜人がいると聞いて、ウィルバートがようやくオフィーリアに会いにきたのだと思って、みんなで笑いながら歩いてきたのに。
すべては一瞬の出来事で。
弟の許嫁に手をのばす竜人と、許嫁をかばって抱きしめた弟。
憤怒に染まる竜人の顔と、「邪魔だ」と言って振られた竜の爪。
体を引き裂かれて倒れる弟と、蒼白な顔で弟の名を呼ぶ許嫁を血色の腕で抱き寄せる竜人。
「レティアス!」
駆けつけて抱き上げた弟の体から、おびただしい血が抜けていく。
弟の許嫁であるトルーディが、こちらに来ようと必死にもがいてているのが見えた。
「レティアス、しっかりして! 誰か医者を!」
必死に傷から流れ出る血を押さえながら、オフィーリアは声をあげる。竜人の男は、つまらなそうに吐き捨てた。
「俺の番に気安く触れるからだ」
目が眩むような怒りが突き上げる。
「なにが悪いの!? トルーディはこの子の許嫁なんだから、当然でしょう!」
レティアスはいつものように、トルーディをエスコートしていただけだ。彼女に無遠慮に手を伸ばす男がいれば、その身で庇うのも当然のこと。
「何度も言わせるな。これは俺の番だ」
「番だからって、こんなことが許されるとでも!?」
男は鼻で笑う。
トルーディが竜人の男の腕をかりかりとひっかき、かみついた。
「いたずらがすぎるな」
男はトルーディの顎をぐいと掴んで噛み付くのを止めさせると、その唇に自分の唇を重ねた。一瞬、体を硬直させたあと、トルーディは男の体を拳で殴りはじめる。
「トルーディ!」
弟の体を横たえると、無体な真似を止めさせようと、男の腕に取りついた。
必死に引き剥がそうとするが、男の腕はびくともせず、反対に振り払われた。簡単に振り払われただけなのに、腹部にすさまじい衝撃を感じて、背中から地面にたたきつけられる。
ひゅーと細い息だけがもれる。
立たないと。
立って、トルーディを助けないといけないのに。
指一本さえ動かせない。
「お義姉さまっ!」
「ト……ディ……」
可愛い義妹が呼んでいるのに、立てない。動けない。
自分の非力さが悔しくて、気が狂いそうだった。
どうして、どうして、どうして。
そんな疑問だけが、体をぐるぐると回る。
竜人は、番の大切なものを大事になんかしない、と思い知る頃には、トルーディも、彼女を番と言った竜人も消えていた。
――弟の遺体を残して。
◇◇◇
「オフィーリア、君はどうしたい?」
弟のレティアスが殺され、トルーディが攫われてから、もう一ヶ月が経った。
ようやく座れるようになったオフィーリアの病床に現れた従兄弟のホレイスが、そう尋ねる。
僻地にある領地から、オフィーリアが王都に向かったのは、彼女が成人になる十五歳になる少し前。叔父が後継者である弟を殺そうとしていると知り、平民に扮して乗合馬車で王都に向かったのだ。
その乗合馬車が途中、熊に襲われたのは不運だったけれど、そのおかげでウィルバートと知り合い、彼から貴重な結界石を借りることができたのは、幸運だった。結界石があれば、乗合馬車に頼らなくても旅ができた。
両親が事故で亡くなった後、弟レティアスの後見人となった叔父に見つかるわけにはいかなかった。叔父に知られれば二人とも殺されるか、領地の屋敷に閉じ込められて一生飼い殺されるだろうことはわかっていた。できるだけ人目につかないよう王都まで移動したかったのだ。
だから、オフィーリアはウィルバートと別れたあと、街には入らず、そのまま王都方面の街道へと抜けた。夜は結界石を使って野宿を行い、時間はかかったが誰にも気取られることなく、王都まで行くことができた。
王都に着いたオフィーリアがしたことは、紋章院を訪れること。
紋章院は、貴族の継承や系譜を統括・管理する国王直属の機関だ。男性しか家の継承ができないこの国でも、継ぐべき人間が成人するまでの間、女系家族が後見人を務めることは認められている。爵位をもつ夫が亡くなったあと、残された妻が息子が成人するまでの間、家を預かることができるようにと作られた規定だ。
オフィーリアはこの規定を利用して、弟の後見人の座を叔父から取り戻した。
今、目の前に座っているホレイスは、その叔父の息子だ。
「君は父が裁かれたあとも、僕たちを見捨てなかった。だから、僕は君の希望を聞きたいと思う」
オフィーリアの訴えにより、叔父は後見人として不適格だと証明された。
成人に達していないオフィーリアに領地経営を押し付けていたこと。
レティアスに渡るはずの財産を使い込んでいたこと。
レティアスを殺そうとしていたことは立証できなかったが、オフィーリアすら知らないところで領民から金を巻き上げていたことが、紋章院の調査で明らかになり、叔父は後見人をおろされ、罪人として裁かれた。今は鉱山で強制労働をさせられていると聞いている。
その後、王都にいてなにも知らなかった叔父の息子と娘を、オフィーリアは追い出すことなく、そのまま王都に住まわせた。叔父の妻は叔父の所業を薄々とはいえ知っていたため、修道院へ行った。
ホレイスは、レティアスの死後、王都から領地へ来て、領主代行を務めてくれている。
「……トルーディのこと、なにかわかった?」
ホレイスは、一度ぎゅっと目を瞑ってから答えた。
「竜人国から回答があった。……トルーディ嬢は亡くなったそうだ」
「え?」
「番を引き離すのはかわいそうだから、埋葬はあちらで行った、と」
「それは、なんの、冗談なの?」
頬をひきつらせるオフィーリアを、ホレイスは痛ましげな目で見た。
「正式な回答だ。圧倒的な武力を誇る竜人国に『ふざけるな』とは言えない」
「トルーディは誘拐されたのよ!?」
「オフィーリア。トルーディ嬢は竜人の番だった」
「だから? だから、諦めろって?」
「番は、天災と同じだ。それに――彼女はもう亡くなっている」
オフィーリアは、ぎりと奥歯を噛みしめる。
領地経営がどんなに上手にできたって、圧倒的な武力に抗じる力がない。自分の無力さが、悔しくてたまらない。
オフィーリアを見ていたホレイスが、視線を伏せる。
「君にもうひとつ、伝えておくことがある。君の体のことだ」
「なに?」
「……君はもう子どもが産めない。腹の中をひどく痛めていて、おそらく子を成す器官がもうだめだろうと、医者が」
「……ああ、そう。だから、私はもう、婿を得ても家を継げないということね。家督は貴方が継ぐでいいのかしら?」
「すまない」
「謝ることじゃないでしょう?」
オフィーリアはなんとか笑みを浮かべてみせる。それから、ぽつりと言葉を落とした。
「二人のお墓参りがしたいわ」
ホレイスがうなずく。
「わかった。レティアスの墓なら、いつでも連れていく。君が自分で動けるようになったら、竜人国に入れるように手配しよう」
「よろしくね。領地のことでわからないことがあったら、聞いてちょうだい。できるかぎり手伝うわ」
「感謝する」
オフィーリアは、ただうなずいた。
オフィーリアは、弟に家を継いでほしかったのだ。その弟がいないのならば、家は誰が継いでも関係ない。もともと女性であるオフィーリアに継承権はないのだ。叔父のように不当に領地から貪らないでいるなら、ホレイスでも問題ないだろう。
ホレイスが座ったまま、深く頭を下げる。
「君たちのものを奪ってすまない」
叔父に似ず、実直な性格の従兄弟は、そう言うと病床から去った。
◇◇◇
トルーディの墓には、ただ風だけが吹いていた。
彼女の墓前に花を供える。
「守れなくて、ごめんなさい。連れて帰っても、あげられないなんて」
オフィーリアは墓の前で膝をついて祈った。やがて、ぱんぱんと膝を払って立ち上がる。
「でも、安心してね。貴方たちを殺したクズなんて、貴女の隣から消し去るから」
にっこりと笑うと、ここまで持ってきていたシャベルをオフィーリアは構えた。
その後、どれだけ時間が経ったのか。休憩をはさみながらも墓を掘り続け、ようやく埋められた棺の全体が見えるようになった。
オフィーリアはシャベルを地面に置くと、額の汗をぬぐった。
シャベルとともに人足に運んでもらった荷車から、いくつもの袋を取り出す。その袋の中の油を、掘り返した棺の上にぶちまける。
「さようなら。永遠に死んでいてちょうだい。どクズの竜人」
その言葉ととともに、棺に火を投げ入れた。油に引火し、勢いよく炎があがる。
オフィーリアの国の宗教では、火葬にされるのは罪人だけだ。遺体がなければ、死してのち、生まれ変わることができないと言われている。
オフィーリアは、そんなことは信じてはいない。竜人たちの宗教がどうなのかも興味がない。ただ、かわいい弟と義妹を殺した男の体が、この世にあることが我慢ならなかった。知られれば死者の冒涜として、非難をあびるだろう。だが、それがどれだけのものだというのか。オフィーリアには、もう守りたいものなどない。
ふわりと風が舞った。生暖かい、雨が降る前のような湿った風だ。
ふいに目の前に現れた異質な気配に、オフィーリアは思わず後退った。
「ああ、いいねえ。実にいい。その思い切りのよさは、僕の好みだよ。ねえ、その怒り、別のことに使ってみる気はない?」
現れた男がにんまりとした笑みを浮かべる。
「……誰?」
「うーん、君たちでいうところの魔女?」
「…………男性に見えますが?」
男は「あはは」とおかしそうに笑った。
「正確には魔法使いだけど。そんなことは重要じゃないよねえ?」
「魔法、使い……」
魔法は、人間が忘れてしまった古の技術だ。男の言うことが正しいなら、魔女とは魔法の技術をいまだ維持している者たちということだろう。だけど、確かにそれは重要なことではない。
「別のこととは、なんですか?」
「うん。困るんだよねえ。僕の愛し子を、番と称して連れていかれたら」
オフィーリアは驚きに目を見開いた。
「貴方も、番の被害にあったんですか」
「結構、いろいろな人が被害にあってるよ。だからねえ、いい加減、枷をはめようかと思って」
「枷」
「竜人に連れ去られた番の保護と返還の義務を、竜人国にかける」
ぐっと両手を握りしめる。
「それは、可能なことですか?」
「君が手伝ってくれるなら」
「どうして、私?」
「君はいまの竜人国国王の番だから」
「……国王? ウィルバートが?」
「そう。番に会いたい?」
会いたいかと問われても、今となってはもうわからない。命を救われたあとの数日を、一緒に過ごしただけだ。「僕の番」といって、嬉しそうに目を細めてオフィーリアを見ていた。あれほど大事に扱われたのは、人生で初めてだった。その気持ちを、どこかで嬉しいと思っていたのに。
その同じ、番という存在への執着が、弟たちを殺した。そして、番だからトルーディは故国に還ってくることもできなかった。
ウィルバートのあの気持ちを、手放しで肯定することは、もうできない。
唇をかんでうつむくオフィーリアの顔を、男は下からのぞきこむ。
「この話にのるなら、嫌でも顔を合わせることになる」
「……わかりました。私はなにをすればいいですか?」
男はまたにんまりと笑った。
「君には竜人を制圧できるだけの魔法を使えるようになってもらおうかな」
「私が、魔法を? 使えるようになるのですか?」
「うん。その対価として、君は寿命を失うけど、いいよね?」
さらっと告げられた言葉に一瞬息をのんで、オフィーリアはうなずいた。
「構いません」
「君ならそう言うと思ったよ。そのかわり、竜人国にうまく枷をはめられたら、成功報酬として、僕がひとつだけ願いを叶えてあげる」
「願い」
「願いは、今じゃなくていい。ゆっくり考えたらいいよ。まだ仕込みに時間がかかるからね」
その言葉に、オフィーリアはうなずいた。
◇◇◇
男――『理』の魔女がいう仕込みが完成しつつある頃。
魔法の訓練をつづけるオフィーリアを見ながら、『理』の魔女が口を開いた。
「もう少しで竜人国に行ってもらうと思うよ」
「わかりました」
「うん。番封じの耳飾りもできたし、番被害の悲惨さを周知して、竜人たちの横暴を許さない世論操作も終わったし。あとは各国から同盟書にサインをもらうだけだね」
そのあとは、オフィーリアは竜人国の王妃となり、『理』の魔女が考えた仕組みに、国の体制を書き換える作業が待っている。
「願いは決まった?」
男の問いにじっと考え込んだあと、オフィーリアはつづけた。
「記憶をもったまま、生まれ変わることは可能ですか?」
男は肩をすくめた。
「いいけど。でも、その願いは君の在り方を変える。神の領域にふれるから、君の魂は『理』を外れるし、一回生まれ変わったあとで死んだら、たぶん魂ごと消滅する。それでも、よければ」
オフィーリアは、「構わない」とうなずく。
「あと、もうひとつ。その願いのために、君の残りの寿命はすべて使われる。だから、事が成ったあとは、君はすみやかに死ぬことになる」
男は脅しているわけではない。事実だけを述べていると、オフィーリアにはわかっている。魔女は嘘をつかない。だからこそ、オフィーリアは鮮やかに笑った。
「見届けることができるなら、魂すらいらないわ」
金色の髪と青い瞳が魔力によって完全に黒く染まったあと、オフィーリアは竜人国に向かった。
――番であるウィルバートの妃となるために。




