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5. 〜ずっと昔の話〜

 王位継承の火種がくすぶる王都を離れて一ヶ月。ウィルバートは、故国から遠く離れた暗い森の中を走っていた。

 背後に迫る殺気に、背中に冷たい汗が流れる。刺客を放ったのは、長兄か次兄か。


「……どちらにしても、大きな違いはないか」


 低く呟いた刹那、肩口を鋭い爪がかすめる。身を翻したウィルバートの前に、すでに腕を竜化させた竜人が二人、姿を現した。


「できそこないが、ちょこまかと」


 乱れた息を整えながら、ウィルバートは肩をすくめた。


「できそこないとわかっているなら、放っておいてくれればいいと思わないか?」


 ウィルバートは玉座に興味はない。兄たちのどちらが王になろうが、好きにすればいいと思っている。なのに、兄たちは二人ともウィルバートを生かしておく気はないようで、こうして何度も命を狙われている。

 王位継承戦。王位をめぐって、王の血を引く竜人たちが殺し合いをする。その世代において生き残るのは、だいたいが、ただひとり。

 一年後に現王が玉座をおりると発表されたのは、ほんの二ヶ月前。それなのに、その間にどれだけの血が流れたのか、考えたくもない。


「それで君たちはどこから来たのかな。ブレイズ兄上か、それとも――」


 問いを最後まで口にする前に、刺客が襲いかかってきた。抜いた剣に竜化した爪がぶつかり、火花が散る。

 相手も力のある竜人のようで、さすがに簡単には捌けない。


 その時だった。


 森の奥から、まるで頭に直接響いてくるような、凛とした音が溢れ出した。視界が一瞬白く揺らぎ、意識が引き寄せられる。


「……ああ、行かないと」


 それがなにかを理解するより前に、言葉が口から滑り落ちる。

 次の瞬間、胸の奥が熱を帯び、ウィルバートの体に力が漲った。


「なっ……気配が変わった?」


 とまどう刺客に、ウィルバートは無造作に剣を振るった。光をまとった一撃が、刺客の首を跳ね飛ばす。腕の一振りで剣についた血を払うと、ウィルバートは底光りする目で、もう一人の刺客を見た。


「邪魔をするなら、君も死ぬことになるけど?」


 生き残った刺客は、そこで初めて、手加減をされていたことに気づいた。殺さぬよう、追ってこられない程度のけがに収まるよう、ウィルバートが力を加減していたことに。

 殺す気で襲いかかってくる相手に手加減するなど、よっぽどの実力差がなければできない。


「急いでいるから、行くよ」


 付いてくるなら殺すといわんばかりの殺気に、刺客は足を止めた。それすら、すでに気にすることなく剣をおさめると、ウィルバートは頭に響く音の鳴る方へと走り出した。



 ◇◇◇



 森の奥は、昼でもなお薄暗く、鳥の声すら聴こえなかった。そんな静寂を破るように、かすかなうなり声が木々の間から届いた。

 ウィルバートは、急いで声のする方へ足を運ぶ。茂みを抜けると、少女が熊と対峙しているのが見えた。熊はいまにも少女へ飛びかかろうとしている。


「邪魔」


 駆け寄ったウィルバートがその一言とともに振るった一太刀で、熊は血煙に沈んだ。真っ二つに切られ、すでに物言わぬ物体と化した熊に、少女は大きく目を見開いた。


「……誰?」


 警戒も露わな声に、彼のほっと息をついた。生きている。それだけで、どうしてこんなに安堵するのか。

 柔らかな金の髪、青い瞳をした少女は、全身に緊張を浮かべている。十代半ばの年頃だ。旅人がよく着ている動きやすいズボンは泥で汚れていた。頬を少し擦りむいている。気丈にも短剣を構える姿から、気の強さがうかがえた。


「はじめまして、僕の(つがい)。名前を教えてくれる?」


 剣についた血をぬぐってしまうと、ウィルバートはしゃがみこみ、少女と目線を合わせた。

 頭に響く陶然とするほどの音色。胸の奥が震えた。初めて会うはずなのに、それが番の音色だとわかる。離れたくない。守らなければいけない。そんな衝動が、身体の中からあふれだす。


「……貴方、誰?」

「ウィルバート。君の番だ」

「…………番って、なに?」

「大好きってことだよ」


 警戒はとかないものの、さっと顔を赤らめる様子が可愛かった。思わず腕の中に抱き寄せる。


「可愛すぎて、我慢とか無理」

「な、ちょっ、やめて! さわらないで!」

「嫌だよ。せっかく会えたのに」

「は、離さないと切るわよ!」

「切ってもいいけど、君は離さないから」


 言い切ったウォルバートに、がくりと少女がうなだれた。


「なんなのよ、いったい」

「君の番だよ」


 そう言うと、ウィルバートは少女を片腕に抱き上げた。


「君はどうしてこんなところにいるの?」

「……乗っていた馬車が熊に襲われて。ここまで逃げてきたんだけど」


 少女は、動かない熊に視線を向けた。

 ここで熊に追いつかれたのか、それとも馬車を襲ったものとは別の個体か。なんにしろ、熊と遭遇してしまったということだろう。


「……もしかして、助けを呼んだ?」

「ええ、私じゃ熊を倒せなかったから」


 その言葉に、つい笑みがこぼれる。

 熊を倒して生き残る。あの刹那に響いた凛とした音は、ウィルバートの番である彼女の強い意志の響きだ。

 力が足りなくても、まっすぐに不条理な暴力にあらがおうとする心が、ウィルバートには眩しかった。


「間に合ってよかった」

 

 心の底からそう思う。

 彼女のいない世界など、想像したくもない。


「早くここを離れたほうがいいね。血の匂いにつられて別の獣がくる」


 少女の表情が暗く沈む。


「方向がわからないわ」

「大丈夫。僕が連れて行くよ」


 少女の青い瞳が、ウィルバートの腕の上からじっと見下ろしてきた。


「どうして、そこまでするの?」

「君が大好きだから」

「初対面なのに?」

「初対面でも大好きだよ、僕の番」

「わからないわ」


 首をかしげるその姿すら、愛しい。


「君は人間だよね?」

「そうだけど」

「竜人にとって番は運命の相手なんだ」

「運命の相手」


 考え込んだのは、ほんの一瞬。

 強い視線で、少女はウィルバートを見た。


「私は貴方の番だから、助けてくれるって理解でいいのかしら?」

「うーん、ちょっと違うかな。大好きで愛おしいから、守りたいっていうのが近いかも」

「な、なに言って」


 真っ赤になる顔が、たまらなく可愛い。

 少女はぷいっと顔をそらせた。


「よく、わからないけれど。助けてもらえるならありがたいわ、ウィルバートさん」

「ウィルって呼んで。それで、そろそろ君の名前を教えてもらってもいい?」

「オフィーリアよ」

「綺麗な名前だね。フィーって呼んでもいい?」

「……好きにしたら」

「じゃあ、フィー。どこに行きたい?」

「王都に行くわ」

「うん。それじゃあ、行こうか。危ないから剣はしまってね」


 いま気づいたかのように慌てて構えていた短剣を鞘に戻す少女に向けて、ウィルバートは破顔した。



 ◇◇



 街道からはそんなに離れていない位置だが、熊が出たなら通行止めになっているかもしれない。まずは、どこかの街まで行くのがいいだろうと、ウィルバートは判断した。街に出れば、この国の王都まで馬車を使えるし、なんなら馬を買ってウィルバートがオフィーリアを乗せて駆けてもいい。


 街道に熊が現れたのは、おそらく自分たちのせいだ。力の強い竜人たちが森で暴れていたのだ。きっとその威圧に押され、普段の住処ではない場所に移動したに違いない。自分たちの勝手な行いのせいで、番であるオフィーリアがとばっちりと受けてしまったのなら、ため息しか出ない。


 まずはオフィーリアたちが熊に襲われたという地点まで戻った。

 馬車を引いていた馬は息絶えていた。幸い、ひとの遺体はない。馬が食われている間に、みんな逃げ去ったのだろう。

 オフィーリアは人影のない馬車に乗り込むと、荷物をあさっている。しばらくすると、ななめがけの鞄を持って降りてきた。旅に必要なものをいろいろ詰め込んできたらしい。


「――なによ」


 へらりと笑ったウィルバートを青い目でにらみつける。


「いや、たくましいなあと思って」

「綺麗事じゃ生きていけないわ。……家に戻ったら、ちゃんと返すわよ」


 ぷいっと横を向いて言い捨てたのに、小さく付けくわえるのが可愛くて仕方がない。

 こんな可愛い生き物を知らずに生きてきたことが、信じられなかった。


「うん。フィーは可愛いなあ」


 ウィルバートは、ふたたび片腕に抱き上げる。番と離れているなんて無理だ。

 さすがにもうオフィーリアは抵抗しなかった。ただ呆れたような視線が降ってくる。


 そのまま、しばらく街道にそって歩いた。周辺の位置情報は、頭に入っている。竜人は感覚にもすぐれているから、方向を間違えることもない。


 オフィーリアはとりあえずの警戒はといたようだが、身の上に関わる話には一切ふれない。下の名前しか名乗らなかったのも、そのためだろう。服装は平民の旅人そのものだが、所作やその話し方から身分のある娘であることがうかがえた。

 ふうと、オフィーリアが小さく息をつく。


「疲れた?」

「大丈夫。なんともないわ」


 全身に疲労がにじんでいるのに、弱音を吐かないオフィーリアについ笑みがこぼれる。


「僕が疲れたんだ。少し休憩していい?」

「え? ああ、そうよね」


 ウィルバートは、腕に抱き上げているオフィーリアを地面に丁寧に下ろすと、街道脇に腰をおろした。

 ウィルバートがぽんぽんと地面をたたくと、少し離れたところにオフィーリアも腰をおろす。大きく息をつくオフィーリアに、水袋を差し出した。

 少し困った顔を浮かべると、首を振って断ってから、自分の腰につけた水袋から水を飲む。


「ずいぶん用心深いんだね」

「……弟がいるの。あの子が家を継ぐまで、私は死ねない」

「君は死なないよ。僕が守るから」


 オフィーリアはまた呆れたような表情を浮かべたけれど、そのあと、かすかに微笑んだ。

 初めて見るその笑顔に、息が止まる。オフィーリアの笑顔が尊い。このまま、ずっと二人でいたいのに。


「ほんとに邪魔だな」

「……どうかした?」


 低くつぶやいた声に、オフィーリアは首をかしげる。なんて可愛いんだろう。


「この先に川があるみたいだ。水を汲んでくるよ。君はここで休んでてて」


 そう告げて立ち上がったウィルバートを、オフィーリアはじっと見つめる。そのオフィーリアに懐から出したものを、ずいっと差し出した。ウィルバートの手の上で、赤い透明な石がきらりと光る。


「これ、持ってて」

「なに、これ」

「結界石」


 まだ人間が魔法を使えていた頃の遺物だ。魔力がこめられていて、周囲を防護の壁でおおってくれる。竜人国を出る時に、宝物庫からもらってきた。

 ぎょっとした表情を浮かべるオフィーリアの手をとって、石を握らせる。


「お願いだから、持ってて。君になにかあったら、僕の気が狂う」


 渡された結界石を握ったまま、オフィーリアはじっとウィルバートを見つめる。


「……水を汲みにいくだけよね?」

「うん。汲みにいってくるよ」

「…………一緒に行かないほうがいいのね?」


 ウィルバートがなにをしようとしているのかわかっていないのに、的確に意図を読んでくる、勘が良くて、頭のいい君が好きだ。いや、どんなオフィーリアだって大好きだけど。


「うん。ここで待ってて」


 にこりと笑ってみせると、オフィーリアは「わかった」と言って、結界石を握った手に力をこめた。その手をすくいあげると、華奢な指に唇を寄せてキスを落とす。発動の呪文を唱えて、結界を起動させた。驚いた顔も、可愛い。


「じゃあ、いってくるよ」

「……気をつけて」


 ウィルバートを気にかける言葉は、ほんとうに小さく告げられた。それでも、その響きだけで、頭の奥がしびれて、幸せな気持ちが湧き起こる。ほんとうに離れたくはないけど、君を危険にさらす気はないから。


「さて、害虫は全部退治しないとね」


 つぶやいて、ウィルバートは森の中を駆けた。



 ◇◇◇



 森の中にひそむ刺客をすべて退治して、ついでに付近の害獣もあらかた狩った。

 近くの川で水を汲んでから、返り血を丁寧に洗い流す。

 びしょ濡れのままオフィーリアのところに戻ると、「低体温症になる」と盛大に怒られた。オフィーリアは物知りだ。


 オフィーリアと出会ってから二日。あと数刻も歩けば、街につくだろう辺りを歩いているときだった。遥か遠くに、見知った気配がふたつ。それでも竜人の足なら、半日程度で追いついてくるだろう。


「ああ、ほんとに面倒くさいよね」


 思わず言葉をこぼしたウィルバートに、オフィーリアは首をかしげた。この数日、すっかり定位置になってしまった腕の上から、そっと彼女をおろす。ぎゅっとその細い体を抱きしめた。


「どうしたの?」

「ごめん。一緒に行きたかったけど」


 腕をとくと、街道の先を指差した。


「この道沿いにまっすぐ進めば街に出る。行けるね?」

「もちろん、行けるわ。貴方は?」

「うん。ちょっと用事を片づけてくる」


 オフィーリアはなにかを言いかけて、きゅっと唇をかみしめた。

 頭のいい彼女には、この先には一緒に行けないということが伝わっただろう。


「待ってて。必ず君のところに戻るから」


 もう一度その体を強く抱きしめる。オフィーリアの肩に額をうずめた。


「お願いがあるんだけど」

「なに?」

「僕が戻るまで、僕の番ってことは誰にも言わないでくれると嬉しいな」

「どうして?」

「安全のため。君が僕の唯一の弱点だから」

「私が番だとわかったら、貴方が困るのね」


 オフィーリアはポケットから結界石を出すと、ぐっとウィルバートにつきつけた。


「返すわ」

「それは君が持っていて。使い方は覚えたよね? ――君の旅路が安全であるように」


 そっとオフィーリアの額に口付ける。身じろぐ華奢な体から腕を離した。

 殺気が迫っている。まだ、ウィルバートにしか感じられないほどの遠さではあるが、このままでは必ず追いつかれるだろう。


「戻ってくるのよね?」


 不安に揺れる青い瞳に、安心させるように笑顔を見せる。


「必ず、君のところに戻るよ」

「約束?」

「うん。約束」

「わかったわ。――ウィル、貴方に幸運がありますように」


 両手を組んでほんの一瞬だけ祈ってから、ふわりとオフィーリアは微笑んだ。それから、背中を向けて早足で歩き出す。できるだけ早くここから離れようというように。ウィルバートの足手まといにならないようにしようとしているのだろう。

 そのきっぱりとした背に追い縋って、抱き寄せたい衝動をなんとかこらえる。

 初めて名を呼んでもらえた幸福に、心が震えている。


「ほんとうに大好きだよ、フィー。――必ず生き残ってみせるから」


 遠ざかる細い背中を目に焼き付けるようにして見つめてから、ウィルバートはそれとは反対方向に身を翻した。



 ◇◇◇

 


 背中をなでる、冷たい殺意。

 どうやら、追いつかれたようだ。

 オフィーリアと別れた街道からは、もうずいぶん離れている。時間的にも、もう街に着いた頃だろう。オフィーリアがこの世にいること。それだけが、ウィルバートにとっては大事なことだ。


「こんなところまで殺しにくるなんて、ご苦労なことだね」


 低くつぶやいたところで、矢が飛び、彼の肩口をかすめて木に突き刺さる。

 軽くかわしたウィルバートの前に、豪華な服をまとった竜人が姿をあらわした。


「久しぶり、ブレイズ兄上。会いたくはなかったよ」


 ウィルバートの言葉に、長兄のブレイズが肩をすくめた。


「お互い様だ。さっさと死んでいればいいものを。これ以上、手間をかけさせるな」


 ブレイズが軽く腕を振ると、その刃のように鋭い爪が陽光にきらめく。

 ウィルバートは、もう一度オフィーリアのことを思い浮かべ、深く息を吐いた。


 ――彼女にもう一度会うためには、どんなことをしても生き延びなければならない。


 ウィルバートは覚悟を決めて剣を抜き、構えた。

 それと同時に、ブレイズが動き出す。


「ほんとうに面倒くさい」


 ウィルバートがぼやいた瞬間、剣とブレイズの爪が激突した。

 ブレイズのもう片方の爪がウィルバートの腹をえぐり取ろうとする。

 だが、ウィルバートの動きは速く、鋭かった。

 剣で受け止めた爪を支点に、ウィルバートは予備動作もなく体を跳ね上げる。

 着地点にとどまらず、さらに距離をとる。


「竜化もできない、できそこないの弟なんて放っておけばいいのに」


「竜化ができないとはいえ、おまえも王の息子。殺さなければ、最強の竜とは認められないだろう。そんな王に誰が従う?」

「じゃあ、僕は死んだことにしておけばいいよ。もう国には帰らないから」


 ウィルバートは、番であるオフィーリアを見つけた。彼女はこの国の貴族だろうから、ウィルバートがもう故国に戻ることはない。

 

「殺しておくほうが確実だ」


 目の前にブレイズが迫る。

 その時だった。

 背後から鋭い音が響き、ウィルバートは反応が遅れた。


 ――刺客の攻撃だ。

 背後の敵がウィルバートの一太刀で崩れ落ちた瞬間、さらに後ろから一突き。

 次兄ザカールの爪がウィルバートの肩をかすめ、痛みが走った。


「……!」


 ウィルバートは一瞬息を呑んだが、その痛みを振り払って、正面からのブレイズの爪を受け流すと、その後ろに回り込む。袈裟がけに振り下ろしたウィルバートの剣を、ブレイズの爪が弾き飛ばす。


「二人がかりって、ひどくない?」


 にやりとした笑みを浮かべる兄二人に、ウィルバートは静かに、剣の柄を握り直した。一気に間合いを詰める。鋭い金属音が森に響く。

 二人の動きを捉えようとするが、攻撃の一撃一撃が思った以上に速く、重い。

 ブレイズの爪が肩をかすめ、ザカールの一撃が脇腹を裂いた。

 血が滲み、足元の土に落ちる。


「どうした、出来損ない」


 ザカールが嘲るように笑う。


「竜化もできない、剣しか能のない半端者が。よくもここまで生き延びたものだ」

「……うるさいよ」


 ブレイズが低く笑う。


「無駄だ。俺たち相手に、もう限界だろう」


 その言葉通りだった。

 兄たちは連携が完璧で、挟み撃ちにされるたび、体力が削られていく。

 いったん引いて、仕切り直す暇は、おそらく与えられない。


 ウィルバートの脳裏に、幸運を祈ってくれたオフィーリアの姿が浮かぶ。

 生き残らなければ。

 いままでは死にたくないだけだったけれど、今は生きなければならない理由ができた。

 迎えに行くと、オフィーリアと約束した。


 ウィルバートは息を整えると、一気に間合いを詰め、ブレイズの爪を弾き、ザカールの足元を払った。


「ぐっ……!」


 ザカールがよろめいた隙に、ウィルバートは地面を蹴る。

 だが、背後からブレイズの爪が迫っていた。


「甘い」


 鈍い衝撃。ウィルバートの背中に、深い痛みが走る。


「……っ!」


 体が前に崩れ、ウィルバートは膝をつく。


「終わりだ、ウィルバート」


 ブレイズが爪を振り上げる。鈍い衝撃が頭蓋を割った。骨が砕け、視界が白く弾ける。

 ウィルバートの体は地面に叩きつけられ、剣が指先から転がり落ちた。


「……ようやく死んだか」


 ザカールが吐き捨てる。

 ブレイズは油断なく腕を竜化させたまま、静かに息を吐いた。


「確認しろ。心臓は――」


 その言葉の途中、ぴくり、と、倒れていたはずのウィルバートの指が、わずかに動いた。血に濡れた頭部が、ぎこちなく持ち上がる。

 割れた頭蓋の奥で、骨が、肉が、音を立てて戻っていく。裂けた皮膚が、縫われるように塞がった。


「……は?」


 ザカールの顔から、初めて嘲笑が消えた。ブレイズが驚きに目を見開く。


「そんな……再生……?」


 ウィルバートが、ふらつきながら立ち上がる。視界はまだ揺れ、片目は血で塞がっていた。


「……だから、言っただろう。僕には構うなって」


 声は掠れていたが、確かにウィルバートは生きていた。

 二人の兄が、同時に距離を取る。


「竜化もできない出来損ないが! こんなものを隠していたのか……!」


 ブレイズの叫びに、ウィルバートは軽く肩を回す。


「王になんてなりたくないからね」


 ザカールが歯を食いしばる。


「……心臓と首を狙え! 一気に仕留める!」


 兄二人が同時に踏み込む。左右から、首と心臓を正確に狙った突き。


 ――だが。

 ウィルバートは、避けない。

 ブレイズの爪が首をすべり、ザカールの爪が胸から弾かれる。


「な……!?」


 なにもなかったかのようにウィルバートは横に飛ぶ。一瞬その姿がぶれて見えた。飛んだ先はザカールの目の前。その距離は、ゼロ。

 ウィルバートの腕が、ザカールの心臓を正確に貫いた。


「――が……」


 ザカールの体が硬直し、崩れ落ちる。


「竜に形を変える必要なんて、なくない?」

「おまえ……」


 ブレイズが呟いた瞬間、ウィルバートはさらに体を翻す。ブレイズは後退しようとしたが、足をもつれさせた。恐怖が、判断を遅らせた。

 ウィルバートの腕が、真っ直ぐ突き出される。


 ――心臓。確実に、逃げ場のない位置。


「や、やめ……!」


 言葉は最後まで続かなかった。

 ブレイスが倒れ、森に静寂が落ちる。

 ウィルバートはその場に膝をついた。


「……はぁ、しんど……」


 まだ治りきっていない体が、ゆっくりと再生していくのを感じる。再生も、竜化ではない身体強化も、寿命を削るに等しい行為だ。ずいぶんと無茶をした自覚はある。寝てしまいたいほど、体が重い。

 一度、壊れた頭がつきりと痛む。


 頭の奥で、金と青の色が舞った。

 フィー。

 それが番を示すということは、わかるのに。

 顔も名前も思い出せなかった。


 ウィルバートは立ち上がり、血を拭った。


「……行こう。“フィー”を探さないと」



 ◇◇◇



 街道の先にある街にも、フィーが立ち寄った形跡は、なにひとつ残っていなかった。王都に向かうと言っていたのに、馬車に乗ったという情報もない。

 街道沿いをすべて探しても、彼女の痕跡はどこにも見つからなかった。その死体さえ。


 気がつけば、王となれる竜人はウィルバートだけだった。国から迎えが来て、しぶしぶ戻ったウィルバートに待っていたのは、王太子の任命だった。これ以上、血が流れるのは嫌で、仕方なく受けた。

 そこから先王の退位、ウィルバートの即位までは目の回るような忙しさだった。


 王になんて、なりたくはなかったのに。ただ、フィーと生きていければ、それでよかったのに。

 王となった今、自由に君を探しに行くこともできない。


 出会った国の貴族の令嬢にも全員あたったけれど、だれもフィーではなかった。

 どこを探したら、君に会えるのか。

 いっそ、あの国を壊したら、君は出てくるのかな。

 何度も、そう考えたけれど、彼女が悲しむ気がして、なんとか踏みとどまった。


 フィー。

 君の顔も、声も、ほんとうの名前も、忘れてしまったけれど。

 陽を溶かしたような金色と、青空のような澄んだ青色だけは覚えている。


 フィー。僕の番。

 なにより大事な君。

 大好きな君に。

 ただ、会いたい。


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